フィジカルAI

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エグゼクティブ・サマリー

フィジカルAI(Physical AI)またはエンボディドAI(Embodied AI)は、単なる技術的トレンドではなく、デジタル世界で発展した人工知能(AI)が物理的な「身体」を獲得し、現実世界の労働市場と経済活動に直接関与し始める、次なる産業革命の中核をなすパラダイムシフトである。過去数年間で大規模言語モデル(LLM)が「知能」のコストを劇的に引き下げたように、フィジカルAIは「物理的労働」の形態を根本から再定義する可能性を秘めている。

本レポートは、2024年から2025年にかけての最新の技術動向、主要企業の戦略的ポジショニング、学術的フロンティア、そしてガバナンスの課題を網羅的に分析する。

主な分析結果は以下の通りである:

  1. 市場の定義と二極化: 市場は、AI、ハードウェア、製造、データを垂直統合するクローズドなモデル(例:Figure AI, Tesla)と、AI(ブレイン)や開発基盤を水平分業で提供するオープンなエコシステムモデル(例:Google, NVIDIA)との間で、覇権を巡る競争が始まっている。
  2. 中核技術の進化: 「知能」はLLMから視覚・言語・行動を統合したVLA (Vision-Language-Action) モデルへと進化している。Google DeepMindが2025年9月に発表した「クロスエンボディメント学習」(異なるロボット形態間でのスキル転移)は、知能がハードウェアから分離可能であることを示唆する革命的な進歩である 1
  3. 新たな参入障壁: ロボットの性能は、シミュレーションの忠実度(Sim-to-Real)と、実機からの物理的インタラクション・データの「量と質」によって決定される。NVIDIAのOmniverseプラットフォームやTeslaのFSDフリートが示すように、この「シミュレーションとデータ収集のフライホイール」を構築・独占することが、次世代の決定的な参入障壁(データモート)となりつつある 2
  4. 製造能力の重要性: Figure AIの急速な台頭(2025年9月に評価額390億ドルで10億ドルを調達 4)は、AIの優位性だけでなく、「BotQ」と呼ばれる専用製造施設 4 や、アクチュエーター、センサーの内製化 5 といった、Teslaと同様の「製造(Manufacturing)」能力の垂直統合に支えられている。
  5. 喫緊のガバナンス課題: 技術の進歩に対し、安全性、標準化、社会受容性といったガバナンスの枠組みは危険なほど遅れている。特に、VLAモデルがサイバー攻撃(敵対的攻撃)によって物理的に危険な行動を引き起こす脆弱性(攻撃成功率50%超)が2024年後半の学術研究で実証されており 6、安全性の標準化(NIST 2 やIEEE 7 が推進)が、市場普及における最大の課題かつ、次なる競争優位の源泉となる。

本レポートは、この変革期において、企業経営者、投資家、政策立案者が取るべき戦略的インプリケーションを提示する。


I. デジタルからフィジカルへ:次なるAI革命の定義

1.1. フィジカルAIとエンボディドAI:中核概念の定義

AIの進化は、デジタルの領域を飛び出し、物理的な現実世界へとそのフロンティアを拡大している。「フィジカルAI」および「エンボディドAI」という用語は、この新しいパラダイムを指す上で実質的に同じ領域を示しているが、その提唱者によってニュアンスが異なる。

NVIDIAによる「フィジカルAI」:

NVIDIAは、「フィジカルAI」を、AIが現実世界の物理法則を理解し、環境や物体と直接相互作用する技術として定義している 8。これは、GPTやLlamaのような現在の生成AI(LLM)が主にデジタル空間のテキストや画像を扱うのに対し、フィジカルAIは3D世界の空間関係、物理的な動き、そしてそれらの相互作用を理解する、生成AIの「次なる拡張」と位置づけられる 8。

学術界・Googleによる「エンボディドAI (Embodied AI)」:

一方、学術界やGoogle DeepMindなどが主に使用する「エンボディドAI」(身体性を持つAI)は、AIがロボットや自動運転車といった物理的な形態(”Physical Form”)に組み込まれ、その身体を通じて環境を「感知」し、「相互作用」するエージェント(主体)であると定義される 9。この概念の根底には、知能は単なる計算プロセスではなく、世界との物理的な相互作用(身体性)に深く根ざしているという「身体性仮説」が存在する 9。

本質的に、NVIDIAの用語は「物理シミュレーション」と「ハードウェア基盤」への強みを、Googleの用語は「知能」と「エージェント」への強みを反映しているが、両者ともAIがデジタル世界から物理世界へ進出する技術革新を指している。

