認知言語学の総合的解明:理論的基盤から応用的フロンティアまで

セクション1:認知言語学の定義と哲学的基盤
1.1. パラダイムの確立
認知言語学(Cognitive Linguistics)は、言語を人間の経験および一般的な認知能力の反映として捉える言語研究のアプローチである 1。この学派は、1970年代から80年代にかけて、ノーム・チョムスキーの生成文法が提示した言語観への対立から生まれ、発展してきた 1。
認知言語学の核心的な定義は、言語能力が人間の脳内に独立した「言語モジュール(faculty)」として存在するという仮定を棄却し、代わりに、言語が他の認知能力と分かちがたく結びついていると主張する点にある。具体的には、ゲシュタルト的な知覚、カテゴリー化、比喩的思考、視点の投影や移動といった、人間が持つ一般的な認知メカニズムが、言語の構造そのものを動機づけ、形成していると考える 1。
この視点では、言語は「認知主体である人間が、客観世界をどのように捉え、それをどのように言葉にするのか」という課題の探求と密接に結びつく 2。したがって、言語研究の対象は、自律的な文法規則の体系から、その体系を使用し、構築し、理解する「人間」の認知プロセスそのものへと移行する。
1.2. 形式主義言語学へのアンチテーゼ
認知言語学のパラダイムは、20世紀後半の言語学において支配的であった形式主義(Formalism)へのアンチテーゼとしてそのアイデンティティを確立した。この形式主義の代表格が、生成文法および形式意味論である 1。
ロナルド・ラネカー(Ronald Langacker)は、この対立を「多数派の意見」と「少数派の報告(minority report)」という構図で明確に説明している 3。当時の「多数派」(形式主義)が暗黙の前提としていた見解は、主に以下の3点に集約される 3:
- 言語の自律性: 言語は、より広範な認知能力から本質的に切り離して研究可能な、自己完結した自律的システムである。
- 文法の独立性: 文法(特に統語論)は、語彙や意味論から独立した、独自の計算的・アルゴリズム的側面を持つ。
- 意味の真理条件: 言語の意味は、真理条件(truth conditions)に基づく形式論理によって適切に記述できる。
認知言語学は、これら3つの前提すべてを根本から否定する「少数派の報告」として登場した 3。認知言語学の立場は、(1) 言語は一般認知と不可分であり(1)、(2) 文法は意味論や語彙と連続的であり(5)、(3) 意味は真理条件ではなく、人間の主観的な「意味づけの営み(Construal)」である 4、と主張する。
この哲学的対立の核心は、言語の「意味」の定義にある。形式意味論が、ある文が「真」となる客観的な条件を意味の核とみなすのに対し、認知意味論は、人間の主観や認知を排した形式的な枠組みそのものへのアンチテーゼとして機能する。例えば、「水が半分も残っている」という表現と、「水が半分しかない」という表現は、客観的な世界の状況(水が50%)は同一であり、形式意味論的には真理条件が等しい。しかし、認知言語学は、この「も」と「しか」に現れる話者の主観的な「解釈」の差異こそが、言語における意味の中心的な研究対象であると宣言する 2。これは、言語の主要機能が「世界の客観的な記述」ではなく、「世界に対する主観的な意味づけの共有」にあるとする、根本的なパラダイムシフトを意味する。
1.3. 経験主義と身体性(Embodiment)
形式主義言語学が、生得的な言語知識(普遍文法)を仮定する「合理主義(Rationalism)」の系譜にあるとすれば、認知言語学は、知識が経験から派生するとする「経験主義(Empiricism)」の系譜に連なる。特に、認知言語学が強調するのは「身体性(Embodiment)」、すなわち「身体的経験」の重要性である。
認知意味論によれば、我々が用いる日常言語の概念体系の大部分は、「世界の客観的な解釈によって構築されているのではなく」、そこに「言語主体の身体的経験」や「言語以外にも見られる一般的な認知能力」が深く反映されて構築されている 2。
これは「身体化された認知(Embodied Cognition)」の理念であり、我々の思考や概念(特に抽象的な概念)が、私たちが特定の身体(例えば、上下・前後の非対称性、重力、物理的相互作用)を持ち、物理世界と相互作用するという事実に根本的に制約され、基盤づけられているという考え方である。この観点において、「身体的経験」は単なる情報入力(input)ではなく、概念構造を形成するための「鋳型(mold)」として機能する。例えば、「上」という身体的経験(立つこと、物が積み上がること)は、イメージ・スキーマの形成を通じて、「気分が上がる」「地位が上である」といった抽象的な概念領域(感情、社会)の基盤を提供する。
表1:形式主義言語学 vs. 認知言語学の哲学的対立
| 比較項目 | 形式主義(生成文法・形式意味論) | 認知言語学 |
| 言語観 | 認知から独立した、自律的な計算システム(モジュール) 3。 | 一般的な認知能力(知覚、カテゴリー化など)の反映 1。 |
