定義と概念的枠組み
白色テロ(White Terror)とは、一般的に右派・保守派・反革命勢力によって行われる組織的な政治的暴力や弾圧を指します。この用語は、フランス革命後の王政復古期(1815-1830年)に起きた反革命的暴力行為を指す「白色恐怖」(La Terreur Blanche)に由来します。「白色」という言葉は、多くの場合、王党派やブルボン家の象徴であった白色の旗に関連付けられています。
白色テロの特徴としては以下が挙げられます:
- 政府または政府支持派による弾圧
- イデオロギー的動機(共産主義や左派思想への敵対)
- 系統的な暴力と迫害
- 政治的反対派の抑圧や排除
- 恐怖を通じた社会統制
白色テロは、「赤色テロ」(Red Terror)すなわち革命勢力や左派による暴力的弾圧と対置される概念です。両者はしばしば革命後の権力闘争や内戦の文脈で発生します。
歴史的起源と展開
フランスにおける起源(1794-1795年)
白色テロの概念は、フランス革命におけるジャコバン派の恐怖政治(赤色テロ)の終焉後、ロベスピエールの処刑(1794年7月28日)に続いて発生した反動期に遡ります。この期間、革命派に対する報復的暴力が南フランスを中心に発生しました。王党派の暴徒集団「Company of Jesus」や「Company of the Sun」などが革命支持者を襲撃し、数百人から数千人が犠牲となりました。
復古王政期の白色テロ(1815-1830年)
ナポレオン戦争後のブルボン朝復活(1815年)に伴い、フランスでは再び白色テロが発生しました。特に南フランスでは、旧共和派や帝政支持者に対する暴力が横行し、元帝国軍将校や革命支持者が標的となりました。この時期の著名な犠牲者には、元帝国軍元帥のネイ元帥や、プロテスタントの指導者フランソワ・ブルゲが含まれています。
20世紀の主要な白色テロ事例
ロシア内戦(1917-1922年)
ロシア革命後の内戦中、反ボリシェヴィキの「白軍」は、赤軍(ボリシェヴィキ)との戦いの中で大規模な白色テロを実行しました。デニキン将軍やコルチャック提督などの白軍指導者の下で、ユダヤ人に対するポグロム(組織的迫害)や、共産主義者とその支持者に対する大量処刑が行われました。
フィンランド内戦(1918年)
フィンランド独立後の内戦では、白軍(保守派)が赤軍(社会主義者)に勝利した後、大規模な白色テロが発生しました。約8,000人の赤軍支持者が処刑され、さらに約12,000人が収容所で飢餓や疾病により死亡したと推定されています。
中国国共内戦と白色テロ(1927-1949年)
1927年4月12日、蒋介石率いる国民党は共産党との統一戦線を破棄し、上海で共産党員や労働運動家に対する大規模な弾圧(「上海クーデター」または「四・一二クーデター」)を実行しました。この出来事を皮切りに、国民党統治下の中国全土で共産党員や左派知識人に対する弾圧が拡大し、数万人が処刑されました。
台湾の白色テロ(1947-1987年)
1947年の二二八事件に続き、国民党政権は台湾で「白色テロ」と呼ばれる戒厳令下の弾圧を実施しました。特に1950年代から1960年代にかけての「白色テロ」期間中、反政府活動の疑いのある人々が大規模に逮捕・処刑され、約140,000人が逮捕され、3,000人から4,000人が処刑されたとされています。この弾圧は台湾の政治的発展に長期的な影響を与えました。
スペイン内戦と白色テロ(1936-1975年)
スペイン内戦(1936-1939年)でのフランコ派の勝利後、左派支持者に対する組織的な弾圧が行われました。内戦中および戦後、フランコ体制下で約200,000人から400,000人が処刑または投獄されたと推定されています。この弾圧はフランコ死去(1975年)まで継続しました。
ギリシャ内戦後の白色テロ(1946-1949年)
第二次世界大戦後のギリシャでは、共産主義者と政府軍の間で内戦が発生しました。政府側の勝利後、左派支持者に対する大規模な弾圧が行われ、約100,000人が強制収容所に送られ、数千人が処刑されました。
インドネシアの共産党弾圧(1965-1966年)
1965年、スハルト将軍主導の下、共産党員とその支持者に対する大規模な弾圧が行われました。この「インドネシア虐殺」では、約50万人から100万人が殺害されたと推定されています。これは冷戦期における最大規模の政治的虐殺の一つとして記録されています。