1.2. なぜ今、フィジカルAIなのか:パラダイムシフトの要因

フィジカルAIが2024年から2025年にかけて急速に注目を集めている背景には、いくつかの技術的・社会的要因が存在する。

第一に、大規模言語モデル(LLM)の触媒効果である。LLMの登場は、ロボティクスとフィジカルAIの統合を劇的に加速し、その速度と効率を飛躍的に向上させた 12。LLMが提供する高度な文脈理解と推論能力が、ロボットの「脳」として機能し始めた。著名な専門家である堀江貴文氏や深津貴之氏は、このAIの進化を「インターネットの黎明期」に匹敵する重要な転換点であると指摘している 12

第二に、従来のAIとの本質的な違いである。従来のソフトウェアAIは、サーバー内に存在する「水槽の中の脳 (A Brain in a Vat)」に例えられるように、受動的に入力を待つ存在だった 9。対照的に、フィジカルAIは物理環境で能動的に行動する「身体化された脳 (An Embodied Brain)」である 11。この違いは学習方法に決定的な差をもたらす。フィジカルAIは、シミュレーションや実世界での「試行錯誤」(強化学習)や、「転倒」「バランス」「触覚」といった物理的なフィードバックから直接学ぶ能力を持つ 9

このパラダイムシフトは、単なるロボット工学の進歩ではない。これは、過去10年間の「デジタルAI」(深層学習、LLM)の爆発的な進歩が、ついに物理世界の「身体(ハードウェア)」という長年のボトルネックに直面し、それを乗り越えようとする「必然的な次のステップ」である。LLMが知能のコストを下げた今、フィジカルAIはその強力な「脳」を「身体」に組み込むことで、AIの価値を物理的な労働市場、すなわち製造、物流、医療、農業といった現実世界の現場作業へと解放する試みなのである 14

1.3. 中核となる原則:知覚、行動、学習の連動

フィジカルAIが従来の自動化(例:プログラムされた産業用ロボット)と一線を画すのは、それが「想定外の状況」や「未知の環境」に適応できる点にある 13。この能力は、以下の5つの中核的な原則によって支えられている 10

  1. 物理世界との相互作用 (Interaction with the Physical World): システムは環境と物理的に関わり、リアルタイムのデータを収集し、変化する状況に適応する 10
  2. 知覚と行動の結合 (Perception and Action Coupling): 知覚(センシング)と行動(アクチュエーション)は分離しておらず、シームレスに結合している 10。例えば、障害物を見て即座に回避行動を決定するプロセスである。
  3. マルチモーダル・センシング (Multimodal Sensory Integration): 視覚(カメラ)、触覚、聴覚(マイク)、空間認識(LIDAR)など、複数のセンサー情報を統合し、環境のより深い理解を得る 10
  4. リアルタイムのデータ処理 (Real-Time Data Processing): センサーから得られる膨大なデータを迅速に処理し、障害物回避のような即時の意思決定を可能にする 9。これが遅延すれば、物理的なインタラクションは成立しない。
  5. 経験からの学習 (Learning from Experience): 強化学習(RL)や実世界での物理的フィードバック(例:物体を掴むことに成功/失敗)を通じて、スキルを継続的に洗練させていく 9

これらの原則、特に「リアルタイム性」と「マルチモーダル・センシング」こそが、フィジカルAIが従来の産業用ロボットと異なる決定的な特徴である。従来のロボットが厳格に管理された閉鎖環境で「プログラムされた反復作業」を実行するのに特化していたのに対し、フィジカルAIは、動的で予測不可能な現実世界において「想定外に対応」し、自ら学習して進化する能力を持つのである 17


II. 「知能」と「身体」の融合:フィジカルAIを支える中核技術

フィジカルAIの実現は、「ブレイン(知能)」の飛躍的な進化と、「ボディ(身体)」を構成するセンシングおよび学習技術、そして両者をつなぐ「Sim-to-Real(シミュレーションから現実へ)」技術の三位一体によって支えられている。

2.1. 「ブレイン」の進化:VLA(Vision-Language-Action)モデル

フィジカルAIの「脳」は、LLM(言語)の能力を基盤に、視覚(Vision)と行動(Action)を統合した「VLA(Vision-Language-Action)モデル」へと急速に進化している。

Googleの戦略的アプローチ:

Google DeepMindは2025年9月、フィジカルAIの「脳」に関する戦略的なアプローチとして「Gemini Robotics 1.5」ファミリーを発表した 1。これは、役割の異なる2つのモデルで構成される:

  1. Gemini Robotics 1.5 (VLA): 「視覚情報」と「言語指示」を、ロボットを直接制御するための「運動コマンド」に変換するVLAモデル。最大の特徴は、タスクを実行する前に「思考」し(例:「まず赤いセーターを黒いカゴに入れる」)、そのプロセスを透明化することで、複雑なタスクの実行と一般化能力を高める点にある 1
  2. Gemini Robotics-ER 1.5 (VLM): 物理世界を高度に「推論」し、デジタルツールを呼び出し、複雑なミッションを完遂するための詳細な多段階プランを作成するVLM(視覚言語モデル) 1

