同一律

1. 同一律とは何か

1.1 定義と概要

同一律とは、論理学における基本三大原則 (同一律・矛盾律・排中律) の一つであり、「あらゆる命題や対象は、それ自体と同一である」とする原則です。古典論理ではしばしば「\(A\) は \(A\) である」(“\(A\) is \(A\)”) と表現され、これはもっとも単純であるがゆえにあまりにも当たり前のように思えますが、論理体系や推論の構築において根底にある大前提の一つです。

記号的には以下のように示されます:

\[
A = A
\]

しかし、ここで言う「\(=\)」は算術的な等号や、単なる数学的同一性を指すというよりは、「いかなる対象も、少なくとも推論の文脈においては、それ自身と区別がつかない(または区別する必要がない)」という概念的・論理的同一性を意味します。

言い換えれば、論理学の世界では「同一の対象」は「同一の性質」を持つはずであり、それを自明として扱うのが同一律です。「対象 \(A\)」と「対象 \(A\)」は別の記号であっても実質的には同一である、という当たり前のようでいて根源的な原則を明文化したものと考えることができます。

1.2 同一律の位置づけ

伝統的にアリストテレス以来、論理学の基本法則としては以下の三つがよく挙げられます。

  1. 同一律 (Law of Identity): 「\(A\) は \(A\) である」
  2. 矛盾律 (Law of Non-Contradiction): 「\(A\) と \(\lnot A\) は同時に真ではあり得ない」
  3. 排中律 (Law of Excluded Middle): 「\(A\) または \(\lnot A\) のどちらか一方は必ず真である」

これらは英語圏では「the Three Classical Laws of Thought」と呼ばれます。このうち「同一律」は最も自明に見えるが、だからこそ歴史的には奥深い議論がなされてきました。「対象はその対象自身と必ず一致する」というのは直感的に明白に思えますが、論理構造を厳密に考える中では「同一性(identity)」の概念、あるいは「対象とは何か」という問いが哲学における大問題と結びつくからです。


2. 同一律の歴史的背景と発展

2.1 アリストテレス以前

論理学的な思考は紀元前から行われていました。古代ギリシアのパルメニデスやヘラクレイトスなどの哲学者たちは、存在や変化といった抽象的なテーマを扱いながら、「同一とは何か」「変化は同一性を破壊するのか」などを検討し続けていました。

  • パルメニデス: 「存在するものは唯一であり、変化はありえない」と主張した際、「同一である」という概念を神秘的な形で扱った。
  • ヘラクレイトス: 万物は流転し、同じ川に二度と入ることはできないと主張。ここでは「同一物は連続的な変化においても同一たりえるのか」という問いが浮上する。

このような問題意識が後にアリストテレスに受け継がれ、論理学と形而上学の体系化へとつながります。

2.2 アリストテレスと同一律

アリストテレスは『オルガノン』(Organon) と呼ばれる論理学関連の著作群などで、論理学の基礎を体系化し、以下のように言及しています(ただしアリストテレス自体が「同一律」という用語を明示的に使ったわけではなく、後世の解釈による概念整理です):

「あるものがそうであるならば、それはそのもの自体と区別されない。」

これは言い換えれば、「ある事柄を記述するのに用いる概念や判断は、必ずそれ自身と同じ事柄を指す」とする、もっとも基本的な思考規則です。

2.3 中世スコラ哲学と同一律

中世ヨーロッパのスコラ哲学の時代には、アリストテレスの体系が神学や哲学全般の基盤となりました。同一律のような基本原理は神学的議論にも応用され、「神の本質は神自身と同一である」など形而上学的な議論にも盛んに用いられました。

トマス・アクィナスなどの重要人物は、「同一律を否定することは論理的にできない」という主張を、神学的背景とも絡めながら展開しました。「同一性を否定するとは、対象が自身以外のものと同一であると言うに等しい。それは矛盾そのものである」といった趣旨です。

