叙述的命題と規範的命題の異同

認識論的区別、哲学的論争、および学術分野への展開

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I. 序論:事実の記述(Is)と価値の指令(Ought

1.1. 命題の二分法:認識論的地位の区別

本稿の目的は、「叙述的命題(Descriptive Propositions)」と「規範的命題(Normative Propositions)」の「異同」(相違点と類似点)について、その哲学的基礎から社会科学における具体的な応用までを包括的に解明することにある。

この二つの命題の区別は、「事実と価値の区別($fact-value distinction$)」として知られる、西洋哲学における基本的な認識論的区別である 1。これらは、世界に対する我々の関わり方として、根本的に異なる二つの様式を反映している。

叙述的命題(Descriptive Proposition)

これは、「肯定的命題」あるいは「記述的命題」とも呼ばれる 1。その主要な機能は、世界がどのようであるか(is)、あるいはどうであったか、どうなるであろうかを記述、確認、または予測することにある。これらの命題の妥当性は、「理性と観察に基づき、経験的手法によって検証される」1 ことに依存する。したがって、その真偽は原則として客観的な事実に照らして判定可能である。

  • 例:「女性取締役と企業の財務業績の間には正の相関がある」2。これは経験的なデータ分析によって真偽を検証可能な叙述的命題である。

規範的命題(Normative Proposition)

これは、「価値命題」、「指令的命題」1、あるいは「当為命題」2 とも呼ばれる。その主要な機能は、世界がどうあるべきか($ought$)、何が「良い」か「悪い」か、何が「正しい」か「間違っている」かを評価し、指令し、または勧告することにある 2。これらは倫理学や美学の主要な対象であり、価値論($axiology$)によって研究される 1。

  • 例:「企業は(業績向上のため、あるいは公正さのために)女性取締役を増やすべきである」。これは事実の記述ではなく、ある行動を促す価値判断を含んでいる。

1.2. 比較対照表:叙述的命題と規範的命題

両者の「異同」を明確化するため、その主要な特徴を以下の表に整理する。

特徴 (Characteristic)叙述的命題 (Descriptive Proposition)規範的命題 (Normative Proposition)参照
機能 (Function)事実の記述・確認・予測価値の評価・指令・勧告1
別名 (Alias)事実命題、肯定的命題価値命題、当為命題、指令的命題1
検証方法 (Verification)経験的観察、理性、科学的手法倫理学、美学、価値論的探究1
判断基準 (Criteria)真 (True) / 偽 (False)妥当 (Valid) / 不当 (Invalid), 正 (Just) / 不正 (Unjust)
関連分野 (Discipline)実証科学、実証的経済学倫理学、規範的経済学、法哲学3

1.3. 本レポートの構成

本稿は、この基本的な「異」(相違点)が哲学史において「$Is-Ought$ 問題」という重大な論争をいかに引き起こしたかを、II章(ヒューム)およびIII章(ムーア)で詳述する。次に、この哲学的区別がIV章において、経済学(4.1)および法学(4.2)という具体的な社会科学の分野で、その学問の方法論的根幹をどのように規定しているかを分析する。最後にV章では、この「論理的間隙」にもかかわらず、両者が実践的推論においていかに相互作用し(「同」)、この間隙を架橋する試みがどのように行われてきたかを検討し、VI章で結論を述べる。

II. 「Is-Ought 問題」の系譜:デイヴィッド・ヒュームの法則

叙述的命題と規範的命題の区別から生じる最も根源的な哲学的問題は、デイヴィッド・ヒュームによって定式化された「$Is-Ought$ 問題($is-ought problem$)」である。

2.1. ヒュームの「重大な変化」:論理的間隙の発見

ヒュームは、1739年の『人間本性論』において、道徳に関する論考を読解する際にある「重大な変化($a considerable change$)」に気づいたと指摘する 6

多くの論者が、通常の「$is$」(である)や「$is not$」(でない)という繋辞($copula$)を用いた叙述的命題から議論を始めておきながら、何の説明もなく突如として「$ought$」(べきである)や「$ought not$」(べきでない)という繋辞を用いた規範的命題に移行する 6。ヒュームは、この「$ought$」という新しい関係が、それとは「まったく種類の異なる」($entirely different$)「$is$」という関係からどのようにして演繹され得るのか、その理由が挙げられる必要があると要求した 6