Forcesteed Roboticsの「後付け」アプローチ:

日本のスタートアップであるForcesteed Roboticsは、VLA統合技術を核としたフィジカルAIプラットフォーム「Guardian」を開発している 17。Guardianは、映像認識や自然言語を理解し、状況に応じた行動を決定する。その革新性は、この高度な「脳」を「人工意識AC (Artificial Consciousness)」として、移動ロボットや産業用アームといった既存のロボットに後付けできる点にある 17。

2.2. 「ボディ」の進化:センシングと学習

高度な「脳」も、現実世界からの入力を受け取る「身体(センサー)」と、その身体を動かす「学習(制御)」がなければ機能しない。

マルチモーダル・センシングと触覚の重要性:

フィジカルAIは、カメラ、LIDAR、マイクといった従来のセンサー 9 に加え、より人間に近い「柔軟なマルチモーダル・センシング技術」に依存する 16。特に重要視されているのが「触覚」である。2024年の学術論文(RoboPack)では、視覚と「触覚フィードバック」の組み合わせが、硬い物体だけでなく、布や袋のような変形可能な物体の物理的挙動を理解するために不可欠であると指摘されている 18。この傾向は産業界でも同様であり、Figure AIは2025年10月に発表した「Figure 03」において、わずか3グラムの圧力も検知可能な高忠実度の触覚センサーを内製開発している 5。

強化学習(RL)による制御:

フィジカルAIシステムは、タスクを実行し、その結果得られるフィードバック(報酬)に基づいて行動を最適化する「強化学習(RL)」を用いて、試行錯誤から学ぶ 13。特にソフトロボティクスの分野では、深層強化学習(Deep Reinforcement Learning, DRL)が「モデルフリー制御」手法として活用されている 16。DRLは、実時間での環境とのインタラクションを通じて、特定のタスク(例:物体の掴み方)に最適化されたロボットの形態(モーフォロジー)そのものを学習・最適化することさえ可能にする 16。

しかし、物理世界での学習は安全上のリスクを伴う。日本政府(文部科学省)は、動的な環境下でも安全性を担保しながら学習・制御を行うための「安全な強化学習 (Safe RL)」を、フィジカルAIにおける重要な基礎研究課題の一つとして挙げている 14

2.3. Sim-to-Real:シミュレーションと現実の架け橋

現実世界での強化学習や試行錯誤は、コスト、時間、そして安全性の観点から膨大な制約を伴う。したがって、フィジカルAIのトレーニングは、まず仮想環境(シミュレーション)で行い、そこで学習したポリシー(方策)を実世界のロボットに転移させる「Sim-to-Real」のアプローチが不可欠となる 12

NVIDIAの包括的エコシステム:

NVIDIAのIsaacプラットフォームは、このSim-to-Realの課題に対する現在最も包括的なソリューションを提供している 19。

  1. Omniverse / Isaac Sim 3: 物理ベースのレンダリング(RTX)と高忠実度の物理シミュレーション(PhysX 21)を組み合わせ、現実世界と瓜二つの仮想空間(デジタルツイン)を構築する。ここで、現実では収集不可能な膨大な量の「合成データ」が生成される。
  2. Isaac Lab 21: この高忠実度シミュレーション環境上で、ロボットの制御ポリシー(AIモデル)を強化学習によって集中的にトレーニングする。
  3. Isaac ROS 22: トレーニングされたAIモデルを、ROS (Robot Operating System) ベースの実機のロボットに展開し、CUDAで高速実行するためのソフトウェア開発キット(SDK)。

「ギャップ」という名のボトルネック:

このSim-to-Realのアプローチは強力だが、シミュレーションと現実との間には依然として「ギャップ」が存在する。米国国立標準技術研究所(NIST)は、「学術研究で見られるエンボディドAI」と「製造業者が実世界で実装可能なもの」との間には、依然として「大きなギャップ」が存在すると指摘している 2。このギャップ(例:シミュレーションでは考慮されなかった光の反射、床の微妙な摩擦、ケーブルの抵抗など)を埋めることが、フィジカルAI実用化の最大の技術的障壁の一つである。

この技術スタックの分析は、フィジカルAI市場の将来の構造を示唆している。Googleの「クロスエンボディメント学習」1 やForcesteedの「後付け」プラットフォーム 17 が示すように、AI(ブレイン)は特定のハードウェア(ボディ)から「デカップリング(分離)」し、汎用化・コモディティ化し始めている。これは、OSとPCハードウェアのような水平分業モデルの到来を予感させる。

