構造主義

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構造主義:体系、対立、およびその遺産

20世紀の思想は、人間の「主体性」や「意識」を中心的な主題としてきました。構造主義は、この人間中心主義的なパラダイムに対し、言語、社会、無意識の根底に潜む非個人的な「構造」こそが、人間を規定する根本的な要因であると主張し、知的風景を一変させました。それは、人間が言語を話すのではなく、むしろ「言語(構造)が人間を話す」のだというラディカルな可能性を提示するものでした。本報告書は、この構造主義という知的運動の系譜を、その言語学的な起源から、人文科学諸分野への展開、実存主義との激しい対立、そしてポスト構造主義による内部からの解体と、その現代的な遺産に至るまで、網羅的に分析します。

第1部:言語という「構造」の発見 — ソシュール革命

構造主義は、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの思想にその源泉を持ちます 1。彼の講義録(彼自身が執筆したものではない 2)『一般言語学講義』(1916年)は、20世紀の言語学と思想に革命的な転換をもたらしました。

1.1. 言語学の転換:歴史(通時態)からシステム(共時態)へ

ソシュール以前の19世紀の言語学(文献学や新文法学派)は、主に個々の単語の歴史的変遷や語源を追跡するものでした 2。これは「通時態(diachronic)」、すなわち時間を貫いた変化の研究です 3

ソシュールは、このアプローチを根本的に批判し、言語研究の主眼を「共時態(synchronic)」、すなわちある特定の時点における言語の「体系(system)」そのものへとシフトさせました 1。彼にとって、言語は個々の要素の寄せ集めではなく、それらの要素間の関係性によって成り立つ一つの「構造」でした 5。構造主義は、この共時態の分析を特権化し、目に見えない関係性のシステムを解明するという方法論を採用しました 4

1.2. 記号論の基盤:シニフィアンとシニフィエ、そして「恣意性」

ソシュールは、言語の基本単位である「記号(sign)」を、二つの側面から成る心理的な統一体として定義しました 3

  1. シニフィアン (Signifier): 記号表現。音のイメージ(例:「キ」という音の連なり)。
  2. シニフィエ (Signified): 記号内容。それが指し示す概念(例:「木」という概念)。1

ソシュールの理論における最も重要な(そして最もラディカルな)主張は、このシニフィアンとシニフィエの結びつきが「恣意的(arbitrary)」であるという点です 1。「キ」という音と「木」の概念の間には、何の自然的、必然的な結びつきもありません 3。もし結びつきが必然的であれば、言語は単に現実世界に存在する事物に「名前を貼る(a naming process)」3 だけの行為になります。しかし、ソシュールが示したのは、この結びつきが社会的な「約束事(conventional)」3 にすぎないということです。

この「記号の恣意性」の真の含意は、言語が現実を反映するのではなく、むしろ言語が私たちの認識する現実を「構成する」3 という、哲学的な転換の起点となったことにあります。意味は、記号の外部にある現実の事物(ソシュールはこれを言語学の対象外とした 5)によって保証されるのではなく、言語体系の内部で決定されなければならないことになります。

1.3. 差異の体系:意味の源泉

もし記号が恣意的であり、現実世界との必然的な結びつきを持たないとすれば、意味はどこから生じるのでしょうか。ソシュールの答えは「差異(difference)」です 8

言語は「肯定的な(positive)要素」によって機能するのではなく、「否定的な(negative)要素」、すなわち他の全ての記号との差異によって機能します 6。記号は「それ自体が何であるか」によって定義されるのではなく、「それが他とどう違うか」によってのみ、その「価値(value)」6 を得ます 3。例えば、「cat」という記号は、「bat」や「cap」との音響的差異、あるいは「dog」や「mouse」との概念的差異のネットワークの中でのみ、その意味的な位置を確定されます。

この関係性のネットワークは、二つの軸によって組織されます 3

  1. 統辞関係 (Syntagmatic): 文の中での線的な組み合わせの軸(例:「私は 猫を 追いかける」)。
  2. 範列関係 (Paradigmatic): 置き換え可能な選択の軸(例:「私は 猫を / 犬を / 烏を 追いかける」)。

