言語化の練習でつまずく人が見落としていること:三か月書いた日記を読んだのは、書いた新人一人だった

新人の社員が、三か月のあいだ毎日日記を書いた。言語化の練習のつもりだった。

研修の発表の後、課長が聞いた。「結局、何が言いたかったの」。

三か月、一日も欠かさずに書いた。それでも、言いたいことは課長に届かなかった。

量が足りなかったのか、書き方が悪かったのか。三か月の練習は、どこで空回りしたのか。

書いた本人が読み返しても、穴が見つからないのはなぜか

日記を書けば、読み返す。読み返すたびに、意味は通る。

書き手は、自分の文脈で穴を埋めながら読む。抜けた前提は、読む途中で、書き手の頭が勝手に補う。

自分の文章を自分で確かめるのは、鏡を見る前に、手で寝ぐせを確かめるのと同じだ。手で触った感じと、人から見える形は別物である。

心理学には、知る側と知らない側のずれを数字で示した実験がある。1990年に、エリザベス・ニュートンが行った実験だ。

叩き手は、誰もが知る曲のリズムを指で叩く。聞き手は、リズムだけを頼りに曲名を当てる。

叩き手は、聞き手の半分が当てると予想した。当たったのは、120回のうち3回、2.5%である。

予想は50%、結果は2.5%。知識の呪いと呼ぶ現象の例として、心理学の解説でよく引く実験だ。

叩き手の頭の中では、曲が鳴っている。聞き手の耳に届くのは、指で叩く音だけである。

新人の日記も、同じ構図にある。三か月分の日記を読んだのは、書いた新人一人だった。

受験者と採点者が同じ人の試験である。何度読み返しても、穴は一つも見つからない。

一人で書き続けるかぎり、日記の冊数だけが増える。「結局、何が言いたかったの」は、次の発表でも繰り返される。

言語化能力の正体は、相手の頭の中で決まる力だ

日常では、言語化能力を、すらすら話す力と受け取りがちだ。分かったかどうかを決めるのは、受け手の頭の中である。

言語化能力とは、頭の中のもやもや、アイデア、感情を言葉に表す力だ。言葉は、他の人が分かる形で届いて、はじめて役に立つ。

よく目にする練習法は、10のステップにまとまる。書いて整理する、話して磨く、場に出す、見直す、続ける、の五段だ。

言語化の10の練習は、書いて整理する、話して磨く、場に出す、見直す、続ける、の五つにまとまる

10のうち8つは、出す言葉の量や種類を増やす練習である。相手にどう届いたかを確かめる仕組みは、見直す段の中だけにある。

新人の日記は、出す量を増やす側の練習だった。届いたかを確かめる側は、三か月まるごと抜けていた。

空回りのカラクリは、ここにある。練習の成否は、書いた量より、聞き手が言い直した内容と自分の意図とのずれで決まる。

感想の代わりに頼むもの、三文の言い直し

では、読み手を一人つければ済むのか。感想をもらう練習でも、同じところでつまずく。

感想が教えるのは、聞き手の好みだ。分かりやすかった、という感想を聞いても、聞き手が何を分かったのかは謎のまま残る。

説明の後に、感想の代わりに言い直しを頼む。手順は四つだ。

  1. 言いたいことを話すか書く
  2. 聞き手が、理解した内容を自分の言葉で三文にまとめる
  3. 自分の意図と、聞き手が言い直した内容を並べる
  4. ずれた箇所から、言い残した前提を探す

ずれは、練習のいちばんの材料である。言い直しが自分の意図より広ければ、対象を限る言葉を足す。

言い直しが別の話にすり替わっていれば、何のための話かを先に言う。

自分の意図と、聞き手が三文で言い直した内容を並べると、ずれた箇所が、言い残した前提の目印になる

四か月目の日記に、一人目の読み手をつける

新人が、四か月目も一人で書き続けたとする。日記は増えても、ずれを映す鏡は一枚もない。

とはいえ、毎日だれかに付き合ってもらうのは大変だ。ChatGPTなどのAIを、一人目の読み手にする。

次のプロンプトのかっこの中を、自分の文章に書き換えて使う。

これから、(例:ある記事の要約)を三文で書きます。
読んだ内容を、あなたの言葉で三文に言い直してください。
私の文章に書かれた範囲の外を補ったり推測したりした箇所には、印を付けてください。
返答は、三文の言い直しと印だけにしてください。

要は、補った箇所に印を付けさせる一文だ。AIが補った箇所は、書き手が言い残した前提の目印になる。

AIが文章を直して返すと、自分の言葉を探す練習は、受け取った時点で終わる。返答を言い直しと印に限るのは、練習を続けるためだ。

AIは、欠けた部分を平均的な推測で埋める。人なら首をかしげる文章も、すんなり言い直すことがある。

回数はAIで稼ぐ。ときどき人に言い直してもらい、答え合わせをする。

課長の一言は、三か月で初めて届いた読み手の声だった

三か月のあいだ、新人の日記に言い直しを返す人はいなかった。課長の問いが、最初の手応えである。

「結局、何が言いたかったの」は、ずれの在りかを指す声だった。

あの新人に要ったのは、四か月目の日記より、一人目の読み手だった。

出典

拙著『ChatGPT はじめてのプロンプトエンジニアリング』の8章3節「音声認識・対話」に、この記事の考え方を書きました。読むと、AIに前提や矛盾を一問一答で突いてもらい、自分の言葉のずれを映す問いを組み立てられるようになります。

AIの答えが物足りないとき、疑うべきはAIか、自分の言葉か。

ChatGPT はじめてのプロンプトエンジニアリング 表紙

『ChatGPT はじめてのプロンプトエンジニアリング』

AIは言葉でしか動かない。プロンプトを暗記するのをやめ、構成要素に分解して、自分の言葉で意図を込める力を鍛える本です。

読み終えたとき、手元に残るもの

  • 必須、任意、形式の三つに分けたプロンプトの構造
  • 回答の質を変える、意図を込めた生きたプロンプト
  • 発注と検収は人が担う、AIとの役割分担
  • 章末の演習プロンプト26題

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