しかし同時に、この「Sim-to-Real」のプロセスは、もう一つの、より強力な参入障壁を生み出している。NVIDIA (Omniverse) 3、Tesla (FSDフリート) 23、Figure AI (BotQで製造されるロボットフリート) 5 のように、高忠実度なシミュレーション環境と、そこでの学習結果を検証しフィードバックする実世界のデータ収集フリート、この「シミュレーションとデータ収集のフライホイール」を自前で構築・独占できる企業が、市場において圧倒的な優位性を持つことになる。NISTが指摘する「ギャップ」 2 は、このフライホイールを持たない企業にとっての、乗り越え難い「データモート(参入障壁)」そのものなのである。


III. 覇権を巡る競争:主要プレイヤーとプラットフォーム戦略

フィジカルAI市場の黎明期において、主要プレイヤーは2つの対照的なビジネスモデルに基づき、次世代プラットフォームの覇権を巡る競争を開始している。

3.1. 戦略的二分化:垂直統合 vs. 水平分業

この対立構造は、過去のテクノロジー産業(例:PCにおけるApple vs. Microsoft/Intel、スマートフォンにおけるApple iOS vs. Google Android)で繰り返し見られたものと酷似している。

  1. 垂直統合モデル(Apple型): AI(ブレイン)、ハードウェア(ボディ)、センサー、製造、データ収集のすべてを自社で厳格に管理・最適化し、クローズドなエコシステムで完成度の高い製品を提供する。この戦略を採用するのが、Figure AIとTeslaである。
  2. 水平分業モデル(Microsoft/Android型): 自らは「ブレイン(OS)」や「開発・実行基盤」の提供に特化し、サードパーティのハードウェア開発者を巻き込んだオープンなエコシステムを構築する。この戦略を採用するのが、GoogleとNVIDIAである。

3.2. 垂直統合(The Vertical Integrators)

ケーススタディ1:Figure AI – 垂直統合による「完成度」の追求

2022年設立のスタートアップであるFigure AIは、この分野で最も急速に台頭しているプレイヤーである。2025年9月には、シリーズCラウンドで10億ドル以上を調達し、その評価額は390億ドル(約6兆円)に達した 4。

  • 製品 (Figure 03): 2025年10月に発表された第3世代ヒューマノイドロボット「Figure 03」 4
  • AI(ブレイン): 独自のVLAモデル「Helix AI」 5。Figure 03は、このHelix AIを最適に機能させることを唯一の目的として、ハードウェアがゼロから設計されている 5
  • 設計思想: Figure 03は「Helix AI」「家庭での使用」「大量生産」の3つを明確なターゲットとして設計されている 5
  • 技術的優位性 5: AIとハードウェアの緊密な統合により、圧倒的な性能を実現している。
  • ビジョン: 従来の2倍のフレームレート、1/4の低遅延、60%広い視野を持つ新しいカメラアーキテクチャ。
  • 触覚: 市場の既存センサーでは耐久性・忠実度が不足していると判断し、わずか3グラムの圧力(ペーパークリップの重さ)も検知できる高耐久・高忠実度の触覚センサーを**自社開発(垂直統合)**した。
  • データ: 10 Gbpsのミリ波通信による高速データオフロード機能を備え、フリート全体からの継続的な学習を可能にする。
  • 製造戦略: Figure AIの真の強みは、AIだけでなくその製造能力にある。
  • BotQ 4: 年間最大12,000台の生産能力を持つ、ヒューマノイドロボット専用の製造施設を設立。
  • DFM (Design for Manufacturing): プロトタイプのCNC機械加工から、ダイカスト、射出成形といった大量生産プロセスへ移行し、劇的なコストダウンを実現。
  • サプライチェーン: アクチュエーター、バッテリー、センサーといった最も重要な基幹部品の多くを内製化し、サプライチェーンを垂直統合している 5

Figure AIに関する報道はAIのデモに注目しがちだが 24、彼らの戦略的優位性の本質は、Teslaが自動車産業で証明したように、「製造(Manufacturing)」のボトルネック(アクチュエーター、バッテリー、コスト)を自社で掌握している点にある。

ケーススタディ2:Tesla – スケールを前提とした「AI」中心アプローチ

Teslaは、汎用ヒューマノイドロボット「Optimus (Tesla Bot)」を開発している 23。

  • AI(ブレイン): 最大のアドバンテージは、自動運転(FSD)プログラムで開発・訓練された高度なAIシステムを転用できる点にある 23。FSDのニューラルネットワークのトレーニングには、48のネットワークを70,000 GPU時間かけて訓練するほどの莫大な投資が行われている 23
  • 製造戦略: Teslaの戦略は、AIの優位性を背景にした「圧倒的な規模とコスト」の追求である。
  • コスト目標: ユニットコスト20,000ドルという、量産車並みの低コストを目指している 26
  • 量産体制: 2026年にはOptimusの第3世代量産ラインを開設予定であり、そのためにアクチュエーターなどの主要コンポーネントを中国サプライヤーに大量発注したと報じられている 26
  • 戦略的意義: CEOのイーロン・マスクは、Optimusが「テスラの車両ビジネスよりも重要になる」と公言しており 25、OptimusはTeslaの未来そのものを賭けたプロジェクトと位置づけられている。

