製品会議で、一冊の報告書が配られた。題には、顧客中心で優先順位をつけたとあった。
参加者の一人が、巻末の採点表を開いた。
重みは、収益に50%。顧客満足に10%。
報告書の題とは逆に、順位を動かしていたのは収益だった。
では、報告書の上位に並んだ顧客の痛みは、誰が、どの物差しで選んだのか。
数えられるのは、対価を払える人の痛みだけ
順位の前に、何を痛みとして数えるかで、見える顧客の範囲はもう狭まっている。
手作業の勤怠計算は、ペインの一例だ。
顧客が抱える課題や不満のうち、解決に対価を払ってもよいほど深刻なもの。それをペインポイントと呼ぶ。
対価には、お金に加えて、時間、手間、気持ちのエネルギーも含む。
ふだん言う不満より、範囲は狭い。問題がもたらす苦痛のコストが、解決策のコストを上回ったものだけを指す。
似た言葉のゲインとは、向きが逆である。
ペインの解決は、顧客を不満のマイナスからゼロへ戻す。ゲインの提供は、ゼロから期待以上のプラスへ引き上げる。
ペインの定義の中に、すでに一つの前提が入っている。数えられるのは、対価を払える人の痛みだけだ。
定義を採用した時点で、どの顧客の世界を見るかが決まる。
手法ごとに、上に来る痛みが違う
カラクリは、計算の手前にある。ペインの優先順位付けは、中立な計算に見える。
だが、どのペインが上に来るかは、物差しを選び、重みをつけた段階で決まる。
見つけたペインのうち、同時に取り組める数は限られる。順位をつける手法は、いくつもある。
価値と労力のマトリクス。ICEスコア(影響、確信度、容易さ)。ICEに到達度を加えたRICEスコア。
加重スコアリング、狩野モデル、MoSCoWも使われる。
どの物差しも、何かを重く見るように作られている。
RICEは、Intercomという会社が2018年に公開した手法だ。到達度は、一定の期間に何人へ影響するかを数える。
到達度を掛けるRICEでは、多くの人が少しずつ感じる痛みが上に来やすい。
少数の人が深く苦しむ痛みは、沈みやすい。
容易さを含むICEと、価値と労力のマトリクスでは、すぐ直せるペインが有利になる。
構造的で、直すのに時間のかかるペインは、後回しになりがちだ。
上位の痛みは、作る側の都合で上がったのかもしれない
しかも、労力を見積もるのは、たいてい作る側の人である。
RICEは、労力で全体を割る。作る側が労力を大きく見積もれば、その痛みは順位を下げる。
確信度の項目は、データのそろったペインを優遇する。
配られた報告書の上位も、同じ仕組みで並んだのかもしれない。
直しやすく、データがそろい、収益に効く痛み。顧客中心の題の下で、上位を占めかねないのは作る側の都合だ。
手法の選択は、どんな顧客のどんな痛みを優先するかを決める。立派な戦略の意思決定だ。
偏りを、掲げた方針と並べて読む
偏りが悪いとは限らない。
利用者の多いサービスで、小さな摩擦を減らすのが最優先だとする。RICEの偏りは、狙いどおりに働く。
問われるのは、偏りが方針と合っているかどうかである。
手順は三つ。まず、手法で順位をつける前に、手法が有利にする痛みを書き出す。
次に、書き出した偏りを、掲げた方針と並べる。
方針と重みが食い違えば、実際の意思決定は重みの側で動く。食い違いがあれば、重みを方針に合わせて直す。
最後に、物差しを選んだときの前提を、見直せる形で書き残す。
方針が変わったら、書き残した前提と重みを並べて読み直す。
顧客中心の本音は、巻末の数字にある
配られた報告書の題を、もう一度読む。顧客中心で優先順位をつけた、とある。
巻末の重みを、もう一度読む。収益に50%、顧客満足に10%。
題を信じる前に、巻末を開く。会社の本当の戦略は、50%と10%の数字に書いてある。
この記事の考え方は、拙著『GoogleのAI NotebookLM 意思決定の強化書』の4章3節、原則と評価基準を分けて作る節に書きました。この節を読むと、掲げた方針と実際に使う重みのあいだにずれがないかを、自分の組織の採点表で確かめられるようになります。
同じ資料を見ているのに、なぜ結論が割れるのか。
『GoogleのAI NotebookLM 意思決定の強化書』
前提が結論を決める。意思決定を根拠、前提、結論の三層に分け、前提を対象、目的、制約、評価基準の四つで言葉にする本です。
読み終えたとき、手元に残るもの
- 意思決定の設計図になる前提リスト
- 資料を事実、意見、噂、ゴミに仕分けるFORT
- 同じ物差しで比べる選択肢表と採点表
- 始める条件と止める条件を書いた決定書
NotebookLMは2026年7月にGemini Notebookへ名称が変わりました。本の手法は、使うAIの種類を問いません。