1.4. ラングとパロールの弁証法

ソシュールはさらに、言語活動を二つの側面に区別しました 1

  1. ラング (Langue): ある言語共同体によって共有される、抽象的で体系的な規則の総体(文法、語彙体系)1。これは社会的で本質的なものです。
  2. パロール (Parole): 個人によって実行される、具体的で個別的な言語使用(実際の発話行為)1。これは個人的で偶然的なものです。

構造主義は、この二項対立において明確に「ラング」を研究対象として特権化しました 4。パロールは多様で偶然的すぎるのに対し、ラングこそが言語の社会性と体系性を保証する「構造」そのものであると考えられたからです 1。構造主義者にとって、ラングは「間接的にしか観察できない仮想のシステム」であるにもかかわらず、目に見えるパロールよりも「根本的で『リアル』」な研究対象と見なされました 4

Table 1: ソシュールの核となる二項対立

二項対立 (Dichotomy)第1項 (Term 1)第2項 (Term 2)構造主義における意義 (Significance for Structuralism)
ラング / パロール 1ラング (Langue): 社会的、体系的、抽象的な「言語体系」パロール (Parole): 個人的、具体的、偶然的な「言語使用」研究対象をパロールからラングへとシフト。目に見えない社会的な「構造」の分析を特権化した。
共時態 / 通時態 2共時態 (Synchrony): ある時点での体系(静態的)通時態 (Diachrony): 時間を通じた変化(歴史的)歴史的変化(通時態)よりも、ある時点での体系(共時態)の分析を優先。構造の静的な論理を追求した。
シニフィアン / シニフィエ 1シニフィアン (Signifier): 記号表現(音イメージ)シニフィエ (Signified): 記号内容(概念)記号を二重化し、両者の「恣意的な」関係を強調。意味が現実によって保証されないことを示した。
範列関係 / 統辞関係 3範列関係 (Paradigmatic): 選択と置き換えの軸(「差異」)統辞関係 (Syntagmatic): 線的な組み合わせの軸(「文法」)言語体系がこれら二軸の関係性のネットワークとして機能することを明らかにした。

第2部:構造の適用 — 人文科学の再編成

ソシュールの言語モデル、特に「ラング」を共時的かつ差異的な関係性の体系として分析する手法は、言語学の域を超え、20世紀半ばの人文科学の諸分野を席巻する強力な分析ツールとなりました。

2.1. レヴィ=ストロース(1) 神話と論理:「野生の思考」

このソシュール的手法を人類学に導入し、「構造主義」という運動を事実上創始したのが、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースです 9。彼は、ソシュール言語学をローマン・ヤコブソンを通じて学びました 10

彼の核心的な命題は、「未開(savage)」と呼ばれる人々の心と「文明化(civilized)」された人々の心は、その根本において同じ「構造」を持つ、というものでした 9。彼は、一見すると非合理的で荒唐無稽に見える神話やトーテミズムの内に、西洋の科学的思考に匹敵する厳格な論理的思考(彼が「野生の思考」と呼んだもの)11 を見出しました。

彼の論文「神話の構造研究」12 は、その方法論を明確に示しています。

  1. ラングとパロールの適用: 彼は、神話が「ラング」(永続的で共時的な構造)と「パロール」(個々の具体的な語り、通時的な物語の展開)の二重性を持つとしました。神話は、この両方の性質を統合する「第3の参照軸」として機能します 12
  2. 神話素 (Mytheme): 彼は、言語学者が言語を音素や形態素に分解するように、神話をその最小構成単位である「神話素(mytheme)」9 に分解します。
  3. 二次元的読解: 彼は、神話を「オーケストラの楽譜」に喩えました 12。楽譜を水平方向(左から右)に読めば、メロディー、すなわち物語の時系列(通時態)が展開します。しかし、楽譜を垂直方向(同じ小節の音の束)に読めば、ハーモニー、すなわち神話の根本的な「構造」(共時態)が浮かび上がります。

彼はオイディプス神話を例にとり、その神話素を垂直の列に配置し直すことで、神話が「近親相姦の過大評価(例:オイディプスが母と結婚)」と「近親相姦の過小評価(例:オイディプスが父を殺害)」といった、その文化が直面する解決不可能な「二項対立」を、論理的に調停しようとする思考の試みであることを明らかにしました 12