2.4 近世以降の発展

ルネ・デカルト、ライプニッツ、スピノザ、カントなど、近世・近代哲学において同一性は多角的に検討されました。特にライプニッツは「同一性」は対象固有の「充足理由律」(Sufficient Reason)や「識別不能者同一の法則」(Identity of Indiscernibles)と密接に関連すると主張し、論理学・数学・形而上学の三位一体的思考の中で深く考察しています。

  • ライプニッツの識別不能者同一の法則: 「全ての性質において一致する二つの対象は区別がつかないので、実は同一である」という有名な原則。これは同一律をさらに強化したような言明とされます。

近代論理学(いわゆる記号論理学)の創始者ゴットローブ・フレーゲや、バートランド・ラッセル、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインなども、命題論理・述語論理・集合論・数学基礎論などを通じて「同一性」概念の扱いを厳密化しようと試みました。

  • フレーゲ: 同一性の問題を「概念記法」と結びつけつつ、言語的意味論にも深く関わらせた(「朝の星と夕べの星」の例で有名)。
  • ラッセル: 同一性のパラドックスや自己言及的問題(ラッセルのパラドックス)において、「集合」と「同一性」の区別は極めてデリケートであると論じた。
  • ウィトゲンシュタイン: 『論理哲学論考』で、同一性は「対象の再記述以外の何物でもない」というような位置づけをし、「同一律」というものを論理のトートロジー(重言)として理解した。

このように歴史的に同一律は、基本原理としてあまりに自明視される反面、哲学的・論理学的に極めて奥深いテーマでもありました。


3. 同一律の哲学的・論理的意義

3.1 「同一」とは何を意味するのか

同一律は一見すると「\(A\) は \(A\) である」というトートロジー、つまり「当たり前すぎる主張」に思えます。しかし、そもそも「同一」とは何かという問いは奥深く、例えば以下のような観点が存在します:

  1. 数値的同一性 (Numerical Identity): まったく一つの対象として連続して存在していること。
  2. 質的同一性 (Qualitative Identity): 性質が完全に一致すること。

論理学の同一律は「数値的同一性」を想定している場合が多いと言えます。ある記号 \(A\) で表される対象と、同じく記号 \(A\) で表される対象が「同じ」だとする、最も根源的な理解です。質的同一性は「性質が同じ」対象を区別しない場合に用いられるので、ライプニッツが言及した「識別不能者の同一律」では、質的な同一性も含意している点が注目に値します。

3.2 同一律がなければどうなるか

もし同一律を認めない論理体系を考えた場合、ある命題 \(A\) と同じはずの命題 \(A\) が実は別の真理値をとりうるなど、非常に混乱した状況に陥ります。具体的には、「同じ記号が常に同じ対象を指示する保証」がなくなるため、論理的推論が成立しなくなります。

:
「\(A\) は真だと仮定する。すると、同じ \(A\) は偽である」
このような混乱を許容すると、何も整合的な議論ができなくなり、論理体系そのものが崩壊してしまいます。


4. 同一律の形式論理における扱い

4.1 命題論理と同一律

古典命題論理 (propositional logic) の場合、しばしば同一律は公理としては明示的に書かれません。なぜなら命題論理では「=」という同一性記号を扱わず、単に「\(p\) 」「\(q\)」などの命題記号を用いるからです。ただし、次のようにメタ論理のレベルで「同じ命題ならそれは同じ真理値をもつ」という前提が暗黙のうちに受け入れられています。それがまさしく同一律が根底で機能している証左と言えます。

4.2 述語論理と同一性公理

述語論理(predicate logic) の世界に入ると、「=」(イコール) を明示的に扱う拡張体系—しばしば「同一性付き述語論理」(First-Order Logic with Identity) と呼ばれる体系が検討されます。ここでは「同一性」(identity) という二項述語「\(=\)」が導入され、その公理として以下のような性質が追加されます:

  1. 反射律:
    \[
    \forall x\, (x = x).
    \]
    これはまさに同一律を形式化したものと言えます。
  2. 置換律:
    \[
    (x = y) \rightarrow (P(x) \leftrightarrow P(y))
    \]
    ただし \(P(\cdot)\) は任意の述語。この置換律(あるいは「慣用的拡張公理」)によって、同一の対象には同一の性質が成り立たねばならないという論理的帰結が導かれます。

この形式化によって、同一律は論理の根本法則として確立されつつ、推論を厳密に行うための道具立てとして使われています。

4.3 メタ数学における同一性概念

数学基礎論やメタ数学(ヒルベルトの形式主義、ゲーデルの不完全性定理などの研究領域)では「=」の扱いが議論の中心になることがあります。例えば、集合論 (ZFC) においては「外延性の公理」(Axiom of Extensionality) と関連して「同じ要素を持つ二つの集合は同一である」と規定され、これが事実上の同一律の集合論版とも言えます。


5. 哲学的論争と発展的トピック

5.1 同一性と変化(問題提起:テセウスの船)

古典的な哲学の例えとして有名なのが「テセウスの船」のパラドックスです。船の部品を一つずつ取り替え、最終的にすべての部品が取り替えられたとき、果たしてその船は「同じ船」と呼べるのか。これに対して、論理学的同一律そのものは「同じ記号で扱う限り、それは同じ対象とみなす」という立場をとりますが、現実世界の同一性は同一律だけで割り切れない場合があります。「本質」は何かという形而上学的問いが絡んでくるからです。

5.2 名称と指示 (Naming and Necessity)

ソール・クリプキ(Saul Kripke)の『名称と必然性』(Naming and Necessity) では、「同一性の必要性」(the necessity of identity) や「固有名と同一性」の関係が議論されます。「ある対象を指示する固有名が本当に同一対象を指しているとき、その対象は必然的にその対象自身である」という発想です。これはまさに同一律が言語哲学の観点でどのように成立し得るかを論じるもので、哲学的にはきわめて重要な議論となります。

5.3 ウィトゲンシュタインの視点

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』では、同一性に関して次のような示唆的な見解が示されることがあります。

「\(x = x\) は対象についてではなく、単に言語の表現の問題だ。なぜなら、同一律を主張することは、命題がトートロジーであるということに他ならない。」

ここでは、同一律を現実の対象の性質というより、言語体系や記号体系の中の「冗長な主張」とみなし、哲学的には「新しい情報を何も与えない命題」であると解釈する立場が紹介されています。


6. 同一律と関連する他の原則

6.1 矛盾律 (Law of Non-Contradiction)

矛盾律は「ある命題 \(A\) とその否定 \(\lnot A\) が同時に真であることはない」という原則。これも当たり前に見えますが、「対象が同時に自身でないものになり得る」という考えを排除する上で重要な原則です。同一律との関係で言えば、「\(A\) は \(A\) である。したがって、\(A\) が \(\lnot A\) であるはずがない」という自然な接続があります。

6.2 排中律 (Law of Excluded Middle)

排中律は「ある命題 \(A\) とその否定 \(\lnot A\) のいずれかは真である」という原則。直感的に「曖昧な第三の可能性はない」という考え方です。この原則と同一律を組み合わせると、「同一性の問題に第三の選択肢はない。\(A\) は \(A\)、そうでないなら別のもの」という捉え方もできます。ただし、直観主義論理では排中律を必ずしも受け入れないので、同一律を排中律とセットで必ず採用しなければならないというわけではないという点に注意が必要です。


7. 現代における応用例や関連議論

7.1 コンピュータサイエンス・型理論

プログラム言語理論や型理論では、同一性の概念がバリエーション豊かに現れます。例えばオブジェクト指向言語では「参照の同一性 (reference equality)」と「値の同一性 (value equality)」が別の概念として扱われたり、関数型言語でも「再帰型における同一性」が問題となるなど、実装上の多様な「同一」の定義があります。