| 文法と意味 | 文法(統語論)は、意味論から独立している 3。 | 文法は意味と不可分であり、意味論・語彙と連続体をなす 5。 |
| 意味の定義 | 客観的な真理条件。形式論理で記述可能 3。 | 主観的な「意味づけの営み(Construal)」。解釈のプロセス 4。 |
| 身体性 | 原理的に考慮されない。脳内の抽象的な規則体系。 | 概念体系の基盤。「身体的経験」が意味を動機づける 2。 |
| 哲学的背景 | 合理主義(生得性、普遍文法)。 | 経験主義(経験、身体性、用法基盤)。 |
セクション2:認知言語学の基本原理と中核的概念
2.1. カテゴリー化とプロトタイプ理論
認知言語学の理論的根幹を成す第一の原理は、「カテゴリー化(Categorization)」の理論である 4。言語は「意味づけの営み」の媒体であり 4、その営みの最も基本的なものが、連続的で雑多な世界経験を、個別の単位(カテゴリー)として切り分け、把握することだからである。
認知言語学が扱うのは、アリストテレス以来の伝統的な「古典的カテゴリー観」ではない。古典的カテゴリー観とは、すべてのメンバーが「必要十分条件」を等しく満たす(例:「鳥」={羽毛を持つ、飛ぶ、卵を産う})と考える、境界が明確なコンテナ型のモデルである。しかし、このモデルでは、人間の認知が持つ本質的な「曖昧さ」や「心のゆらぎ」 4、あるいは「一つの語が複数の関連する意味を持つ」という「多義性」 1 を説明することができない。
認知言語学は、この問題に対し、エレノア・ロッシュ(Eleanor Rosch)らが提唱した「プロトタイプ理論(Prototype Theory)」を採用する。プロトタイプ理論では、カテゴリーは必要十分条件ではなく、「最も良い例(プロトタイプ)」を中心に構成される。例えば、「鳥」カテゴリーのプロトタイプは「スズメ」や「ハト」であり、メンバーシップは段階的である。「ペンギン」や「ダチョウ」は、プロトタイプとの類似性が低いため、カテゴリーの「周辺的なメンバー」として位置づけられる。
この理論は、言語の「多義性」の問題 1 を解明する鍵となる。「放射状カテゴリー(Radial Category)」というモデルによれば、語の中心的な意味(プロトタイプ)から、比喩(メタファー)や換喩(メトニミー)といった認知メカニズムによって、新たな意味が派生的に拡張していく。こうして、一つの語が複数の意味を持ちながらも、それらの意味間に関連性が感じられる(=多義性)構造が説明される。
2.2. 概念メタファーとメトニミー
カテゴリー化と並ぶ認知言語学の重要な支柱が、「概念メタファー(Conceptual Metaphor)」と「メトニミー(Metonymy)」の理論である 6。ジョージ・レイコフ(George Lakoff)らによって確立されたこの理論は、メタファーを単なる修辞(言葉の飾り)としてではなく、人間の「理解を単純化し、構造化する」ための基本的な認知メカニズム、すなわち思考の様式そのものであると捉え直した 7。
概念メタファー理論(CMT)の核心は、「ある概念領域(ターゲット領域:通常は抽象的・複雑)」を、「別の概念領域(ソース領域:通常は具体的・身体的)」の観点から理解し、推論するプロセスであると主張する点にある。
この理論は、セクション1.3で述べた「身体性」と「抽象的思考」を繋ぐ、具体的なメカニズムを提供する。有名な例「議論は戦争である (ARGUMENT IS WAR)」は、「議論」という抽象的な社会的行為を、「戦争」という(より身体的で、力の相互作用を伴う)概念の観点から構造化する。我々は「彼の主張は弱点だらけだ」「その議論は論破できない」「彼の議論を打ち負かした」のように、戦争の語彙を用いて議論について語り、思考する。このメタファーは、我々の身体的経験(物理的な闘争)を、抽象的な領域(知的対立)に投影する「パイプライン」として機能する。
さらに、メタファーは中立的な記述ではなく、現実を制約し、特定の行動を誘導する規範的な「力」を持つ。7で指摘されているように、メタファー(例:容器のメタファー)は、我々の理解を構造化する一方で、「制限をかけ、抑制することもできる」「意図しない分裂や二項対立を生み出してしまう」可能性がある 7。例えば、「議論は戦争である」というメタファーが支配的な社会では、議論は「勝敗」として捉えられ、「協力的な問題解決」という側面が見過ごされ、対立的なコミュニケーションが助長されるかもしれない。このように、認知言語学のメタファー理論は、社会的な言説(政治、広告、教育)を分析・批判する「批判的言説分析」の領域へと強力に接続する。
2.3. イメージ・スキーマと意味の動態(解釈)
では、概念メタファーの基盤となる「具体的・身体的なソース領域」は、どのようにして形成されるのか。その答えが「イメージ・スキーマ(Image Schema)」である。イメージ・スキーマとは、私たちが身体を通じて世界と相互作用する(例:容器の中に入る、道を移動する、重力に抗って立つ)反復的な経験から生じる、前概念的・骨格的なトポロジカルなイメージ構造である。代表的なものに、「容器 (CONTAINER)」「道 (PATH)」「上-下 (UP-DOWN)」「中心-周辺 (CENTER-PERIPHERY)」などがある。これらは、セクション1.3の「鋳型」であり、セクション2.2のメタファーの「ソース領域」となる、概念化の基本的な「素粒子」である。