南米の「汚い戦争」(1960年代-1980年代)
アルゼンチン(1976-1983年)、チリ(1973-1990年)、ブラジル(1964-1985年)などの南米諸国では、軍事政権による左派活動家や知識人に対する組織的な弾圧が行われました。特にアルゼンチンでは、約30,000人の「行方不明者」(desaparecidos)が生み出されました。
白色テロの理論的分析
国家テロリズムとしての白色テロ
政治学者のテッド・ロバート・ガーによれば、白色テロは国家テロリズムの一形態と見なすことができます。国家が自国民に対して恐怖を用いて政治的統制を確立する手段として機能するという点で、通常のテロリズムとは区別されます。
革命と反革命のダイナミクス
歴史社会学者のチャールズ・ティリーやスコッチポルは、革命と反革命のサイクルの中で白色テロと赤色テロが相互に関連して発生することを指摘しています。革命的暴力(赤色テロ)への反動として白色テロが発生し、さらなる暴力の連鎖を生み出すパターンが観察されます。
集合的記憶と政治的トラウマ
白色テロの経験は、被害者コミュニティの集合的記憶とアイデンティティ形成に深い影響を与えます。台湾やスペインなどの社会では、白色テロの記憶が何世代にもわたって政治的言説や社会運動の背景となっています。
現代的意義
移行期正義の課題
民主化移行後の社会では、白色テロの遺産にどう向き合うかが重要な政治的課題となります。台湾やスペイン、南米諸国では、真実和解委員会の設立、被害者への補償、歴史教育の見直しなど、様々な移行期正義の試みが行われています。
台湾では、2018年に「促進転型正義条例」(移行期正義促進法)が制定され、白色テロの歴史に対する公式な調査と被害者への補償が進められています。
歴史修正主義との闘い
一部の国々では、白色テロの歴史を矮小化または正当化しようとする歴史修正主義的な動きも見られます。これに対して、市民社会や学術界からは、歴史の正確な記録と教育の重要性が強調されています。
権威主義回帰と白色テロの再来の懸念
近年の世界的な民主主義の後退と権威主義の台頭の中で、一部の地域では政治的弾圧の再来が懸念されています。フィリピンのドゥテルテ政権下での「麻薬戦争」や、ブラジルのボルソナロ政権下での先住民活動家への弾圧など、白色テロの現代的形態とも解釈できる事例が報告されています。
デジタル時代の白色テロ
現代社会では、物理的暴力だけでなく、サイバー攻撃、オンライン監視、デジタル検閲など、新たな形の政治的弾圧が登場しています。これらは従来の白色テロと比較してより見えにくい形で機能することがあります。
学術的議論と論争点
定義をめぐる論争
「白色テロ」という概念の範囲や適用条件については、学術界でも議論があります。特に、国家による組織的暴力すべてを白色テロと呼ぶべきか、あるいは特定のイデオロギー的背景(反共産主義など)を持つものに限定すべきかという点で見解が分かれています。
犠牲者数の推定をめぐる論争
多くの白色テロ事例では、正確な犠牲者数の推定が困難であり、政治的立場によって大きく異なる数字が提示されることがあります。例えば、台湾の白色テロの犠牲者数や、インドネシアの1965年虐殺の犠牲者数については、研究者間で大きな開きがあります。
集合的記憶と和解のアプローチ
白色テロの歴史とどう向き合うかについては、「真実と正義」を重視するアプローチと「和解と未来志向」を重視するアプローチの間で緊張関係が見られることがあります。スペインの「忘却協定」(pacto del olvido)のような事例は、過去の暴力の記憶を積極的に抑制するという選択をめぐって議論を呼んでいます。
結論
白色テロは、単なる歴史的現象ではなく、現代社会にも多くの教訓と警告を提供する概念です。権力の乱用、政治的暴力の連鎖、そして恐怖を通じた社会統制のメカニズムを理解する上で重要な分析枠組みを提供します。
歴史的な白色テロの事例を研究することは、民主主義の脆弱性と、それを守るために必要な制度的・文化的基盤について深い洞察を得ることにつながります。また、過去の暴力の記憶をどう扱い、被害者の尊厳を回復しながら社会的和解を進めるかという、現代社会が直面する重要な課題にも光を当てます。
白色テロの歴史は、政治的対立が極端な暴力へと発展する危険性を常に警戒し、民主的価値観と人権尊重の文化を育むことの重要性を私たちに思い起こさせるものです。