3.3. 水平分業(The Horizontal Enablers)

ケーススタディ3:Google / DeepMind – 「知能」の提供

Googleは、ロボット本体(ボディ)を製造せず、「ブレイン」のOSプロバイダーとなる戦略を明確にしている。

  • 製品 (Gemini Robotics 1.5): 2025年9月に発表された、ロボット制御・推論用のAIモデルファミリー 1
  • 革命的ブレークスルー:「クロスエンボディメント学習」 1
  • Googleは、あるロボット(例:ALOHA 2)で学習したモーションやスキルを、Apptronik社のApollo(人型)やFranka(双腕アーム)といった、形態が全く異なる他のロボットに転移させることに成功した。
  • これは、「AIモデルを特定のハードウェア(身体)に特化させる必要がなくなる」ことを意味し、ロボットのスキル学習を劇的に加速させ、AIの汎用性を飛躍的に高める、まさに革命的なブレークスルーである。
  • 市場戦略: Googleは、VLMモデル(Gemini Robotics-ER 1.5)をGoogle AI StudioのAPIを通じて開発者に提供し 1、VLAモデル(Gemini Robotics 1.5)を選定パートナー(Apptronikなど 27)に提供する。これは、Androidがスマートフォン市場で行ったことと同様の、オープンプラットフォーム戦略である。

ケーススタディ4:NVIDIA – 「開発・実行基盤」の提供

NVIDIAは、フィジカルAI時代の「軍需産業(Arms Dealer)」、あるいは「金鉱掘りにツルハシを売る」戦略的ポジションを確立している。

  • 製品 (NVIDIA Isaac): ロボット開発のためのオープンな開発プラットフォーム 20
  • 提供するスタック 3:
  • トレーニング (NVIDIA DGX): AIモデルを構築するためのコンピュート基盤。
  • シミュレーション (NVIDIA OVX / Isaac Sim): デジタルツインでAIをテスト・訓練する環境。
  • デプロイ (NVIDIA AGX / Isaac ROS): 実機のロボットでAIモデルを高速実行するためのハードウェアとSDK。
  • 戦略的ポジショニング: Figure AIも、Teslaも 23、Googleも、その他すべてのプレイヤーが、AIモデルのトレーニングとシミュレーションのためにNVIDIAのGPUとプラットフォームを必要とする。NVIDIAは、特定のロボットの勝敗に関わらず、フィジカルAI市場全体の成長から利益を得ることができる。

表 1: 主要プレイヤーの戦略的比較

特徴Figure AITeslaGoogle (DeepMind)NVIDIA
ビジネスモデル垂直統合 (クローズド)垂直統合 (クローズド)水平分業 (オープン / パートナー)水平分業 (オープン / 基盤)
主要製品Figure 03 (ヒューマノイド) 5Optimus (ヒューマノイド) 25Gemini Robotics 1.5 (AIモデル) 1NVIDIA Isaac (開発プラットフォーム) 20
中核となる「ブレイン」Helix AI (自社開発) 5FSD AI (自社開発) 23Gemini 1.5 (自社開発)顧客が開発 (CUDA / Isaac上で)
中核となる「ボディ」自社開発・自社製造 5自社開発・自社製造 26パートナーが開発 (例: Apptronik) 27パートナーが開発 (ROSベース)
Sim-to-Real戦略自社フリート / BotQ 4FSD / Optimusフリート 23SimA / API / パートナー 28Omniverse / Isaac Sim 3
主な収益源 (予測)ロボット本体の販売、RaaS (Robot as a Service)ロボット本体の販売、RaaSAPI利用料、ライセンス料GPU、プラットフォーム・ライセンス料

この分析が示すように、フィジカルAI市場では、テクノロジー産業における最も古典的な戦略的対立(オープンな水平分業 vs クローズドな垂直統合)が、次世代のコンピューティング・プラットフォームを巡って再び繰り広げられようとしている。Figure/Tesla(垂直統合)は、ハードウェアとソフトウェアの緊密な統合によるシームレスな体験と高い信頼性を武器に、初期市場を掴む可能性がある。一方、Google/NVIDIA(水平分業)のエコシステムは、多様なハードウェアメーカー 17 を巻き込むことで、爆発的なイノベーションと低コスト化を促進し、長期的に市場を支配する可能性がある。