2.2. レヴィ=ストロース(2) 社会の文法:アライアンス理論

レヴィ=ストロースの構造分析は、神話にとどまらず、社会の根幹をなす「親族」の分析へと向けられました。彼の主著『親族の基本構造』9 は、社会そのものを一つの構造的体系として読み解こうとする試みです。

彼は、親族関係の基本が「血縁(descent)」にあるとする従来の理論(英国人類学)に対し、親族の基本は「婚姻(alliance)」にあると主張しました 9。彼によれば、あらゆる人間社会の基盤となるのは、普遍的な「インセスト・タブー(近親婚の禁止)」です。

レヴィ=ストロースにとって、インセスト・タブーは単なる道徳的な禁止規範ではありません。それは、「自集団の女性(姉妹や娘)との結婚を諦め、彼女たちを他集団の男性に与え、代わりに他集団から女性を受け入れよ」という、交換を強制する積極的な命令です。この「女性の交換(circulation of women)9 こそが、異なる集団間にコミュニケーション(=アライアンス)を生み出し、社会を形成する基本的な「文法」にほかなりません。彼は、言語が音や意味(記号)を交換するコミュニケーション体系であるのと相同的に、社会が女性(交換の媒体)を交換するコミュニケーション体系であるとみなしたのです。

2.3. ロラン・バルトと神話作用:イデオロギーの記号論

批評家ロラン・バルトは、構造主義の方法論を文学批評 10 だけでなく、現代の大衆文化の分析に適用しました。彼の『神話作用(Mythologies)』10 は、ソシュールの記号論を、現代社会のイデオロギーを暴くための強力な批判的武器へと転換させました。

バルトは、現代ブルジョワ社会に溢れる「神話」(イデオロギー)を、「二次的な記号論的体系(second-order semiological system)10 として分析しました。

  1. 第1レベル(言語対象 / デノテーション): まず、通常の記号体系があります。
    (シニフィアン「黒いボトル」 + シニフィエ「発酵したブドウ飲料」 = 記号「ワイン」)
  2. 第2レベル(メタ言語 / コノテーション): 次に、この第1レベルの記号(「ワイン」)全体が、新たなシニフィアン として機能します。
  3. 神話の生成: この新たなシニフィアン(=記号「ワイン」)は、ブルジョワ的イデオロギーという新たなシニフィエ(例:「健康的」「フランス的活力の象徴」「仲間とのリラックス」)と結びつけられます 10

この操作によって、ワインが持つ特定の歴史的・社会的な価値(例:アルコール依存や階級的消費)は隠蔽され、それが「健康的」で「自然的」で「普遍的」なものであるかのように偽装されます。バルトは、プロレスのショー的構造、洗剤の「浄化」のイメージ、新型シトロエンの「女神」としての表象 10 など、あらゆる大衆文化の記号を解読し、その背後にあるイデオロギー的構造を暴露しました。

2.4. ジャック・ラカンと無意識の言語

精神分析家ジャック・ラカンは、「フロイトへの回帰」を掲げ、フロイトの精神分析をソシュールとレヴィ=ストロースの構造主義を用いて根本的に再解釈しました 10

彼の中心命題は、「無意識は言語のように構造化されている」というものです 13。ラカンにとって、フロイトが発見した無意識や性衝動は、本質的に言語的な現象でした 13。無意識は、ソシュール的なシニフィアン(記号表現)がシニフィエ(記号内容)から滑り落ち、シニフィアン同士が連鎖していく場として機能します。

ラカンは、人間の精神構造を三つの「界(Order)」に区分しました 13

  1. 想像界 (The Imaginary): 「鏡像段階」13 に特徴づけられる、主体と自己のイメージとの二項的な関係。シニフィエの領域であり、自己が統一された全体であるかのような幻想的な一体感(plenitude)の場ですが、同時にそれは「疎外(alienation)」の場でもあります。
  2. 象徴界 (The Symbolic): 「シニフィアンの領域」であり、言語、法、文化の体系そのものです 13。人間は、レヴィ=ストロース的なインセスト・タブー、すなわち「父の名(nom-du-père)」(父の「否(non)」という法、去勢の脅威)13 を受け入れることで、母子一体の想像界から引き剥がされ、言語と社会のルール(=象徴界)に参入します。
  3. 現実界 (The Real): この象徴界(言語)によって構造化されることを拒む、言語化不可能な領域。それはトラウマであり、象徴化から常に「逃れるもの」です 13