認知言語学が重視するのは、これらの認知プロセス(カテゴリー化、メタファー、イメージ・スキーマ)を用いて、人間が「主体的に意味を読み取り」 4、世界をどのように把握するか、すなわち「解釈(Construal)」のプロセスである 4。
「解釈」とは、同じ事象やシーンを、異なる仕方で捉え、言語化する認知能力である 1。1で挙げられている「視点の投影・移動」や「ゲシュタルト的な知覚(図と地の反転)」は、この「解釈」の具体的な現れである。
そして、この「解釈」の道具箱こそが「文法」である。文法(構文)の役割は、客観的な事態を中立的に記述することではなく、特定の「解釈」をコード化し、聞き手に強制することにある。例えば、1が研究対象として挙げる「間接受身」(例:「私は雨に降られた」)は、客観的な事象(雨が降った)に対して、「私が迷惑を被った」という話者の主観的な「解釈」を文法形式(受身)によって付与する典型例である。したがって、文法は意味から独立した計算システム(生成文法)ではなく、「意味づけの営み」 4 のための動的なツールそのものである。
セクション3:主要な理論的フレームワークと提唱者
認知言語学の基本理念は、それぞれが独自の焦点を持つ、複数の具体的な理論的フレームワークによって精緻化されてきた。
3.1. ロナルド・ラネカーの「認知文法 (Cognitive Grammar)」
ロナルド・ラネカー(Ronald W. Langacker)が1970年代から展開してきた「認知文法(Cognitive Grammar, CG)」は、認知言語学の最も包括的かつ基盤となる文法理論である 5。
CGの根本的な主張は、文法、意味論、語彙が、それぞれ独立したプロセスとして存在するのではなく、「連続体(continuum)」を形成しているという点にある 5。この理論は、セクション1.2で述べた形式主義の前提(文法と意味の分離)を真っ向から否定する。
CGによれば、文法は「記号的(symbolic)」である 3。言語の基本単位は、[意味構造(semantic structure)] と [音韻構造(phonological structure)] のペアリングである「記号単位(symbolic unit)」のみであると仮定される 9。これは、伝統言語学および生成文法における「語彙(意味を持つ)」と「文法規則(意味を持たず、操作を行う)」という根本的な二分法を解体するものである。
CGの観点では、「dog(犬)」が [意味:イヌ] と [音形:/dɔg/] のペアであるのと同様に、複数形の「-s」も [意味:複数] と [音形:/s/] のペアであり、受身構文も [意味:視点の転換] と [音形:be… -en] のペアである。これらはすべて「記号単位」であり、違いは「抽象度(スキーマ性)」だけである 9。文法とは、具体的(語彙的)な記号単位と、抽象的(文法的)な記号単位(=スキーマ)の巨大な目録(inventory)に他ならない。文法は「空虚」ではなく、それ自体が「意味を持つ」 10。ラネカーの言葉を借りれば、文法は「概念内容の構造化と記号化」に還元される 3。
CGは、セクション2.3の「解釈」を具現化する精密な分析ツールを提供する。その中心概念が「プロファイリング(profiling)」、「トラジェクター(Trajector, TR)」、「ランドマーク(Landmark, LM)」である 9。TRは第一の焦点(図)、LMは参照点(地)である。「A is above B(AはBの上にある)」という文では、AがTR、BがLMとしてプロファイルされる。同じ客観的シーンを「B is below A」と表現すれば、今度はBがTR、AがLMとなり、異なる「解釈」がコード化される。このように、主語や目的語の選択、能動・受動の選択は、話者がそのシーンのどの部分に焦点を当て、どのように解釈しているかの「記号化」として説明される。
3.2. レオナード・タルミーの「フォース・ダイナミクス (Force Dynamics)」
レオナード・タルミー(Leonard Talmy)は、「フォース・ダイナミクス(Force Dynamics, FD)」という、言語において「これまで無視されてきた意味カテゴリー(neglected semantic category)」を提唱した 12。FDとは、言語が世界を「力(force)」の相互作用(拮抗、抵抗、障壁、許容)の観点からどのように概念化しているかを体系的に記述する理論である。
FDの基本要素は、焦点が当てられる「アゴニスト(Agonist)」と、それに対抗する「アンタゴニスト(Antagonist)」である。両者はそれぞれ、運動(action)または静止(inaction)への「内在的な傾向」を持つ 12。