この指摘は、単なる修辞的な注意喚起ではなく、西洋倫理学の根幹を揺るF`ぶものであった。それは、叙述的命題(事実)の連鎖からは、それ自体が規範的な前提を含まない限り、論理的必然性をもって規範的命題(当為)を導出($deduce$)することはできない、という論理的な間隙($logical gap$)の発見であった。これが後に「ヒュームの法則($Hume’s Law$)」と呼ばれる原則である。環境倫理学のような分野で「深刻な問題となる事実が提示されたとしても、その事実から、その問題となる事実に対処すべきであるということが必然的には導かれない」6 のは、まさにこの論理的間隙に起因する。

2.2. 理性と情念の役割:ヒュームの情動主義

ヒュームがこの「$is-ought$」の間に論理的間隙を認めた背景には、彼の厳格な道徳心理学、すなわち情動主義($emotivism$)が存在する。

ヒュームによれば、「理性は情念の奴隷にすぎない」6。人間の行為を直接的に引き起こす(動機づける)のは、理性($reason$)ではなく情念($passion$)である。理性の役割は、極めて限定的である。すなわち、

  1. 情念に適った(満足させる)対象の存在を告げ知らせること(これは叙述的命題の領域である)。
  2. ある情念を満足させるための、原因と結果の結合(手段)を発見すること(これも叙述的命題の領域である)6

この枠組みにおいて、「$is$」(叙述的命題)は理性の領域に属し、世界がどうであるかを記述する。「$ought$」(規範的命題)は情念の領域に属し、我々が何を望み、何を是認($approve$)または否認($disapprove$)するかを表現する。理性が発見した「事実($is$)」が、我々の既存の「情念」(例えば、他者への共感)を刺激し、行動を喚起することはある 6。しかし、理性は「事実($is$)」から「情念」や「当為($ought$)」を論理的に生み出すことはできない。このため、両者の間には根本的な断絶が存在するとされた。

III. メタ倫理学における展開:G.E. ムーアと自然主義的誤謬

ヒュームの問題提起から約 150 年後、20世紀初頭の分析哲学(メタ倫理学)において、G.E. ムーアが「$is$」と「$ought$」の区別を、異なる角度から再強化した。

3.1. G.E. ムーアと「善」の定義不可能性

ムーアは1903年の『倫理学原理』において、「自然主義的誤謬($Naturalistic Fallacy$)」という概念を提示した。

ムーアによれば、この誤謬とは、「善い($good$)」という(規範的な)性質を、何か別の性質と同一視することである 7。この「別の性質」には、「快楽」のような経験可能な自然的性質だけでなく、「神の意志」のような形而上学的な(自然的ではない)性質も含まれる 7

ムーアは、この定義不可能性を「開かれた問いの議論($Open Question Argument$)」によって論証した。仮に、「善」を「快楽」と(自然主義的に)定義したとする。しかし、その上で「$X$は快楽であるが、$X$は果たして善いことか?」と問うことは、依然として意味のある(答えが自明ではない=開かれた)問いであり続ける。もし「善」が「快楽」と同義($synonymous$)であるならば、この問いは「$X$は快楽であるが、$X$は果たして快楽か?」という無意味なトートロジー(同語反復)になるはずである。そうならない以上、「善」は「快楽」とは定義できない。

なお、この誤謬はしばしば誤用される。「『自然であることはよい』という考え方」自体は、定義を試みているわけではないため、ムーアが指摘した誤謬とは厳密には異なる 8

3.2. ヒュームの法則とムーアの誤謬の精緻な区別

「ヒュームの法則($is-ought$ 問題)」と「ムーアの自然主義的誤謬」は、しばしば混同されるが、両者は明確に区別されねばならない 8。この二つは、叙述的な領域と規範的な領域の間の断絶を、異なるレベルで指摘している。

  • ヒュームの法則($Is-Ought$ Problem):これは論理学($Logic$)の問題である。「事実に関する前提($is$)」のみから「当為に関する結論($ought$)」を演繹($Deduce$)できるか、という推論の妥当性に関する問題である 6
  • ムーアの誤謬($Naturalistic Fallacy$):これは意味論($Semantics$)の問題である。「善」という規範的述語を、自然的な(事実的な)述語(例:「快楽」)と同一視($Identify$)できるか、という定義の可能性に関する問題である 7

この区別は、倫理学の議論において決定的に重要である。なぜなら、仮にムーアの誤謬を(意図的にせよ無自覚にせよ)犯し、「善」を「快楽」と定義したとしよう。その上で、「$X$は快楽をもたらす(=善である)」という(定義上は)叙述的な命題を提示したとしても、ヒュームの法則($is-ought$ ギャップ)は依然として立ちはだかる。