ラカンの理論は、構造主義的な「構造」が人間の主体性そのものをいかに形成するかを冷徹に示しました。主体は言語(象徴界)に先行して存在するのではなく、言語(シニフィアンの体系)によって「構造化」される過程で、必然的に根源的な「欠如(lack)13 を抱え込む存在として生み出されるのです。

2.5. ルイ・アルチュセールと構造的マルクス主義

哲学者ルイ・アルチュセールは、マルクス主義を構造主義的に再解釈し、ヘーゲル的な歴史主義や初期マルクスの人間主義(ヒューマニズム)を「イデオロギー的」として厳しく批判しました 10

彼は、マルクス主義の単純な「土台(経済)/上部構造(政治・イデオロギー)」というモデルを精緻化し、社会を「経済的」「政治的」「イデオロギー的」という、それぞれが相対的に自律した3つの「構造(level)」15 の複合体として捉え直しました。

彼の最も重要な理論的貢献は、「イデオロギー的国家装置(ISA)」の理論です 15

  1. 抑圧的国家装置 (RSA: Repressive State Apparatus): 警察、軍隊、政府、裁判所など。これらは主に物理的暴力(あるいはその威嚇)によって支配を維持します 15
  2. イデオロギー的国家装置 (ISA: Ideological State Apparatus): 学校(教育ISA)、教会(宗教ISA)、家族(家族ISA)、メディア(報道ISA)、文化(文化ISA)など 15。これらは物理的暴力ではなく、イデオロギーによって支配を維持します。

ISAの第一の機能は、「生産関係の再生産」、すなわち資本主義的な搾取の関係を、次の世代においても維持・再生産することです 17。特に「学校」は、単に労働技術を教えるだけでなく、支配イデオロギーに従順であり、自らの役割を自発的に受け入れるような「主体」を日々「生産」する、最も重要なISAであるとされました。

アルチュセールの理論は、イデオロギーを「個人の頭の中にある間違った意識」から、「社会構造に組み込まれた物質的な実践(装置)」18 へと転換させました。主体はイデオロギーを自由に選ぶのではありません。むしろ、イデオロギー(ISA)によって「呼びかけられ(interpellation)」、その瞬間に「主体」として「構成される」のです 19。これはラカンと同様、主体を構造の産物とみなす、典型的な構造主義的(反人間主義的)思考の表れでした。

Table 2: 諸分野への構造主義的応用

思想家 (Thinker)専門分野 (Field)主要テクスト (Key Text)適用された中核概念 (Core Concept Applied)
クロード・レヴィ=ストロース 9文化人類学『親族の基本構造』『神話の構造研究』神話素 (Mytheme) / 二項対立: 神話や親族体系を、言語のように共時的・二項対立的な論理構造として分析。
ロラン・バルト 10文学批評・記号論『神話作用』『物語の構造分析』二次的記号論体系: 現代文化の「神話」(イデオロギー)を、言語記号がメタレベルで機能する体系として暴露。
ジャック・ラカン 10精神分析『エクリ』象徴界 (The Symbolic): 「無意識は言語のように構造化されている」。無意識をシニフィアンの連鎖として再定義。
ルイ・アルチュセール 10マルクス主義哲学「イデオロギーとイデオロギー的国家装置」イデオロギー的国家装置 (ISA): 社会を自律的な「構造」の複合体として分析。イデオロギーを主体を再生産する構造的装置として定義。

第3部:「主体」と「歴史」をめぐる論争 — 構造主義 vs. 実存主義

1960年代のフランスにおいて、構造主義の台頭は、それまで戦後の知的シーンを支配していたジャン=ポール・サルトルの実存主義(および現象学)10 との間に、激しい思想的対立を引き起こしました。この論争の核心は、「主体」と「歴史」という二つの概念の捉え方にありました。

3.1. 「主体」の死:構造主義による実存主義批判

サルトルに代表される実存主義は、「実存は本質に先立つ」というテーゼのもと、個人の「主体性(subjectivity)」、「意識」、そして「ラディカルな自由(radical freedom)」21 を絶対的に擁護しました。人間は、あらかじめ定められた本質(構造)を持つのではなく、自らの「投企(project)」によって自らを自由に作り上げていく存在であるとされました 20