FDは、認知言語学の核心的テーゼである「言語は身体的経験に根差す」ことを、文法の中核(法助動詞、使役)において最も明確に示した理論である。伝統的に論理学的な「様相(modality)」として扱われてきた法助動詞(must, may, can)の意味が、私たちが日常的に経験する「物理的な力」の相互作用に基づいていると説明する 14。
- 使役(Causing): 「The ball kept rolling.(ボールは転がり続けた)」— アゴニスト(ボール)の運動の傾向 > アンタゴニスト(摩擦など)の静止の傾向。
- 法助動詞(Modality):
- You must go. (行かなければならない) — アンタゴニスト(権威、義務)が、アゴニスト(あなた)の「静止の傾向」に打ち勝ち、運動を引き起こす (CAUSING) 12。
- You may go. (行ってもよい) — アンタゴニスト(権威)が、アゴニスト(あなた)の「運動の傾向」を妨げていた障壁を取り除く (LETTING) 12。
タルミーは、このFDの概念が、物理的領域(14)から、比喩的拡張(metaphoric extension)によって「心理的」「社会的」「推論的」領域にも横断的に適用されることを示した 13。FDは、抽象的な文法機能が、具体的な身体経験(力の拮抗)というイメージ・スキーマに基づいていることを実証する、強力なフレームワークである。
3.3. アデル・ゴールドバーグの「構文文法 (Construction Grammar)」
アデル・ゴールドバーグ(Adele Goldberg)らによって発展した「構文文法(Construction Grammar, CxG)」は、認知言語学のもう一つの主要な文法理論である 1。CxGは、ラネカーのCGと多くの前提を共有するが、特に「構文(construction)」、すなわち文レベルの形式的パターン(例:SVOO二重目的語構文)に焦点を当てる。
CxGの核心的主張は、「構文」それ自体が、それに含まれる個々の語(特に動詞)の意味から予測不可能な、独自の「記号単位」([意味]-[形式]のペア)であるとする点にある 15。
この理論は、文の意味が動詞によって決定されるという「動詞中心主義(verb-centric)」的な見方を覆す。例えば、「He sneezed the napkin off the table.(彼はくしゃみでナプキンをテーブルから落とした)」という文を考える。sneeze(くしゃみする)は本来、目的語を取らない自動詞である。しかし、この文が容認可能なのは、sneeze が「S V O Oblique」という「使役移動構文」()に組み込まれたからである。この場合、動詞 sneeze が文の意味を決定したのではなく、構文自体が sneeze という行為に「移動させる」という使役的な意味を「付与(coercion)」している。
このように、CxGは、文法構造(構文)が個々の単語の意味に優先しうることを示し、文法全体が意味を持つ記号単位の体系であるという認知言語学の理念を、構文レベルで強力に実証する理論である。
3.4. ジル・フォコニエの「メンタル・スペース理論 (Mental Spaces)」
ジル・フォコニエ(Gilles Fauconnier)は、「メンタル・スペース理論(Mental Spaces Theory, MS)」を提唱し、後にマーク・ターナー(Mark Turner)と共に「概念ブレンディング理論(Conceptual Blending Theory)」へと発展させた。
MS理論は、言語理解を、固定的な意味の解読ではなく、談話(discourse)の進行に伴って心的に構築される「ダイナミックな」プロセスとして捉える 16。この理論の画期的な点は、「意味論と語用論を統合する」試みにある 16。
MS理論によれば、言語は、単に「外部に存在する世界」を正しく(あるいは誤って)「表現」するだけのものではない 16。そうではなく、言語は、聞き手の心の中に「メンタル・スペース(心的空間)」と呼ばれる、談話の理解に必要な「それ自身の世界」を次々と構築(build)し、それらの空間同士を関連付ける(map)ための指示(prompts)として機能する。
この理論は、伝統的な形式意味論が扱いに窮してきた「文脈依存性」「反事実条件文」「信念文」といった問題を鮮やかに説明する。例えば、「If I were rich…(もし私が金持ちなら)」という表現は、現実世界(R空間)での真理条件を問うものではない。これは、聞き手に対し、「R空間」からアクセス可能な「H(仮定)空間」を新たに構築し、そのH空間内では「私は金持ちである」という設定が有効である、という指示である。言語理解とは、このように構築された多様な空間(現実、過去、仮定、信念、願望)の間で、どの要素がどの空間に属しているかを追跡する動的な認知プロセスであると説明される。
表2:認知言語学の主要な理論的フレームワーク
| 理論的フレームワーク | 主要提唱者 | 核心的主張 | 主要概念 |
| 認知文法 (CG) | R. ラネカー | 文法・語彙・意味は「連続体」であり、全てが意味を持つ「記号単位」である。 | 記号単位、スキーマ、プロファイリング、トラジェクター(TR)、ランドマーク(LM) 5 |