この「$X$は快楽(=善)である」という命題から、「我々は$X$をすべきである」という規範的命題を導出するためには、依然として「我々は善(=快楽)をすべきである」という、隠れた(あるいは明示的な)規範的前提が別途必要となるからである。

IV. 専門分野における二分法の適用と展開

「叙述と規範」の区別($is$ と $ought$ の区別)は、単なる哲学的抽象論に留まらず、多くの社会科学の分野において、その学問の方法論的根幹を二分する構造的対立として機能している。

4.1. 経済学:実証(Positive)と規範(Normative)の分水嶺

経済学は、この二分法を方法論として明確に採用している代表的な学問である。

4.1.1. 基本的対比

経済学は、「実証的経済学($Positive Economics$)」と「規範的経済学($Normative Economics$)」に大別される。

  • 実証的経済学は、「事実に基づいた科学」であり、経済がどう動いているか($is$)を記述・分析・予測する 3。その命題は(原則として)データによって検証可能である。
  • 規範的経済学は、「主観的で意見が分かれるもの」であり、経済はどうあるべきか($ought$)、どのような政策が「望ましい」かを評価・設計する 3

4.1.2. 情報的基礎の決定的相違

この対立の核心には、両者が依存する「情報的基礎」の決定的な違いが存在する 10

  • 実証的経済学は、「現実の経済活動の成果を記述した情報」をその情報的基礎とする 10。これは、叙述的命題の領域である。
  • 規範的経済学は、これに加えて、「現存制度の性能を理解するために反事実的な情報($counterfactual information$)」をも駆使する点に特徴がある 10

規範的経済学が反事実的情報を必要とする理由は、その任務が「評価」と「設計」にあるからだ 10。ある経済制度(例:現行の税制)が「良い」か「悪い」か(規範)を評価するためには、「もしその制度がなかったらどうなっていたか」あるいは「もし別の制度($X$)を採用したらどうなるか」という、現実には存在しない(=反事実的な)状況をシミュレートし、比較考量する必要がある。規範的命題の妥当性(例:「現行税制は、代替案$X$よりも公正であるべきだ」)は、本質的にこのような反事実的思考に依存するのである。

4.2. 法哲学:法と道徳の連関

法哲学における「法実証主義」と「自然法論」の古典的な対立もまた、「$is$」と「$ought$」の関係性をめぐる根本的な見解の相違として理解できる。

4.2.1. 法実証主義 (Legal Positivism)

法実証主義は、「法とは何か($is$)」という問いに焦点を当てる。その核心的テーゼは、法と道徳の分離(分離テーゼ)である。

法実証主義の立場は、道徳や自然法といった他の価値基準($ought$)に拠らず、「実定法($positive law$)」—すなわち、現に制定され、社会で効力を持つ法($is$)—のみに法体系の根拠(法としての有効性の根拠)を求める 5。

この立場は「実定法一元論($monism$)」とも特徴づけられる 11。この見解によれば、法は、それが道徳的に「正しい」か「間違っている」($ought$)かに関わらず、所定の手続きを経て制定された(という事実、$is$)限りにおいて、法として有効であるとみなされる。

4.2.2. 自然法論 (Natural Law Theory)

対照的に、自然法論は、「法はどうあるべきか($ought$)」という問いと「法とは何か($is$)」という問いを不可分に連関させる。

自然法論は、実定法($is$)のほかに、普遍的な道徳原理としての自然法($ought$)が存在することを前提とする「自然法と実定法の二元論($dualism$)」に立つ 11。

この見解によれば、実定法が法として真に有効であるためには、この上位にある自然法($ought$)に適合しなければならない、あるいは少なくとも著しく逸脱してはならない(例:「不正な法は法ではない」)と考える。

このように、法実証主義と自然法論の対立軸は、まさに「法($is$)」と「道徳($ought$)」の関係性をめぐる $Is-Ought$ 問題の法学における現れであり、前者は両者の厳格な分離を、後者は両者の(少なくともある程度の)連関を主張する。

V. Is-Ought ギャップの架橋の試み:「異同」の「同」(類似・相互作用)

ヒュームが示した「$is$」と「$ought$」の間の論理的間隙は、両者が完全に断絶していることを意味するのか。本章では、両者が論理的には「異」なりながらも、我々の実践的推論においていかに密接に相互作用しているか(「同」)、そしてこの間隙をいかにして架橋しうるか、その試みを探る。