構造主義は、この「主体」中心主義を根本から批判しました 21。構造主義者にとって、サルトル的な「自由な主体」は、西洋近代が生み出した「神話」あるいは幻想にすぎませんでした。

レヴィ=ストロース、ラカン、アルチュセールらが示そうとしたのは、まさにこの点でした。個人が「自由」に選択していると信じている思考(言語)、欲望(無意識)、信念(イデオロギー)、行動(社会規範)そのものが、個人の意識(主体)に先行する、より深く、無意識的な「構造」(ラング、象徴界、ISA、親族体系)によって、あらかじめ決定され、限定されている(”circumscribed” 22)ということでした。構造主義は、ヨーロッパの伝統的な人間主義や主観的思考に対するアンチテーゼであり、「人間」「主体」の自立的存在そのものを否定するものでした 23

3.2. サルトルの反論:実践(Praxis)と歴史性の擁護

この構造主義による「主体の解体」に対し、サルトルは激しく反論しました(特に『弁証法的理性批判』22 において)。彼は、構造主義を「時間性、歴史性の欠如」において厳しく批判しました 23

この論争の核心は、「構造」と「歴史(時間)」の関係性をめぐる根本的な見解の相違にあります。

  • レヴィ=ストロースの(構造主義的)見解:
    レヴィ=ストロースにとって、神話などの「構造」は、人類に普遍的な無意識の認知構造の反映であり、それは本質的に「受動的(passive)」24 であり、共時的(非時間的)なものです。彼にとって「歴史(通時態)」とは、その共時的な構造が様々な「変奏(permutation)」12 を見せる場に過ぎませんでした。彼にとって、サルトルが掲げる「歴史的エージェント」としての主体という考え方自体が、西洋近代社会に特有の「神話」にすぎませんでした 25。
  • サルトルの(実存主義的・マルクス主義的)見解:
    サルトルにとって、「構造」は天から降ってきたものでも、人間の精神に永遠に刻まれているものでもありません。いかなる構造も、人間の能動的な「実践(praxis)」24 の産物であり、歴史の中で形成されたものです。そして最も重要なことに、人間は自らの「実践」によって、既存の構造を乗り越え、変革しうる存在です。サルトルは、構造主義が「いかにして構造が歴史の中で形成され、いかにしてそれが人間によって乗り越えられるか」という「実践」と「歴史性」の次元を完全に無視し、人間を静的な構造の受動的な産物へと貶めていると批判しました 24。

3.3. ミシェル・フーコーのアンビバレントな位置

ミシェル・フーコーは、しばしばレヴィ=ストロース、ラカン、アルチュセールらと共に「構造主義者」として分類されます 10。しかし、彼自身はこのレッテルを一貫して拒否し 29、構造主義とは異なる方法論(「知の考古学」)を提示しようとしました 30

フーコーは、実存主義の「超越論的な主体(意識)」30 も、構造主義の「普遍的で隠された(言語論的な)構造」30 も、共に斥けました。

彼の『知の考古学』30 における分析対象は、特定の時代と社会において「何が語られうるか」「何が知として成立するか」を規定する、無意識的かつ歴史的なルールの体系、すなわち「言説(discourse)」の配置そのものでした。彼は、ある時代の「知」の無意識的な基盤(「エピステーメー」)を記述しようとしました。

レヴィ=ストロースが普遍的・共時的な「構造」を求めたのに対し、フーコーが強調したのは、歴史におけるラディカルな「非連続性(discontinuity)」 でした。彼にとって、ある時代のエピステーメー(例:ルネサンス期)から次のエピステーメー(例:古典主義時代)への移行は、連続的な発展や進歩ではなく、根本的な断絶によって生じます。

フーコーは、構造主義が掲げた「反=主体」の身振りは共有しつつも、その普遍主義的・静態的な「構造」概念を拒否しました。彼は、「構造」を歴史的で偶発的な「言説」の配置として分析する独自の道を開き、ポスト構造主義への決定的な橋渡し役となりました。


第4部:構造の解体 — ポスト構造主義への移行

構造主義の全盛期は短く、1960年代後半には、その内部から「ポスト構造主義」と呼ばれる新たな思想の波が生まれました 29。ポスト構造主義は、構造主義を単純に否定するものではなく、むしろ構造主義の基本的な前提(特にソシュールの言語論)を、よりラディカルに徹底させた結果として登場しました。