| 構文文法 (CxG) | A. ゴールドバーグ | 文法的な「構文」自体が、語彙とは独立した[意味]-[形式]の記号単位である。 | 構文(Construction)、項構造構文、動詞の意味と構文の意味の相互作用 15 |
| フォース・ダイナミクス (FD) | L. タルミー | 言語は「力」の相互作用(拮抗、許容)を概念化する体系を持つ。 | アゴニスト、アンタゴニスト、使役(Causing)、許容(Letting)、法助動詞 12 |
| メンタル・スペース (MS) | G. フォコニエ | 言語は現実世界を写すのではなく、談話の中で動的な「心的空間」を構築する。 | メンタル・スペース、ビルダー、マッピング、意味論と語用論の統合 16 |
セクション4:学際的応用と実証的研究
4.1. 第二言語習得(SLA)と外国語教育
認知言語学の理論的諸前提は、第二言語習得(SLA)および外国語教育の分野に強力な理論的示唆を与えている。認知言語学の言語観がこの分野に適しているとされる最大の理由は、その言語観が「言葉だけでなく、文化や習慣、生活にも開かれている」点にある 17。
伝統的な言語教育(例えば、文法訳読方式やオーディオ・リンガル・メソッド)が、言語を「辞書的な意味(語彙)」と「文法規則」の暗記の対象としてきたのに対し、認知言語学は、言語の意味を「百科事典的意味(encyclopedic meaning)」として捉える。つまり、ある語の意味は、辞書に書かれた核となる定義だけでなく、その語が使用される文脈、関連する文化的な常識、習慣、身体的経験のすべてを含む広範なネットワークとして存在する、と考える。
この観点は、特に異文化間コミュニケーションにおいて決定的に重要となる。例えば、17およびB_B9では、「猫」をめぐる日韓の文化的意味の違いが指摘されている。辞書に書かれた「猫」の生物学的定義は日韓で共通かもしれないが、「あなたは猫のような人ね」という比喩表現が持つ「百科事典的意味」は大きく異なる。日本では「身近でかわいい」という肯定的なイメージが強いが、韓国では伝統的に「不気味な存在」としてのイメージがあり、ペットとしての歴史も浅い 17。したがって、この比喩表現は深刻な誤解を生む可能性がある。夏目漱石の『吾輩は猫である』が持つ「ペットとしての猫」という視点(アングル)も、韓国語の文脈ではその文化的基盤を失ってしまう 17。
認知言語学は、このような「文化リテラシー」が言語能力の不可欠な一部であると主張する。言語習得とは、相手の言葉に込められた「コミュニケーション意図」を読み取り、それを「表現形式とマッピングして覚える」プロセスである。この「マッピング」は、認知言語学の「用法基盤モデル(Usage-Based Model, UBM)」の考え方と一致する。UBMは、生得的な文法規則を仮定せず、言語習得を「具体的な使用例(exemplar)」の膨大な蓄積と、そこから「スキーマ(抽象的な型)」が帰納的に抽出されるプロセスとして説明する。
したがって、認知言語学に基づく言語教育は、抽象的な規則の演繹的な学習よりも、文化的文脈に埋め込まれた豊富なインプットと、実際の使用(マッピング)の機会を重視する「総合的日本語教育」 17 の理論的支柱となる。
4.2. 自然言語処理(NLP)と人工知能(AI)
認知言語学の「意味理解」や「文脈の重視」といった視点は、より高度で「人間らしい」言語処理システムを開発する上で、現代の自然言語処理(NLP)および人工知能(AI)の分野に貴重な貢献をもたらす可能性を秘めている 18。
すでに、認知言語学の理論的成果は、NLPの分野で具体的な応用例を生み出している。その最も成功した例の一つが、チャールズ・フィルモア(Charles J. Fillmore)の「フレーム意味論(Frame Semantics)」に基づき構築された言語資源「FrameNet」である。フレーム意味論は、語の意味を理解するためには、その語が喚起する背景的な知識フレーム(例:「商取引」フレームには、買い手、売り手、商品、対価といった要素が含まれる)が必要であるとする理論であり、認知言語学的な「百科事典的意味」観と一致する。FrameNetは、このフレーム構造を大規模にアノテーションしたデータベースであり、NLPにおける語彙意味論や文脈理解のタスクに利用されている。また、アデル・ゴールドバーグの構文文法(CxG)も、言語のパターンや構造の統計的性質を捉えるアプローチとして、NLPの理論的支柱の一つとして注目されている。
近年、急速な発展を遂げている大規模言語モデル(LLM)と認知言語学の関係は、より複雑である。LLMは、大量のテキストデータから統計的パターンを抽出する手法であり、この点は、言語が具体的な使用例の蓄積に基づいて獲得されるという認知言語学の「用法基盤モデル(UBM)」の視点と、表面的な「共通性」を持つと見ることができる。
しかし、その学習メカニズムは根本的に異なる。LLMのトレーニング(確率的なパターン学習)は、人間の言語習得プロセスを厳密に模倣したものではない。認知言語学が言語習得の鍵として強調する、豊富な「社会的・認知的文脈」、すなわち「対話や状況理解、社会的相互作用」 は、現在のLLMの学習プロセスには決定的に欠落している。