IV. 産業変革の胎動:フィジカルAIの市場インパクト

フィジカルAIは、デジタル世界に限定されていたAIの能力を物理世界に解放し、労働集約型の基幹産業に根本的な変革をもたらそうとしている。

4.1. 市場規模と経済的展望

マッキンゼー・アンド・カンパニーの分析によれば、汎用ロボティクス(フィジカルAI)の市場は、ベースケース・シナリオにおいて2040年までに約3,700億ドルに達する可能性があると予測されている 29。この成長は、トレーニングデータの継続的な改善、ハードウェア(特に手のような高機能マニピュレーター)の大幅な低コスト化、バッテリー技術の向上(自律稼働時間の倍増)、そして何よりも企業が新しいワークフローを受け入れる文化的な変革に依存している 29

地理的には、この価値の約50%は中国が占め、残りを欧州と北米が分け合うと予測されており、国家間の産業競争の焦点となることが示唆されている 29

4.2. 主要な応用分野(ユースケース)

フィジカルAIの応用範囲は広範だが、特に経済的インパクトが大きいトップユースケースとして、倉庫物流、軽工業(製造)、小売、農業、ヘルスケアが挙げられている 29

製造・物流:

この分野は、フィジカルAI導入の最前線である。日本では、日本通運がAIロボットを倉庫に導入し、生産性向上と省人化を実現しているほか、ヤマト運輸や佐川急便も、AIを活用した配送最適化システムを導入し、ドライバー不足や再配達といった長年の課題に取り組んでいる 30。Figure AIも、初期のユースケースとして物流分野に焦点を当て、実証実験(Helix)を加速させている 4。

ヘルスケア:

ヘルスケア分野では、フィジカルAIは効率化だけでなく、従来は不可能だった医療アクセスの提供を可能にしている 31。

  • 医療物資輸送: Zipline社は、ルワンダやガーナといったインフラが未整備な地域で、自律飛行ドローンによる医療配送システムを構築 31。道路が寸断されていても、血液やワクチンといった緊急性の高い物資を数時間ではなく数分で届けることを可能にし、産後出血による死亡率を50%削減するなどの劇的な成果を上げている 31
  • アシスティブ・ロボット: Intuition Robotics社が開発した「ElliQ」のようなアシスティブ・ロボットは、一人暮らしの高齢者と積極的にコミュニケーションをとり、孤独感を軽減し、服薬のリマインドや身体活動を促すことで、生活の質 (QOL) を支援する 31
  • 臨床応用: AI支援による精密な介入手術や、患者個別の術後リハビリテーションへの応用研究も進んでいる 32

農業:

農業分野は、フィジカルAIが国連の持続可能な開発目標(SDGs)である「ゼロハンガー(飢餓撲滅)」に直接貢献できる領域として期待されている 31。

  • 精密農業: SenseFly社の「SenseFly EB」のようなドローンが、高度なセンサーで上空から作物の健康状態を監視 31。肉眼では見えない病気の兆候を早期に発見し、農薬や肥料の使用を必要な場所に限定することで、環境負荷の低減と効率化を両立する 31
  • 自律型ロボット: 英国のSmall Robot Companyや米国のFarm-NGは、化学薬品を使わない除草(例:熱による処理)や、植え付け、収穫を自動化する小型ロボットを開発・提供している 31
  • 都市型・垂直農業: Plentyのような企業は、都市部の閉鎖空間(垂直農場)でロボティクスとAIを活用し、天候に左右されずに食料を生産している 31。これは食料の地産地消を可能にし、長距離輸送に伴うCO2排出量を削減する 31

これらの事例分析から、フィジカルAIの導入が2つのフェーズで進んでいることがわかる。現在の物流・製造分野 30 における導入は、主に「省人化」や「効率化」といった**コスト削減(既存業務の最適化)**に焦点を当てている。

しかし、ヘルスケア(Ziplineによる遠隔地への即時医療配送 31)や農業(Plentyによる都市型農業 31)の先進的な事例は、フィジカルAIが単なるコスト削減ツールではなく、従来では不可能だった「新たなサービス」や「新たな生産方法」を生み出す価値創造の触媒であることを示している。

さらに、最も説得力のあるユースケースが、高齢化(介護労働)、食糧安全保障(農業)、医療アクセス(健康と福祉)といった深刻な社会的ボトルネック、すなわち社会課題(SDGs)の解決に直結している点 31 は重要である。これらの課題は、フィジカルAIの導入と社会実装を最も強力に推進する、長期的かつ安定的な需要ドライバーとなるだろう。


V. 未来を定義する研究:学術的フロンティア(2024-2025)

産業界での実装が加速する一方で、フィジカルAIの真の能力を引き出すための基礎研究も、学術界のトップカンファレンスで活発に進められている。

5.1. 主要学会(CoRL, RSS)から見る最先端トレンド

ロボティクスと機械学習の融合領域における二大トップカンファレンスが、CoRL (Conference on Robot Learning) 34 と RSS (Robotics: Science and Systems) 35 である。