4.1. ジャック・デリダによる「中心」の批判

ポスト構造主義への決定的な移行は、哲学者ジャック・デリダが1966年に行った講演「構造、記号、戯れ」32 によって画期づけられます。

デリダは、構造主義(ひいてはソシュール以降の西洋形而上学全体)が、その「構造」を保証するために、常に一つの「中心(center)」を必要としてきたと指摘します 33

この「中心」は、以下のような二重の機能を果たします 33

  1. 起源の固定: 「中心」とは、「固定した起源(fixed origin)」や「現前点(point of presence)」であり、構造全体を組織し、均衡を保つ不動のアンカーポイントです(例:神、理性、人間、意識、真理、本質)。
  2. 「戯れ」の制限: 「中心」は、構造内部の諸要素(記号)が「差異」によって生み出す無限の「戯れ(play / jeu)32 を可能にすると同時に、その「戯れ」が構造自体を崩壊させるほど無限に拡散しないように制限し、閉じる役割を果たします。

しかしデリダは、この「中心」が持つ根本的な矛盾を暴露します 33。「中心」は、構造全体を支配する原理でありながら、それ自体は構造の「戯れ」=規則から「逃れてしまうもの」でなければなりません。それは、構造の内部にありながら、同時に外部にも位置するという、論理的に不可能な地点を占めています 33

デリダによれば、構造主義は「構造」の「戯れ」を発見しながらも、その「戯れ」を制御するために、無自覚にこの「中心」という形而上学的な装置 33 に依存していました。デリダが試みた「脱構築(deconstruction)」33 とは、この「中心」を解体し、「中心のない構造」、すなわち無限の「戯れ」に開かれた思考を実践することでした。

4.2. 差延(Différance)の論理:ソシュールのラディカル化

デリダは、構造を「脱構築」するための武器を、ソシュール自身の中から見出します。彼は、ソシュールの「差異(difference)」3 の概念を批判的に継承し、それをラディカル化する「差延(différance)」という新語を導入しました 34

この「差延(différance)」という造語は、フランス語の動詞 “différer” が持つ二つの意味を同時に含意しています 34

  1. Differ (異なる): 空間的な「差異」を生み出すこと(ソシュール的な差異)。
  2. Defer (延期する): 時間的に「先延ばし」にすること。

ソシュールにとって、「差異」は最終的に安定した意味の体系(ラング)を生成する原理でした 34。しかし、デリダはソシュールの論理を次のように徹底化します。

もし、いかなる記号(シニフィアン)も、それ自体で意味を持つのではなく、「他の」記号との「差異」によってのみ意味を持つのであれば、その「他の」記号もまた、さらに「他の」記号との差異によってしか意味を持ちえません。このプロセスは無限に続きます。

したがって、ソシュールが求めたような、シニフィアンに最終的に対応する安定した「シニフィエ(概念)」34 は、このシニフィアンの無限の連鎖の中で、永遠に「延期(defer)」され続けることになります。意味は、構造主義が考えたように体系内に「固定」されているのではなく、本質的に「不安定(unstable)」で「流動的」であり、決して一つの「現前(presence)」として掴むことはできません 34

この「差延」の思考こそが、構造主義が前提としていた「構造」の固定性や安定性を内部から解体し、ポスト構造主義の思想的基盤を確立したのです。

Table 3: 構造主義からポスト構造主義への移行

概念 (Concept)構造主義 (Structuralism) (ソシュール、レヴィ=ストロース)ポスト構造主義 (Post-Structuralism) (デリダ)
中心 / 起源 (Center / Origin)体系を安定させるために暗黙的に想定される「中心」(起源、現前)。33「中心」は形而上学的なフィクションであると批判。中心のない「戯れ (Play)」32 を強調。
差異 (Difference)差異 (Difference): 共時的・空間的な「区別」。安定した意味の体系(ラング)を生成する。3差延 (Différance): 「区別 (differ)」と「延期 (defer)」の二重の意味 34。意味は時間的に常に延期され、固定されない。
意味 / シニフィエ (Meaning / Signified)意味は体系内の「差異」によって「固定」され、構造内に存在する(シニフィエは存在する)。3意味は「不安定 (unstable)」34 であり、シニフィアンの無限の連鎖によって常に流動する。安定したシニフィエは存在しない。
体系 (System)閉じた、全体化可能 (totalizable) な、共時的システム(構造)の発見を目指す。4体系は決して閉じず、常に「中心」から解体される。全体化は不可能である。33
歴史 / 時間 (History / Time)共時態(構造)を優先し、通時態(歴史)を二次的なもの、あるいは構造の変奏として扱う。4「差延」において「時間(延期)」の要素を導入し、構造主義の静的な共時性を批判する。34

