担当者が、社内の問い合わせ記録をAIの検索にかけた。探したのは「解約したい」という声だった。
上位に並んだ記録に、「解約を思いとどまった」という声が混ざっていた。
故障ではない。検索の仕組みは、正しく動いていた。
結論が正反対の二つの声は、なぜ隣どうしに並んだのか。
暑いと寒いは、AIの地図で隣に並ぶ
「暑い」と「寒い」は、反対の意味の言葉だ。ところが、AIの中の言葉の地図では、二つは近くに置かれやすい。
二つの言葉を囲む言葉を並べてみる。今日は、とても、季節、気温。
並んだ言葉は、ほぼ同じ顔ぶれだ。
「犬」と「猫」も同じである。飼う、えさ、散歩、かわいい。
二つとも、同じ言葉と一緒に出てくる。
モデルは、同じ言葉に囲まれた言葉どうしを空間の近くに置く。反対の意味の言葉も近くに置きやすいのは、研究者がよく知る性質である。
近さの程度は、モデルと学習のしかたで違う。近さと意味の一致は、別のものだ。
地図の上の隣人は、意味の仲間とは限らない。
ベクトル空間の近さの正体は、使われ方の近さだ
ふだん、意味が近いと言えば、言い換えがきくことを指す。
ベクトル空間の近さは、別のものを測る。二つの言葉が、どれだけ似た言葉と一緒に出てくるかである。
土台には、一つの考え方がある。似た文脈に現れる言葉は、似た意味を持つ。
大規模言語モデル(LLM)は、言葉を数百から数千の数の組(ベクトル)に変える。変えた言葉を、広い空間の一点に置く。
言葉を数の組に変える技術を、エンベディング(埋め込み)と呼ぶ。
地図の位置は、東西と南北の二つの数で決まる。768次元の空間なら、768個の数で一つの言葉の位置が決まる。
2013年に、MikolovらがWord2Vecを提案した。
「王」から「男」を引いて「女」を足すと、「女王」に近くなる。Word2Vecで有名な計算だ。
使われ方が似ていれば、意味が逆でも隣に来る。解約の二つの声も、同じ言葉に囲まれていた。
思いとどまった、の一語を足しても、声の位置は半歩しか動かない
いまのLLMは、同じ言葉でも、前後の文脈によって違う位置に置く。電話を「かける」と眼鏡を「かける」は、別の位置に置く。
解約の声も、前後の言葉で位置が少し動く。
ところが、思いとどまった、の一語が加わっても、周りの言葉の大半は同じだ。二つの声は、近い位置にとどまる。
一語で結論が逆転しても、声の位置は地図の上で半歩しか動かない。
ベクトルで探す検索は、二つの声を、同じくらい近い候補として並べることがある。反対の内容が上位に混ざっても、仕組みは正しく動いている。
上位の結果をそのまま数えれば、解約したい声の数に、逆の声が紛れ込む。
仕組みが正しいぶん、誤りは表に出ない。故障なら気づけるが、正しい動きの中の混入には気づきにくい。
結論を逆にする言葉は、自分で書いて渡す
AIは、こちらの言葉を置いた位置の周りから、答えを組み立てる。
打ち消し、条件、立場。三つとも、使われ方が似ていても結論を逆にする要素である。
あいまいな言葉のままだと、位置の違いはわずかだ。
何を探したいのか。どちらの立場の資料がほしいのか。
二つの問いへの自分の答えを、前提として一文で書いて渡す。
次の文面のかっこの中を書き換えて使う。
(例:問い合わせ記録)から、(例:解約したいという声)を探してください。
探す声:(例:これから解約を申し込む意思のある声)
外す声:(例:解約を思いとどまった声、解約の手続きを質問しただけの声)
並べ方:(例:一件ずつ、探す声に当たる理由を一行で添える)
外す声を書く一行が、地図の上の半歩を補う。答えがどこまで変わるかは、試して確かめる。
AIに探しものや答えを頼むときは、三つを書いて渡す。探すもの、外すもの、立場だ。
「解約したい」の隣に、いた声
「解約したい」の隣にいたのは、「解約を思いとどまった」声だった。地図は、使われ方の近さで正しく並べていた。
外す声を一行書くだけで、隣人を上位から外す手がかりになる。
この記事の考え方は、拙著『ChatGPT はじめてのプロンプトエンジニアリング』の2章1節「プロンプトの重要性と設計方針」に書きました。この節を読むと、否定や条件や立場のように伝わりにくい要素を、プロンプトのどこで言葉にするかを考えられるようになります。
AIの答えが物足りないとき、疑うべきはAIか、自分の言葉か。
『ChatGPT はじめてのプロンプトエンジニアリング』
AIは言葉でしか動かない。プロンプトを暗記するのをやめ、構成要素に分解して、自分の言葉で意図を込める力を鍛える本です。
読み終えたとき、手元に残るもの
- 必須、任意、形式の三つに分けたプロンプトの構造
- 回答の質を変える、意図を込めた生きたプロンプト
- 発注と検収は人が担う、AIとの役割分担
- 章末の演習プロンプト26題
4刷重版。全国の大学図書館65館が所蔵しています(2026年10月時点)。

