1. はじめに:デザイン思考とは何か
デザイン思考(Design Thinking)とは、主にイノベーションや問題解決を目的としたアプローチのひとつであり、人間中心(Human-Centered)の視点を最大限に取り入れている点が大きな特徴です。これまでのビジネス手法や問題解決のフレームワークは、数値データの分析や合理性を重視するものが多かったのに対し、デザイン思考では「人間が本当に必要としている価値は何か」「隠れたニーズや課題はどこにあるのか」といった、人の感情や行動心理に深く入り込むことを重視します。
- IDEOやスタンフォード大学 d.school などが代表的な発信源
- 英語圏では「Design Thinking」 が一般的
- 中国語圏では「设计思维」 と表記
- 日本語でも近年「デザイン思考」 という名称で定着
こうした異なる言語圏においても「人間中心」「創造性」「実験と学びのサイクル」をコアに据えている点は共通しています。

2. デザイン思考の基本原則・精神
2.1 人間中心 (Human-Centered)
デザイン思考の中心には、常に「使う人」「体験する人」がいます。モノやサービスを作るとき、まず自分たち(企業や開発者)の都合ではなく、ユーザーの視点・感情・行動を徹底的に理解しようとします。
2.2 共感と観察 (Empathy & Observation)
デザイン思考では、デスク上のデータ分析だけではなく、実際にユーザーに会い、行動を観察し、深いインタビューを行うなどして潜在的な課題を探し出します。そのとき大事になるのが、相手に対する共感の姿勢です。
2.3 素早い試作と学び (Rapid Prototyping & Iteration)
考えたアイデアを、まずは小さく素早く形にしてみることが重要です。完璧を目指すよりも、不完全でも早期にプロトタイプを作り、フィードバックを得ながらブラッシュアップすることを重視します。
2.4 創造性とコラボレーション (Creativity & Collaboration)
多様な専門性や視点を持つチームメンバーが協力しあい、新しいアイデアや解決策を生み出すことに大きな価値があります。デザイン思考は**「一人の天才のひらめき」ではなく「多様なメンバーの創造的な相互作用」**から生まれると捉える立場です。
2.5 不確実性を歓迎する (Embrace Ambiguity)
新しいアイデアの創出や問題解決を試みるとき、最初から正解が見えていることはほとんどありません。デザイン思考のプロセスは、この「分からない」「失敗するかもしれない」という不安定さを前向きに受け止め、試行錯誤を通じて理解を深めるプロセスを組み込んでいます。
3. デザイン思考プロセスの5つのステップ
デザイン思考を体系的に学ぶ上で、よく用いられるフレームワークが**「Empathize(共感)」「Define(問題定義)」「Ideate(アイデア創出)」「Prototype(試作)」「Test(テスト)」**の5ステップです。スタンフォード大学のd.schoolが示すプロセスをベースに、世界中の企業や教育機関、研究者らが参照・改良しながら活用しています。
3.1 Empathize(共感)
- ユーザー理解の出発点
- 現場観察、インタビュー、エスノグラフィ、サイレント・シャドーイングなどさまざまな手法を駆使して、**ユーザーの本音や行動の裏にある「潜在的なニーズや課題」**を探ります。
- 人の苦労や意外な使い方を発見すると、自分たちが想定していない価値がどこにあるのか気づくきっかけになることがあります。
- 共感マップ (Empathy Map) の活用
- ユーザーが「見ているもの」「聞いているもの」「考えていること」「感じていること」などを整理して、ユーザーの視点をチームで共有するためのツールです。
- ペルソナの作成
- 観察やインタビューから得られたデータをもとに、代表的なユーザー像(ペルソナ)を作成します。ペルソナに「名前」「職業」「趣味」「1日の行動」などの属性を与えることで、より共感しやすい対象としてチーム全員がイメージしやすくなります。
3.1.1 より深いEmpathizeのためのポイント
- 観察バイアスを減らす:先入観をなるべく排し、ユーザーの言動そのものを丁寧に見る。
- 5回のWhy:ユーザーがある行動をとったとき、「なぜ?」を繰り返し問いかけることで根本原因に迫る。
- 非言語情報の拾い上げ:表情、しぐさ、視線、ため息など、言葉以外の部分にも注意を払う。
3.2 Define(問題定義)
- 洞察(Insight)の抽出
- Empathizeで集めた大量の情報から、「真の問題はどこにあるのか」「ユーザーが本当に解決したいことは何か」を見出します。