5.1. 実践的三段論法:叙述と規範の「協働」

「$is$」と「$ought$」の「異同」における最も重要な「同」(類似点・相互依存性)は、アリストテレス以来の「実践的三段論法($Practical Syllogism$)」において明確に示される 12

以下の推論($syllogism$)を検討する 12

  • 大前提(規範的命題): 凡そ公民は納税すべきである ($ought$)。
  • 小前提(叙述的命題): ソクラテスは公民である ($is$)。
  • 結論(規範的命題): 故に、ソクラテスは納税すべきである ($ought$)。

この推論は、演繹法の一形態であり、論理的に妥当である 13。ここで重要なのは、この推論がヒュームの法則(「$is$」のみからは「$ought$」は導けない)に違反していない点である。なぜなら、結論の「$ought$」は、小前提の「$is$」から導かれたのではなく、大前提に既に含まれていた「$ought$」が、小前提の条件($is$)を介して個別の事例(ソクラテス)に適用されたにすぎないからである。

この推論は、叙述的命題と規範的命題の「協働関係」を鮮やかに示している。

  1. **規範的命題(大前提)は、それを適用すべき対象を特定する叙述的命題(小前提)**がなければ、具体的な行動を指令する力を持たない「空虚な一般論」に留まる。
  2. 逆に、**叙述的命題(小前提)は、それが関連づけられる規範的命題(大前提)**がなければ、いかなる当為も導かない「無力な事実」に留まる。

したがって、叙述的命題と規範的命題は、論理的には独立していながら(異)、実践的推論において不可分に協働する(同)。これが両者の「異同」の核心である。

5.2. J.R. サールによる「制度的事実」からの導出

哲学者ジョン・サールは、このギャップをより積極的に架橋する試みとして、特定の種類の「事実($is$)」から「義務($ought$)」を導出できると論じた。

サールの鍵となる概念は、「制度的事実($institutional fact$)」である 15。これは、物理的な「自然の事実($brute fact$)」とは異なり、人間の「集団的志向性($collective intentionality$)」15 と「構成的規則($constitutive rules$)」によってのみ存在する事実(例:結婚、野球の試合、約束)を指す 15

サールの論法は以下の通りである。

  1. 「ジョーンズは『私は君に5ドルを支払うことを約束する』と発言した」(これは言語行為を記述する叙述的命題である)。
  2. この発言は、「約束する」という制度の内部でのみ意味を持つ「制度的事実」である。
  3. 「約束する」という行為は、その制度の定義(構成的規則)により、「義務を引き受けること($undertaking an obligation$)」を意味する
  4. したがって、「ジョーンズは5ドルを支払うべきである」(規範的命題)が導かれる。

サールは、「事実」を二種類(自然の事実、制度的事実)に分けることで架橋を試みた。J.L. マッキーによる批判的コメント(6 が言及)が指摘するように、この導出は「約束」という制度の内部で語ることによってのみ有効である 6。これは、ヒュームのギャップを自然界レベルで埋めたのではなく、人間が構築した「制度」という装置が、「$is$」(制度的事実)と「$ought$」(制度的義務)を内部で強力に連関させる機能を持っていることを示した点で重要である。

5.3. 環境倫理学におけるキャリコットの試み

環境倫理学者 J.B. キャリコットは、ヒュームの枠組み(特に理性の役割)を逆手に取る形で、$is$ から $ought$ への移行を説明しようと試みた 6

キャリコットの論法は、ヒュームが認めた理性の役割(情念を喚起する対象の存在を告げる)6 に注目する。

  1. 前提1(叙述・心理的事実): すべての心理的に正常な人々は、同胞(特に近親)に対して道徳的情念(共感、関心など)を持つ 6
  2. 前提2(叙述・生物学/生態学的事実): 現代生物学(生態学)は、ホモ・サピエンスが他の全生物と(共通の祖先を持つために)文字通り「近親」であることを明らかにした 6
  3. 結論(規範的命題): したがって、もし人々が(前提2の事実に)啓発されるならば、他の生物に対しても、人間である近親に振る舞うのと同じ仕方で(共感をもって)振る舞うべきである 6

これは、生態学という「叙述的命題($is$)」が、「我々は皆近親である」という新しい事実的理解を提供することで、我々の既存の「情念(共感)」の適用範囲を拡大し、それによって新しい「規範($ought$)」を心理的に動機づけようとする戦略である。