7.2 数理論理学・モデル理論

モデル理論では、同一性付き一階述語論理を扱う場合、モデル(構造)の中で「同じ個体を指している」ことをどのように定義づけるかが重要になります。モデル理論においても同一性は最も基本的な概念であり、同一性公理によって「個体」は自分自身とだけ同一であるということが保証されます。

7.3 日常言語・政治・社会

「あなたはあなたらしくあるべきだ」などのスローガンや、アイデンティティに関する議論でも、同一律の考え方は背景にあります。個人の「自己同一性」を重視する心理学や社会学においても、同一律の論理的側面が直接参照されるわけではありませんが、言葉の根底には「同じものは同じものとして扱う」という原理が流れ込んでいると言えます。


8. まとめ:同一律の本質と重要性

  1. 論理学の基礎: 「\(A\) は \(A\) である」という自明とも言える命題が、論理体系を揺るぎないものにする大黒柱の一つである。
  2. 歴史的意義: アリストテレス以来の哲学・神学・科学の思考を支えてきた、もっとも伝統ある原則の一つ。
  3. 形式的意義: 現代論理学では「反射律」「置換律」として厳密に定式化され、推論規則の根幹を担う。
  4. 哲学的深さ: 同一性の問題は自己同一性、変化の問題、言語と指示の問題など、多くの哲学問題と結びつき、「自明」に見えて解明は容易ではない。
  5. 応用: 数学、コンピュータサイエンス、モデル理論など、幅広い分野で「同一性」をどう扱うかが重大な意味をもつ。

同一律の根本的意義は「論理とは何か、思考とは何か」を考えるうえで不可欠な第一歩であり、他の法則(矛盾律・排中律など)とともに私たちの理性の働きを支える基盤だと言えます。


9. さらに理解を深めるための文献・参考

  • アリストテレス
    『オルガノン』:「分析論前書」「分析論後書」「トピカ」など。
  • ライプニッツ
    “Discourse on Metaphysics” などで「識別不能者同一の法則」(Identity of Indiscernibles) を議論。
  • G. フレーゲ
    “Begriffsschrift” (1879) で概念記法を提案し、同一性を厳密に扱った。
  • B. ラッセル
    “Principia Mathematica” (A. N. ホワイトヘッドとの共著) で同一性を論理体系に組み込む扱いを探求。
  • L. ウィトゲンシュタイン
    『論理哲学論考』(Tractatus Logico-Philosophicus) で同一性を “nothing but the identity of the object signified” として論じる。
  • ソール・クリプキ
    “Naming and Necessity” (1972) で、固有名と同一性、必然性について広範な議論を展開。
  • W. V. オクウィン (Willard Van Orman Quine)
    “Word and Object” (1960) などで同一性と指示、翻訳の問題を論じた。
  • 同一性付き一階述語論理
    論理学の専門書、例えば Enderton の “A Mathematical Introduction to Logic” (1972) などで公理化について解説。

最後に

「同一律 (Law of Identity)」は、論理学・哲学・数学・日常思考のあらゆる局面で、根本的な基盤をなす大原則です。その表面的な単純さは「自明な命題」という印象を与えますが、物事の同一性を突き詰めると、存在論や形而上学にも及ぶ極めて深遠な問題へと接続します。

  • なぜ同一律が成り立つのか?
  • 何をもって「同一」とみなすのか?
  • 同一性が成り立たない状況(自己言及のパラドックスや連続的変化の事例など)で、論理はどう対応するのか?

これらの問いは人類が思考する限り続いていく、終わりなき探求の一端です。
同一律のような一見「当たり前」のことを自覚的に認識し、その意味や含意を掘り下げていくことこそ、論理学・哲学・科学の醍醐味といえるでしょう。