- 時に、初期段階で想定していた課題とまったく別の課題を発見することもあります。
- 問題ステートメントの作成
- デザイン思考では、「○○なユーザーが△△という状況で苦労しているのは、□□という理由があるからだ」といった形で1文のステートメントを作成して問題を結晶化させます。
- このステートメントが次のアイデア創出のための的確な指針となります。
- フレーム化 (Reframe)
- 得られたインサイトをもとに課題を捉え直す作業を行います。言い換えると「問題の構造を変え、異なる視点から見る」ということです。
- 例えば「顧客が使いにくいUIを直す必要がある」から「顧客が使いやすいエクスペリエンスを実現するためには何が必要だろう?」と再定義するなど。
3.2.1 Defineを成功させるためのコツ
- ペルソナを明確に使う:ペルソナが抱える一番の困りごとは何かをピンポイントで考えられるようにする。
- 観察結果をジャンル分け:共通点や差異を探しやすくし、どの問題に注目すべきか優先順位を決めやすくする。
- 抽象度の調整:問題の定義が抽象的過ぎると次のステップでアイデアが広がり過ぎ、具体的過ぎると展開が難しくなる。程よいレベルを探る。
3.3 Ideate(アイデア創出)
- ブレーンストーミング(Brainstorming)
- 定番の手法ですが、ルールに基づいたブレストを行うのが大切です。よく言われる基本ルールは、**「批判をしない」「質より量」「どんな突拍子もないアイデアでも歓迎」「アイデアを組み合わせて発展させる」**など。
- 目安として時間制限を設け、短時間に大量のアイデアを引き出すことが重要です。
- ブレーンライティング(Brainwriting)
- ブレストが苦手なメンバーがいる場合、個人でアイデアを書き出してから共有するブレーンライティングも有効です。
- 特に内向的な人材のアイデアを埋もれさせない効果があります。
- アナロジー思考
- 全く別の業界や生物の特性などから着想を得る方法です。たとえば、動植物の優れた機能をヒントにしたバイオミミクリのように、異なる分野のアイデアをヒントに新しいソリューションを検討する。
- アイデアをまとめ、絞り込む
- 大量のアイデアを生み出したら、収束のフェーズに入り、最終的に複数の有力アイデアに絞り込みます。ここでも、評価基準(ユーザーの価値、実現可能性、ビジネス的な妥当性など)を明確にするとスムーズです。
3.3.1 Ideateを成功させるためのコツ
- 批判厳禁の空間作り:一見「非現実的」「くだらない」と思うアイデアほど、のちに革新的な突破口になる可能性がある。
- 視覚的ツールの活用:付箋やホワイトボード、イラストなどを使い、チーム全員がアイデアを俯瞰できるようにする。
- フレームワーク活用:SCAMPERや6 Thinking Hats、Lotus Blossomなど、アイデア創出用のフレームワーク・発想法を柔軟に使う。
3.4 Prototype(試作)
- 試作はできるだけ早く、ラフに
- 完成度にこだわりすぎると、時間とコストがかかり過ぎてしまうため、まずは紙でスケッチしただけのラフモデルでも構いません。
- サービスの概念検証(PoC)の場合は、簡易的な画面モックアップなどで十分です。
- プロトタイプで何を学びたいかを明確に
- プロトタイプは単なる「試作品」ではなく、「ユーザーからどんな反応や学びを得たいかを検証するための道具」です。
- たとえば「このUIのボタン配置は直感的にわかりやすいか?」といった明確な検証項目を設定します。
- 多様なプロトタイプのレベル
- 低精度プロトタイプ:紙、段ボール、簡単なスライドなど。コストを抑え、アイデア検証を気軽に実施できる。
- 中精度プロトタイプ:簡易アプリ、実際に操作可能なモックなど。より具体的な検証が可能。
- 高精度プロトタイプ:製品版に近い形で、実際にユーザーが操作できるもの。最終テストや投資判断の場面で利用される。
3.4.1 Prototypeを成功させるためのコツ
- 最小限の形を意識:本当に検証したいコア部分だけに絞り込む。
- 初期段階での失敗を歓迎する文化:早期にプロトタイプを作り、もし方向性が間違っていれば安いコストで気づける。
- 1つのアイデアにつき複数パターン:比較検討することで客観的な評価がしやすくなる。
3.5 Test(テスト)
- 実際のユーザーを巻き込む
- デザイン思考の大原則はユーザー中心なので、テストも実際に使う(使うであろう)ユーザーに参加してもらうことが不可欠です。
- リモートテストやユーザビリティテスト、インタビューなど多彩な方法が存在します。