ただし、6 が指摘するように、この「べきである」は論理的必然性を持つものではなく、聞き手がその内容(事実)を「引き受ける」こと、すなわち道徳的情念が実際に喚起されることに依存しており、強制力を持つとは限らない 6

5.4. 規範の根拠付け:帰結主義と非帰結主義

V-5.1の実践的三段論法に戻れば、我々は「$is$」と協働する「$ought$」(大前提)をどこから調達するのか。その「$ought$」自体の根拠は何か。規範的理論は、まさにこの問いに答えるための枠組みである 2

  • 帰結主義($Consequentialism$): 規範($ought$)の根拠を、その行為がもたらす「結果($consequence$)」に見出す 2。例えば、「結果を残した営業マンが高い報酬を得るべきである(正当化される)」2 という規範は、「高い報酬」という結果によって正当化される。
  • 帰結主義は、「$is$」(例:女性取締役が増えると業績が上がる 2)という叙述的命題を、「$ought$」(例:女性取締役を増やすべきだ)の根拠として積極的に利用する戦略のように見える。しかし、これは「$is$」から「$ought$」を直接導出したのではない。「良い結果をもたらす行為をすべきである」という、帰結主義的な規範的大前提を暗黙に採用しているのである。
  • 非帰結主義($Deontology$): 規範の根拠を、結果($is$)ではなく、その結果が導かれる「プロセス」や行為自体の性質(義務、権利など)に見出す 2

規範的理論とは、実践的三段論法の「大前提」となる「~すべきである」という命題に、理論的な正当化(なぜそうすべきなのか)を与える、高度に洗練された枠組みに他ならない。

VI. 結論:区別されるが不可分な二つの命題

本稿は、叙述的命題($is$)と規範的命題($ought$)の「異同」について、哲学的基礎から社会科学への応用に至るまでを分析した。

6.1. 叙述と規範の「異同」の総括

両者の関係性は、「論理的に独立しているが、実践的に相互依存している」と要約できる。

相違点(異):

  1. 論理的独立性: 両者は論理的に区別される。ヒュームの法則が示すように、「$is$」の連鎖から「$ought$」を論理的に演繹することはできない(II章)。
  2. 意味論的独立性: 「善」などの規範的述語は、「快楽」などの叙述的(自然的)述語に定義・還元することはできない(ムーアの自然主義的誤謬, III章)。
  3. 方法論的機能: 両者は学問において異なる役割を担う。「$is$」は実証($Positive$)の領域であり、現実の記述的情報を扱う。「$ought$」は規範($Normative$)の領域であり、反事実的情報を用いた評価と設計を扱う(IV章10)。

類似点・相互作用(同):

  1. 実践的相互依存性: 両者は論理的に独立しているが、実践的推論(実践的三段論法)において不可分に協働する。「$is$」(叙述的命題)は「$ought$」(規範的命題)が適用されるための条件を特定し、「$ought$」は「$is$」に意味と行為の方向性を与える(V-5.112)。
  2. 制度的連関: 人間が構築した「制度」の内部において、「$is$」(制度的事実、例:約束)は「$ought$」(制度的義務、例:実行すべき)を強力に含意しうる(V-5.215)。
  3. 心理的連関: 「$is$」(科学的・生態学的事実)は、我々の「情念」を喚起し、新しい「$ought$」を心理的に動機づけ、引き受けさせる(引き受けさせるべきという)根拠となりうる(V-5.36)。

6.2. 哲学および社会科学における「事実と価値の区別」の現代的意義

叙述的命題と規範的命題の区別は、単なる哲学上の分類に終わるものではない。それは、我々が世界を理解する(叙述)ことと、我々が世界でいかに行為すべきか(規範)を決定することの、根本的な違いと、それ以上に根本的な相互連関を浮き彫りにする。

法学(法実証主義 vs 自然法論)、経済学(実証 vs 規範)、公共政策、環境倫理学など、現実の社会問題に対峙するすべての分野は、この「$is$」と「$ought$」の緊張関係、すなわち「現実はどうであり($is$)」、そこから「我々は何をすべきか($ought$)」という問いに答えを出すという課題に、その方法論の根幹において直面し続けているのである。

引用文献

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  14. 帰納法とは? 演繹法との違い、具体例と使い方を簡単に – カオナビ人事用語集, 11月 16, 2025にアクセス、 https://www.kaonavi.jp/dictionary/kinoho/
  15. 社会的現実と虚構論, 11月 16, 2025にアクセス、 https://nagoya.repo.nii.ac.jp/record/23689/files/jouflp_63_61.pdf