2024年から2025年にかけてこれらの学会で発表された論文 35 は、Stanford ILIAD lab 35、USC 36、Google 37 といったトップラボが、以下のテーマに注力していることを示している:

  • VLA (Vision-Language-Action) モデル: 言語指示に基づくロボット制御 35
  • クロスエンボディメント学習: 異なる身体(ロボット)間での学習転移 18
  • 大規模データセット: 現実世界の多様なインタラクションを含む大規模データセットの構築(例:DROIDデータセット)35
  • 模倣学習と強化学習の組み合わせ: 人間の手本(模倣)から基本を学び、強化学習でスキルを洗練させる手法 35
  • 新たな指示方法: 自然言語だけでなく、手書きのスケッチによるロボットへのタスク指示 35

5.2. ブレークスルー分析:注目すべき研究

研究1:「Eye, Robot」:能動的な「ハンド・アイ・コーディネーション」の獲得 39

CoRL 2025に投稿されたUC Berkeleyの論文「Eye, Robot」は、フィジカルAIの「知覚」における重要なブレークスルーを示した 39。この研究では、ロボットがタスク(物理的操作)を完了するという目的(報酬)を達成するためだけに、ロボットの「視線(眼球)」を能動的に動かすことを学習する。

研究チームは「BC-RLループ」という独自の手法を開発した。手(Hand)のエージェントは人間の操作を模倣する「模倣学習(BC)」で訓練され、眼(Eye)のエージェントは「強化学習(RL)」で訓練される。ここで、「眼」への報酬は、「手」のエージェントがどれだけ正確に行動を予測できたか(=必要な情報を正しく認識できたか)によって与えられる。

その結果、ロボットは「見る」ことを明示的に教えられなくても、「行動するために」どこを見るべきかを自ら学習し、人間のように能動的に視線を動かす行動が「創発」した。これは、複雑な実世界で行動するために不可欠な、受動的ではない「能動的知覚」の獲得に向けた重要な一歩である。

研究2:「クロスエンボディメント学習」と「スケーリング則」 1

Google DeepMind 1 や他の学術研究 18 が示している「クロスエンボディメント学習」(異なる身体間での知識転移)は、本レポートのセクションIIIで分析した「ブレインのデカップリング」を裏付ける学術的な証左である。知能が特定のハードウェアから独立可能になることで、ロボット開発のあり方そのものが根本的に変わる可能性がある。

研究3:「Gemini Robotics」と「World Models」 28

Google DeepMindの「Gemini Robotics」37 が、CoRL 2025の論文(”Eye, Robot” 39 など)で既に引用されている 39 ことは、産業界の最先端モデルが即座に学術研究の基盤となる、緊密な連携が起きていることを示している。さらに、Googleの「Genie 3」28 のような「ワールドモデル」(世界の物理法則や動作自体をシミュレートするAIモデル)の研究は、Sim-to-Realのギャップを埋めるための、より強力なシミュレーション基盤を提供すると期待される。

これらの学術的フロンティアの分析から、ロボット学習の研究パラダイムがシフトしていることが明らかになった。これまでのロボット学習は、特定のロボットが「いかに多くのタスクをこなせるか」(タスクの一般化)に焦点が当てられていた。しかし、11835 が示すように、最先端の研究は「一つのAIモデルが、いかに多くの異なる身体(ロボット)を動かせるか」という、より高次の一般化、すなわち**「身体の一般化(エンボディメントの一般化)」**へと移行している。

これが成功すれば、AIは「歩行のスキル」や「掴むスキル」を、人型ロボットやアームといった特定の身体から独立した「抽象的な概念」として獲得できる可能性がある。これは、汎用人工知能(AGI)の実現に向けた、極めて重要なマイルストーンとなるだろう。


VI. 新たな秩序の形成:戦略、リスク、標準化

フィジカルAIが物理世界に進出するにつれ、その技術的ポテンシャルは、経済的・社会的なインパクト、そして新たなリスクと直結する。技術開発とガバナンスの確立は、今や不可分な課題となっている。

6.1. 国家戦略と社会的インパクト

日本政府の戦略:

日本政府は、過去の「デジタル敗戦」の二の舞を避けるため、フィジカルAIを次なる国家戦略の柱として重視している 40。

  • MEXT(文部科学省)の研究方針: 文科省は、フィジカルAI研究の目標を「対話能力を持ち、タスクや現場状況、身体の個別性に柔軟に適応できるAIモデル」の実現と設定している 8
  • 3つの研究課題 14: この目標達成のため、①基盤モデルの課題(資源効率、実世界操作性)を克服する「次世代AIモデル」、②ロボット側の個別対応(作り込み)を減らす「AIと身体機能システムの融合」、そして③「人に安全なフィジカルAIシステム」の構築、という3つの基礎研究課題を挙げている。