さらに根本的な問題は、セクション1.3で議論した「身体性」の欠如である。認知言語学の根本理念は、概念が「身体的経験」に根差すことである 2。テキストデータのみを学習するLLMは、物理世界での「身体的経験」(例:重さ、熱さ、力の相互作用)を持たない。したがって、認知言語学の観点からは、LLMが「理解」する「上」や「重い」といった概念は、人間が持つ身体的な概念とは本質的に異なり、単なる記号間の統計的相関に過ぎない。
この「身体性」や「社会的相互作用」といった質的・抽象的な概念を、現在の「定量的」「統計的」なNLPの主流派と橋渡しすること(形式化・定量化)が、認知言語学の知見をAIにさらに深く応用するための最大のハードルとなっている。
セクション5:現代の研究動向と批判的検討
5.1. 日本および国際的な研究フロンティア
認知言語学は、その理論的基盤の確立を経て、現在、実証的な検証と分析対象の拡張という二つの方向性で活発な研究が展開されている。
日本認知言語学会(JCLA)の学会誌『認知言語学研究』の最新の動向(2025年第10巻など)からは、この分野の多様な広がりがうかがえる 19。
- 実証主義的アプローチ: 「コーパスに基づく研究(A Corpus-based Study on the Development of Went to Go V)」のように、大規模言語資料(コーパス)を用いて理論的仮説を実証的に検証する研究。
- 談話・コミュニケーション機能: 「談話標識としてのNot to Mention」や、「流暢性と非流暢性」の研究のように、文法構造を超え、実際のコミュニケーションにおける発話の機能や認知プロセスに注目する研究。
- 分析対象の拡張(マルチモーダル): 「マルチモーダルテクストとしての禁止看板―比喩の枠組みによる体系的分析に向けて―」のように、言語テクストだけでなく、画像や色彩を含む「禁止看板」を、メタファー理論を用いて分析しようとする試み。
- 理論の再評価: 「レトリック探究」の書評に見られるように、修辞学の概念を認知言語学的に再評価し、人間の思考メカニズムとして捉え直す研究。
国際的な学術誌(例:Cognitive Linguistics, Review of Cognitive Linguistics, Language and Cognition)における近年のトピック(2024-2025年)も、同様の傾向を示している 21。
- 社会的応用: 「COVID-19パンデミック」のような社会的危機が、人々の「人生」に対する「メタファー概念をどのように変容させたか(あるいは、させなかったか)」を実証的に調査する研究 21。
- 理論の拡張と実証: 「言語変化の構文文法的アプローチ(Constructional framework for language change)」や、「翻訳ブースにおける身体化された認知(Embodied cognition in the booth)」、「ユーモアと身体(Humor, the body)」など、理論を新しい領域(言語変化、翻訳、ユーモア)に拡張し、実験的な手法で検証する研究 22。
- マルチモーダル研究: 「メタファーとメトニミーの視覚的・マルチモーダルな相互作用(Visual and multimodal interaction)」のように、言語と視覚情報の相互作用を探る研究 22。
これらの動向は、認知言語学が、初期の理論的・内省的な分析から、コーパスや実験データに基づく「実証主義」の段階へと成熟しつつあること、そして、分析対象を言語単体から、画像、ジェスチャー、社会現象を含む「拡張主義」へと進んでいることを示している。
5.2. 内部からの批判と「生態学的転換」
認知言語学は、その成熟と並行して、その理論的根幹に関わる、より根本的な内部批判にも直面している。その最も重要なものが、「生態学的言語観(Ecological View on Language)」への転換を求める議論である 26。
この批判によれば、認知言語学(CL)は、生成文法(GG)の「形式的表象」を「認知(イメージ、スキーマ)」に置き換えることで、言語学に「心」を取り戻した。しかし、CLはGGを批判しながらも、西欧の「表象主義的意味論(Representational Semantics)」、すなわち「意味は外界の写しとしての心的表象であり、それを言語表現として外在化している」という根本的な前提を、GGと共有してしまっている。
さらに、CLは意味のありかを話者の「心や脳内に求める」傾向があり、これは「脳還元主義(Brain Reductionism)」につながる危険性を持つ。例えば、fMRIを用いて「『蹴る』という単語を聞くと運動野が活性化する」ことを示す研究 26 は、身体性の証拠とされるが、言語表現と脳の部位を「一対一で対応させる」やり方は、意味が脳内に局在するという還元主義的な見方を強化しかねない 26。
