新人研修の資料を作るため、担当者が熟練の検査員に聞いた。「なぜ、あの部品で機械を止めたのですか」。
検査員は、三つの理由をすらすら答えた。新人は、三つの理由を暗記した。
同じ部品が流れてきた日。新人は機械を動かしたまま、部品を見送った。
三つの理由に、止める直前に見たものは入っていなかった。
検査員は、うそをついたわけではない。では、すらすら出てきた三つの理由は、どこから来たのか。
引き継ぎ資料から、熟練者の意思決定の7割が抜け落ちる
冒頭の検査員は、部品を見た瞬間に機械を止めていた。止めるまでに何を見たかは、検査員の記憶から抜け落ちている。
熟達するほど、意思決定は自動で進む。一つずつ考える前に、体が動く。
過程が記憶から抜け落ちるのは、熟練の証だ。熟練者が毎日使い、本人も過程を言葉で説明するのが難しい知識を、暗黙知と呼ぶ。
抜け落ちる量を、数字で示した研究者もいる。米国のイェイツ、フェルドン、クラークは、2011年の米国教育学会の年次大会で講習を開いた。
講習の要旨には、次の一文がある。複雑な作業のやり方を説明するとき、熟練者は自分の意思決定のおよそ70%を言い落とす。
聞き取りをそのまま研修資料に写すと、新人に渡るのは残りの3割にとどまる。
「なぜ」への答えは、質問の場で組み立てた説明だった
7割が抜けた穴を、熟練者は何で埋めているのか。手がかりは、心理学の古典的な研究にある。
心理学者のニスベットとウィルソンは、1977年に学術誌Psychological Reviewで論文を発表した。
結論は辛辣だ。人が高次の思考の過程を内省でのぞける範囲は、ごくわずかか、ゼロかもしれない。
人が語る理由の出どころは、内省より、何が自分を動かすはずかという手持ちの理屈だという。ずれの大きさは、人や作業によって違う。
カラクリは単純だ。理由を聞かれた人は、もっともらしい説明を質問の場で組み立てる。
検査員の三つの理由も、同じ仕組みから出てきた。
理由を聞く聞き取りを重ねると、きれいな説明の束ができる。説明の束は、熟練者の知識より、熟練者についての解説に近い。
研修資料に載せれば、新人は理由を暗記する。同じ場面で同じ動きができるかは、別の話だ。
冒頭の新人も、三つの理由を正しく覚えていた。覚えた中に、止める直前に見たものは一つもなかった。
「止める直前に、何が目に入りましたか」から始まる四つの問い
熟練者の意思決定を洗い出す手法に、認知的タスク分析(Cognitive Task Analysis、CTA)がある。
CTAは、工程を段階に分ける。段階ごとに、意思決定の点を探す。
見える形に描いた図は、熟練者に見せて直す。
聞き取りでは、理由を聞くのをやめ、問いの向きを四つに変える。
- 手がかり「止める直前に、何が目に入りましたか」
- 一件「最近迷った一件を、最初から順に話してください」
- 例外「いつもの手順と違う動きをしたのは、どんなときですか」
- 新人「新人なら、同じ場面で何を見落としますか」
柱は、手がかりと例外の二つ。一件と新人の問いは、手がかりと例外を思い出してもらう入り口になる。
作業しながら考えを声に出してもらう方法(思考発話法、Thinking Aloud)も、過程に近い記録を残す。
撮影した映像を一緒に見て、手を止めた瞬間に何を見ていたかを尋ねる方法もある。映像が、記憶の手がかりになる。
例外の行がゼロの規則集は、いつもどおりの日にしか働かない
集めた材料から、成功と失敗の事例を並べる。並べた事例から、規則を抜き出せる。
規則の形は、もし〇〇の状況なら、〇〇の対応をとる、である。
落とし穴は、規則集だけを新人に渡す場面にある。例外の行がゼロの規則集は、いつもどおりの日にだけ役に立つ。
熟練者の値打ちは、規則が通用しない日に出る。規則集だけを持つ新人は、規則が通用しない日に頼るものを失う。
手当ては一つ。規則の一行ごとに、規則が通用しなくなる合図を一つ書き添える。
例外の問いで集めた答えが、そのまま合図の材料になる。
書き残した例外をAIに渡さなければ、AIは一般論で穴を埋める
言葉にした手がかり、例外、規則は、GPTs(ChatGPTを自分用に作り替えたAI)の材料になる。
言葉にできた範囲の外を、AIは一般論で埋める。例外を教えていないGPTsは、規則が通用しない日の質問にも、もっともらしく答える。
聞き取りで集めた例外は、GPTsの合図に使える。設計の要は、合図に当てはまった質問を熟練者へ回す指示である。
熟練者へ回す指示が、一般論の穴埋めを止める。
次の文面のかっこの中を、自分の仕事に書き換えて使えばよい。
役割:あなたは(例:プレス工程の検査)の相談役です。
規則:(例:部品の端にバリが光ったら、機械を止める)
合図:(例:新しい材料を使う初日は、規則が外れることがあります)
お願い:質問が合図に当てはまったら、答える前に「(例:検査班長)に確かめてください」と書き添えてください。
新人に渡すべきだったのは、三つの理由より一つの問いだった
三つの理由は、検査員が質問の場で組み立てた説明だった。新人が覚えたのは、熟練者が実際に見ていた手がかりではなく、後から組み立てた説明である。
冒頭の担当者が聞くべきだった問いは、「なぜ」より「止める直前に、何が目に入りましたか」だった。
出典
- Nisbett, R. E., & Wilson, T. D.「Telling more than we can know: Verbal reports on mental processes」Psychological Review 84巻3号、1977年 https://web.math.princeton.edu/~sswang/literature_general_unsorted/Nisbett-Wilson-PsychologicalReview1977.pdf
- Yates, K. A., Feldon, D. F., & Clark, R. C.「Using cognitive task analysis to capture expert knowledge and skills for research and instructional design」米国教育学会(AERA)年次大会の講習、2011年 https://digitalcommons.usu.edu/itls_facpub/454
拙著『ChatGPT 誰でも1時間でできる! はじめてのGPTsのつくり方』の3章7節「考えるGPT」に、この記事の考え方を書きました。読むと、説明しにくい自分の基準を、AIの出したたたき台への違和感から掘り出せるようになります。
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画面や機能の記述は2024年時点のものです。仕事を分解し、基準を言葉にする考え方は今も変わりません。