第5部:結論 — 現代思想における構造主義の遺産

構造主義は、1960年代の「流行」として、また厳密な「学派」としては、ポスト構造主義によって乗り越えられました。しかし、それが提供した分析的視座と概念は、現代の思想に深く、不可逆的な遺産として刻み込まれています。

5.1. 現代言語学への継承

構造言語学の全盛期は過ぎましたが、「構造主義の魅惑的なセイレーンの歌はまだ消え去っていない」35 と指摘されるように、その概念は現代の言語学に深く浸透しています。現代の言語学は、構造主義から多くの前提を、しばしば暗黙のうちに引き継いでいます 35

  1. 範列関係(パラダイム)の重要性: ある言語要素の意味や機能を理解するためには、それが「置き換え」うる他の要素との「対立(contrast)」が不可欠であるという視点は、現代の音韻論や意味論の基礎となっています 35
  2. 言語体系の社会性: 言語が個人の心理や実践を超えた、本質的に「間主観的(intersubjective)かつ社会的(social)」なシステムであるという確信は、ソシュールのラングの概念に由来します 35
  3. 記述的アプローチ: 各言語を、ラテン語文法のような外部の規範によって裁断するのではなく、「それ自体の(in its own terms)」固有の構造において記述すべきであるという方法論的態度は、構造主義が確立したものです 35

5.2. 心理学への影響(認知心理学)

心理学の分野には、ヴントに始まる独自の「構造主義」(内観法による意識要素の分析)36 が存在しましたが、これはソシュールの構造主義とは直接的な関係はありません。しかし、ソシュールに始まる構造主義的な「思考様式」は、現代の認知心理学などに方法論的な遺産を残しています 36

  • 要素への分析: 現代の認知心理学が、複雑な「精神プロセスを構成要素に分析する」というアプローチ 36 は、構造主義がラングを音素や形態素といった最小単位に分解し、その組み合わせの規則(構造)を探求する手法と、方法論的な類似性を持っています。
  • 感覚・知覚研究: 私たちが「感覚情報をどのように処理するか」36 という現在の研究は、個々の刺激(インプット)が、いかにして体系的な知覚(アウトプット)へと「構造化」されるかという問いであり、構造主義的な関心を引き継いでいます。
  • 神経心理学との並行: 心の要素をマッピングするという構造主義(ヴント)の目標は、「認知機能を脳の構造にマッピングしようとする」現代の神経心理学の試みと並行しています 36

5.3. 総括的評価

構造主義は、20世紀の思想において、「主体」と「意識」という近代的パラダイムから、「構造」と「体系」という新たなパラダイムへの決定的な転換を強いた、ラディカルな知的運動でした。レヴィ=ストロース、ラカン、アルチュセール、バルトらによるその適用は、人文科学の全領域に「科学性」のモデルを提供しようとする壮大な試みでした 5

しかし、その静的で普遍主義的な「構造」概念は、サルトルによる「歴史」と「実践」の次元からの批判(外部からの批判)と、デリダによる「中心」と「現前」の解体(内部からの批判)によって、その限界を露呈し、ポスト構造主義へと道を譲ることになりました。

今日、構造主義は厳密な「学派」としては乗り越えられています。しかし、それが提供した「あらゆる人間的実践(神話、社会、文化、イデオロギー)を、その根底にある(言語的な)関係性の体系として読み解く」という批評的=分析的な方法は、現代の記号論、批評理論、社会理論、そして我々の思考様式そのものに、不可逆的な遺産として深く刻み込まれているのです 37

引用文献

  1. Ferdinand de Saussure | Literary Theory and Criticism Class Notes https://fiveable.me/literary-theory-criticism/unit-2/ferdinand-de-saussure/study-guide/6lG6m61Gd2v1ocpu
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