また、CLの分析手法には「循環論法(Circular Reasoning)」の危険性が常につきまとうと指摘される。例えば、B_B6の「水が半分もある」という言語表現(E)から、話者の「ワイン(水)への欲求(心的態度)」(C)を推測する(E→C)ことは可能である。しかし、多くの場合、その「心的態度」(C)の存在を証明する独立した証拠は、当の「言語表現」(E)以外に存在しない。この場合、説明は(E→C→E)という循環論に陥っている。
これらの「表象主義」「脳還元主義」「循環論法」というCLの潜在的な問題を克服する代替案として提示されるのが、J.J.ギブソン(Gibson)の「アフォーダンス(Affordance)」と「直接知覚論」、およびD.ノーマン(Norman)の「シグニファイア(Signifier)」に基づく「生態学的言語観」である。
- 反・表象主義: この立場では、意味は「心の中の表象」ではない。意味や価値(例:椅子が「座る」ことを提供する)は、環境と知覚主体の関係性における「アフォーダンス」として、環境側に実在する(直接知覚される)。
- 言語の機能の再定義: したがって、言語は、意味(表象)を運ぶ「伝達モデル」や「コード」ではない。言語は、環境内に実在する「アフォーダンス知覚を促すためのデザイン=シグニファイア」である。
この生態学的モデルでは、言語の機能は根本的に再定義される。「りんご」という単語は、聞き手の頭の中に「りんごの心的表象」を呼び起こすためにあるのではない。それは、環境との相互作用の中で、現実の「りんご」が持つ「食べる」というアフォーダンスへの注意を促し、方向づける「シグニファイア」として機能する。この観点では、言語は「情報」を伝達するのではなく、人間と環境、あるいは人間同士の「相互作用(Interaction)」を調整(coordinate)する手段である 26。
この生態学的批判は、CLの「C」(Cognition)の定義そのものに挑戦する、最も根本的な理論的課題を提示している。
セクション6:総括と展望
認知言語学は、ノーム・チョムスキーの生成文法が支配的であった言語学界において、「少数派の報告」 3 として出発し、言語研究のパラダイムを根本から問い直す一大潮流となった。本レポートが詳述してきたように、認知言語学は、言語を自律的なモジュールとしてではなく、「人間一般の認知能力の反映」 1 であり、「身体的経験」 2 に深く根差した現象として捉え直すことで、言語研究に「心」と「身体」を取り戻した。
ロナルド・ラネカーの「認知文法」 5、レオナード・タルミーの「フォース・ダイナミクス」 12、アデル・ゴールドバーグの「構文文法」 15、ジル・フォコニエの「メンタル・スペース理論」 16 といった主要な理論的フレームワークは、文法、意味、語彙の連続性を実証した。また、「カテゴリー化とプロトタイプ理論」 4 や「概念メタファー理論」 7 といった中核的概念は、言語構造の動機づけを明らかにするだけでなく、第二言語習得(SLA) 17 や自然言語処理(AI) 18 といった応用分野にも強力な分析ツールを提供している。
今後の展望として、認知言語学は三つの主要な課題に直面している。
第一に、実証性のさらなる強化である。現代の研究動向 22 が示すように、理論の成熟に伴い、その仮説をコーパス、心理実験、あるいはfMRI 26 などの神経科学的手法を用いて実証的に検証し、理論の客観性と精密性を高めていくことが不可欠である。
第二に、人工知能(AI)との対話である。大規模言語モデル(LLM)が示す「用法基盤モデル」 との表面的な親和性と、その「身体性」 2 および「社会的相互作用」 の欠如という根本的な断絶は、認知言語学にとって重要な問いを投げかけている。認知言語学は、LLMが達成した「知能」が、人間が持つ「認知」といかに、そしてなぜ異なるのかを定義する、批判的な参照点としての役割を担うことになるだろう。
第三に、そして最も根本的な課題は、セクション5.2で論じた「生態学的転換」の可能性である。認知言語学が、その成立基盤である「認知革命」の「表象主義」や「脳還元主義」 を依然として引きずっているという批判は、この分野の根幹を揺るがす。この生態学的批判を受け入れ、言語の機能を「頭の中の心的表象の伝達」から「環境との相互作用を調整するシグニファイア」 へと再定義できるかどうか。それが、認知言語学の次のパラダイムシフトの鍵を握っている。
引用文献
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- 認知意味論とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E6%84%8F%E5%91%B3%E8%AB%96#:~:text=%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E4%B8%BB%E4%BD%93%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%96%93,%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%A8%E6%8D%89%E3%81%88%E3%82%8B%E3%80%82
