同じ「しょこう」を区別せずに使う職場では、締め切りの前日に、送ったはずのものと待っていたものが別物だったと分かります。初稿は著者が書いて出す原稿、初校は出版社が組んで返す校正刷りです。この記事では、この区別を手がかりに、AIが書いた下書きは著者の稿ではなく、構造の上では校に近いものとして読むべきだ、という見方を示します。
稿は書いた人が持ち、校は組んだ側から戻ってくる
| 項目 | 稿(こう) | 校(こう) |
| 出す人 | 著者から出版社へ | 出版社(編集、制作)から著者へ |
| 対象物 | 原稿(文章データ、手書き原稿など) | 校正刷り(ゲラ、組版後の紙面) |
| 段階の名前 | 初稿、再稿、最終稿 | 初校、再校、三校、念校 |
| 漢字の意味 | 草や藁を積んだもの、つまり下書き | 比べて正す、照らし合わせる |
稿は著者が書いた文章の版の名前で、校は誰かが組んだものを著者が元の原稿と照らし合わせて正す工程の名前です。違いは、誰が作ったかと、何と照らし合わせるかにあります。
AIの下書きは、自分の稿と呼んだ瞬間に読む目がゆるむ
AIに章の下書きを書かせると、多くの人はそれを自分の初稿と呼びます。けれども作ったのは自分ではありません。他人が作ったものを著者が確かめるという関係は、稿ではなく校の側にあります。AIの下書きを自分の初稿と呼ぶのは、他人が組んだゲラを自分の原稿と呼ぶのと同じで、自分の書いたものだと思った途端、読み直す目が一段ゆるみます。
しかも校には、照らし合わせる元があります。著者の原稿です。AIの下書きには、それがありません。照らし合わせる原稿のない校正は、答案のない採点です。何が正しいかを決める基準が、読む人の気分に置き換わってしまいます。
照らし合わせる元を、先に自分で書いておく
そこで、下書きを頼む前に、校正の基準になる短い原稿を自分で書きます。読者は誰か、この章で何を言い切るか、見出しはいくつか、どの具体例を使うか。数行で構いません。
この章の下書きを書いてほしい。読者は初めて本を書く人。この章で言い切りたいのは、稿と校は作った人と照らし合わせる元が違う、ということ。見出しは3つ。2,000字程度で、具体例を1つ入れて
返ってきた文章は、この数行と照らし合わせて赤字を入れます。言い切りたいことからずれた段落、頼んでいない例、根拠の書かれていない断定。直す理由を添えて差し戻せば、次の版は再校のように読めます。
この見方が当てはまらない場面もあります。自分で書いた文章の誤字や言い回しだけをAIに直させるなら、それは今も自分の稿です。どこからが自分の稿で、どこからがAIの校なのか。その線は、作業の途中で何度も動きます。
最近AIに書かせた文章のうち、頼む前に、照らし合わせる元になる数行を自分で書いていたものはいくつあったでしょうか。
この記事の背景にある考え方は、拙著『ChatGPT はじめてのプロンプトエンジニアリング』の1章の節「AIとのつきあい方: スマイルカーブ理論」に書きました。何を作らせるかという発注と、期待どおりかを確かめる検収を人間が担う役割分担を示し、「つまり、AIが生成したコンテンツに対して責任を負うのは私たち人間です。」と書いています。この節を読むと、AIの出したものを差し戻すかどうかを決める目利きを、自分がどこで働かせているかを考えられるようになります。
AIの答えが物足りないとき、疑うべきはAIか、自分の言葉か。
『ChatGPT はじめてのプロンプトエンジニアリング』
AIは言葉でしか動かない。プロンプトを暗記するのをやめ、構成要素に分解して、自分の言葉で意図を込める力を鍛える本です。
読み終えたとき、手元に残るもの
- 必須、任意、形式の三つに分けたプロンプトの構造
- 回答の質を変える、意図を込めた生きたプロンプト
- 発注と検収は人が担う、AIとの役割分担
- 章末の演習プロンプト26題
4刷重版。全国の大学図書館65館が所蔵しています(2026年10月時点)。