- 定量・定性両面のフィードバック収集
- 定量的データ:ボタンのクリック率、操作ミスの回数、作業時間など。
- 定性的データ:使った感想、満足度、言葉では説明しにくい使いづらさなどの微妙なニュアンス。
- 学びを次のサイクルに反映
- テスト結果を受けて、プロトタイプを改良するか、アイデアそのものを練り直すか、あるいは問題定義を再考するか――次のアクションを決めて、再度プロセスを繰り返す。
- デザイン思考のプロセスは、**「線」ではなく「循環(サイクル)」**であることが多いのです。
3.5.1 Testを成功させるためのコツ
- フィードバックを歓迎する姿勢:否定的な意見も含め、ユーザーからの声はすべて改良の糧になる。
- 観察を怠らない:ユーザーがプロダクトを使う様子を観察し、行動や表情にどんな違和感があるかを見逃さない。
- 仮説検証:テスト前に「この部分が本当に機能するか?」という仮説を明確にしておくと、評価がより正確に行える。
4. ダブルダイヤモンド・モデルとの比較
デザイン思考とよく対比される枠組みに、英国デザイン・カウンシル (UK Design Council) が提唱するダブルダイヤモンド (Double Diamond) があります。
- ダイヤモンド1:問題の探索 (Discover) と定義 (Define)
- この部分がデザイン思考の「Empathize~Define」とほぼ対応しています。
- ダイヤモンド2:解決策の開発 (Develop) と実装 (Deliver)
- ここが「Ideate~Prototype~Test」に対応していると考えられます。
ダブルダイヤモンドは**「発散(Discover/Develop) と 収束(Define/Deliver)」を2回繰り返す**構造を視覚化したもので、デザイン思考のエッセンスを分かりやすく示したモデルとして知られています。
5. 各ステップで使われる代表的なツールや手法
- Empathize
- ユーザーインタビュー、観察調査、エスノグラフィ、共感マップ、ペルソナ作成
- Define
- KJ法、アフィニティダイアグラム、インサイトマッピング、5回のWhy、問題ステートメント
- Ideate
- ブレーンストーミング、ブレーンライティング、SCAMPER、6 Thinking Hats、マインドマッピング
- Prototype
- ペーパープロトタイピング、低精度モック作成、ワイヤーフレーム、Storyboarding、ロールプレイ
- Test
- ユーザビリティテスト、A/Bテスト、実地試験、リモートテスト、ユーザーインタビュー
6. デザイン思考の背景にある理論
- ロジャー・マーティン(Roger Martin) の「アブダクティブ思考」
- 帰納法・演繹法ではなく「仮説を生み出す思考法」。デザイン思考においては、ユーザー行動を観察しながら新しい仮説を打ち立て、それを実験的に検証するプロセスが重要とされる。
- ハーバート・サイモン(Herbert A. Simon) の「デザイン科学」
- 「人工物」を扱う学問としてのデザイン科学の考え方が、後のデザイン思考の基礎の一部に影響を与えたとされる。
- ティム・ブラウン(Tim Brown) や IDEO の実践知
- IDEOのCEOを務めたティム・ブラウンが著書『Change by Design』(英語) などでデザイン思考を広めた。
- IDEOは「人間中心のイノベーションを起こすプロセス」として数多くのプロジェクトを手がけている。
7. デザイン思考の応用例
7.1 ビジネス領域での新規サービス開発
- 事例:P&GやGEなどの大企業が、顧客の潜在的ニーズを発見し、新製品や新サービスを開発する際にデザイン思考を導入。
- ポイント:市場調査データだけでは見えない「ユーザーの生活の文脈」を深く理解することで、思わぬ機能やサービス形態を提案できる。
7.2 行政・公共サービス
- 事例:英国政府はGovernment Digital Service (GDS)でデザイン思考を取り入れ、「ユーザー中心の行政サービス」を掲げ、オンラインの各種手続きを使いやすく改善した。
- ポイント:従来の官僚的アプローチではなく、利用者目線で行政サービスを見直すと同時に、プロトタイプ→テスト→改善のプロセスを重視した。
7.3 医療・ヘルスケア
- 事例:病院の待合室の患者体験を向上させるプロジェクトで、IDEOが患者の心理的負担を軽減する待合スペースのレイアウトを提案。
- ポイント:患者の不安やストレスを軽減するにはどうすればいいかを観察・インタビューから導き出し、小さな試作を繰り返した。