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- 11月 15, 2025にアクセス、 https://en.wikipedia.org/wiki/Cognitive_grammar#:~:text=Cognitive%20grammar%20is%20a%20cognitive,first%20projects%20of%20cognitive%20linguistics.
- 認知言語学2:カテゴリー化 – 東京大学出版会 https://www.utp.or.jp/book/b303205.html
- 私たちの思考は「比喩」に現れる|メタファーの興味深い研究とは … https://www.nlpjapan.co.jp/nlp-focus/metaphor-study.html
- Essentials of Cognitive Grammar – Ronald W. Langacker – Oxford University Press https://global.oup.com/academic/product/essentials-of-cognitive-grammar-9780199937356
- 認知文法 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E6%96%87%E6%B3%95
- Cognitive Grammar – Definition and Discussion – ThoughtCo https://www.thoughtco.com/what-is-cognitive-grammar-1689860
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- This excerpt from Toward a Cognitive Semantics – Vol. 1. Leonard Talmy. © 2000 The MIT Press. is provided in screen-viewable fo – Personal Websites – University at Buffalo https://www.acsu.buffalo.edu/~talmy/talmyweb/Volume1/chap7.pdf
- Chapter 7 – Force Dynamics in Language and Cognition – Computer Science : University of Rochester https://www.cs.rochester.edu/u/james/Papers/TalmyForceDynamics.pdf
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- メンタル・スペース : 自然言語理解の認知インターフェイス – CiNii Research https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN01570870
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- Cognitive Linguistic Studies – Current Issue – John Benjamins https://www.jbe-platform.com/content/journals/22138730/browse
- Journal – Cognitive Linguistics https://www.cognitivelinguistics.org/en/journal
- Review of Cognitive Linguistics. Published under the auspices of the Spanish Cognitive Linguistics Association https://benjamins.com/catalog/rcl
- All volumes | Language and Cognition | Cambridge Core https://www.cambridge.org/core/journals/language-and-cognition/all-issues
- (PDF) 認知言語学の批判的検討:生態学的言語観への転換 [A Critical … https://www.researchgate.net/publication/349318842_renzhiyanyuxuenopipandejiantaoshengtaixuedeyanyuguanhenozhuanhuan_A_Critical_Study_of_Cognitive_Linguistics_Toward_the_Ecological_View_on_Language