7.4 教育分野
- 事例:スタンフォード大学 d.school 自体が「課題解決人材」を養成するための教育プログラムを展開。日本でも大学や企業研修、K-12教育の場で導入が進む。
- ポイント:従来型の座学で知識をインプットするだけではなく、プロジェクト型学習 (PBL) と組み合わせて、実践的に学び、失敗や試行錯誤から学ぶ文化を育てる。
8. デザイン思考の課題や注意点
- 安易な「形だけ」運用
- 「デザイン思考やってます」と言いながら、実際には単なるブレストやインタビューだけで終わってしまい、本質的なユーザー理解に至っていないケース。
- 形骸化を避けるには、ユーザーと向き合う姿勢や試行錯誤を惜しまない文化を醸成する必要がある。
- データドリブンとのバランス
- デザイン思考は「定性情報」を重視する傾向があるが、ビジネス上は数値データや定量的分析も不可欠。
- 両者をどう組み合わせるかが成功のカギとなる。
- 時間・リソースの確保
- 丁寧にインタビューや観察を行い、プロトタイプを回してテストを重ねるには、ある程度の時間と人員が必要。
- スピードが重視されるプロジェクトでは、どの程度デザイン思考を組み込むかバランス調整が難しい。
- 組織文化との衝突
- 上意下達が強い組織や、失敗に寛容でない組織では、デザイン思考の「失敗を歓迎する文化」を根づかせるのが困難。
- 組織のトップが理解して心理的安全性を確保することが、導入の重要な前提条件となる。
9. 結論:デザイン思考の魅力と可能性
デザイン思考は、人間中心のアプローチを軸に、創造性と実験的姿勢を巧みに組み合わせ、チームが継続的に学びと改善を繰り返すフレームワークです。その利点は以下の通りです。
- ユーザー視点を見失わない:真に価値ある製品・サービスを創出しやすい
- チームの創造性を最大化:多様な専門性を活かし、新しいアイデアを引き出しやすい
- 失敗を早期かつ安価に検出:プロトタイプとテストを繰り返すことで、リスクを最小化しながらイノベーションを育てる
- 組織のイノベーション文化を醸成:単発のプロジェクトにとどまらず、長期的に学びを組織に蓄積できる
一方で、実践には一定のコストと努力、組織文化の変革も求められます。しかし、そのハードルを乗り越えれば、デザイン思考は単なる流行りではなく、あらゆる領域にイノベーションをもたらす強力な思考ツールとなり得るのです。
10. 今後の学習のためのおすすめリソース
- 英語の文献
- Change by Design – Tim Brown (IDEO)
- The Art of Innovation – Tom Kelley (IDEO)
- 日本語の文献
- 『デザイン思考が世界を変える』 – ティム・ブラウン (上記の和訳版)
- 『イノベーションの達人!』 – トム・ケリー
- 『はじめてのデザイン思考』 – d.school関連の入門本
- オンラインコース(英語/日本語混在)
- IDEO U(英語)
- スタンフォード大学 d.school のオンラインリソース
- Coursera や edX のデザイン思考講座
- コミュニティ・イベント
- 各地で開催されるDesign Thinking関連のMeetup・ワークショップ
- d.school系のワークショップやIDEO主催のセミナー
まとめ
これまで非常に遠回りとも感じられるほど、デザイン思考の各ステップとその背景、または実務での応用や課題に至るまで、できる限り丁寧に解説してきました。デザイン思考は単なる「お洒落なアイデア出しの手法」ではなく、ユーザーに寄り添い、チームの創造性を引き出し、失敗を繰り返しながらイノベーションを生むための総合的なプロセスです。
- Empathize で人間を知り、
- Define で本質的な課題を設定し、
- Ideate で多様なアイデアを生み出し、
- Prototype で素早く形にして検証し、
- Test で実際のユーザーと対話しながら改善していく。
このプロセスは、回を重ねるたびに理解が深まり、組織内で新たな発見や学びをもたらします。そして、「失敗を恐れず試行錯誤する文化」 が育つことで、より大胆なアイデアと持続的なイノベーションが生まれていくのです。
もし、ここまでの解説を通じて、「デザイン思考を自分でもやってみたい」「自分のチームで試してみたい」 と思われたなら、その第一歩はとてもシンプルです。ユーザーや周囲の人々をよく観察し、話を聞くことから始めましょう。その中には必ず、新しいアイデアや価値の種が隠されています。そこから始まる小さな行動が、やがて大きな成果へとつながっていきます。