社会的・経済的インパクト:

AIが物理的な身体機能を持つことで、その影響は従来のデスクワーク(デジタル)から、製造、物流、介護といった現場作業(フィジカル)まで、労働市場全体に広範な波及効果をもたらす 14。日本を含む多くの先進国では、人件費の上昇と深刻な労働力不足が社会問題となっており、フィジカルAIはこれらの課題を解決する手段として大きな経済的期待を集めている 40。

6.2. ガバナンスと安全性の確立

フィジカルAIの最大のリスクは、それが物理世界で直接「行動」する点にある。従来のソフトウェアAIが持つリスク(データプライバシー、アルゴリズムの偏見など)に加え、人間の生命や財産に直接関わる「物理的な安全性」のリスクが最重要課題となる 6

分析によれば、主要なリスク要因として、技術的不具合(影響度:高)、法規制の変更(発生確率:高)、労働者の反発(影響度:高)、そして物理的な行動を伴うサイバー攻撃(影響度:高)が挙げられている 8

表 2: フィジカルAIのリスクマトリクスと対策

リスク要因発生確率影響度具体的なシナリオと対策
技術的不具合シナリオ: センサーの誤認識やAIの判断ミスによる、ヒューマノイドロボットの暴走や器物破損。
対策: 段階的な導入、冗長化設計、安全な強化学習 (Safe RL) の実装 8
法規制の変更シナリオ: ロボットによる事故発生時の法的責任(製造者、運用者、AI開発者)が未整備なため、導入が凍結される。
対策: 継続的な規制モニタリング、業界標準の策定への積極的関与 8
労働者の反発シナリオ: 急速な自動化による大規模な失業懸念が広がり、労働組合や世論の反発によって導入が頓挫する。
対策: 導入プロセスに関する事前の十分な説明、労働者のための再教育(リスキリング)プログラムの提供 8
サイバー攻撃(物理)シナリオ: VLAモデルに対する敵対的攻撃(ハッキング)により、ロボットが意図的に「危険な物理的行動」を実行させられる 6
対策: エンドツーエンドのセキュリティ強化、VLAモデルの脆弱性対策 6
倫理的・価値観のミスマッチシナリオ: 自律的に行動するロボットが、人間の倫理観や価値観と合わない行動(例:緊急時の優先順位付け)をとり、社会的に受容されない。
対策: 人間中心の設計ガイドラインの策定、説明責任(Accountability)の枠組み構築 11

標準化への緊急の必要性:

現在、フィジカルAIの安全性や性能を客観的に評価する「標準」は、技術の進歩に全く追いついていない。

  • NISTの取り組み: 米国国立標準技術研究所(NIST)は、特に製造業において、学術研究レベルのAIロボットと、現場で実用可能なAIロボットとの間にある「大きなギャップ」を問題視している 2。このギャップを埋めるため、AIロボットシステムの性能を評価する「テストメソッド」の開発プロジェクトを推進しており、2025年3月には関連ワークショップの開催を予定している 2
  • IEEEの取り組み: IEEE(米国電気電子学会)も「エンボディドAIシステム」に関する技術委員会を設立し、標準、倫理ガイドライン、システムの相互運用性の開発を推進している 7

学術界からの深刻な警告:

標準化の遅れが如何に危険であるかは、2024年後半に発表された学術研究(Annie-Bench)によって示されている 6。この研究は、フィジカルAIの中核であるVLAモデルが、センサー入力に対する微小なノイズ(敵対的攻撃)に対して非常に脆弱であり、これが「危険な物理的行動」(例:人間に接近しすぎる、衝突する)を直接引き起こし得ることを、初めてシステマティックに実証した。衝撃的なことに、この攻撃成功率は50%を超え、研究者らは「物理的AIの時代におけるセキュリティ駆動の防御が緊急に必要である」と強く警告している 6。

この分析から、フィジカルAIのガバナンスは、技術開発と並行して進めなければならない喫緊の課題であることがわかる。MEXTの方針 14 が示す「技術的安全性」の確保(6 の脆弱性対策など)は最低条件である。それと同時に、8 が指摘する「労働者の反発」といった「社会経済的受容性」の確保(対話、再教育プログラム 8、法規制 8)を両輪で進めなければ、たとえ技術的に完成したとしても「社会的に実装不可能」という事態に陥るリスクがある。

さらに、6 が示した脆弱性は、裏を返せば「安全性の標準化」が次なる競争優位の源泉となることを示している。自動車における衝突安全基準(NCAP)がそうであったように、NIST 2 やIEEE 7 が策定を目指す安全基準(あるいはAnnie-Bench 6 のようなベンチマーク)を最初にクリアし、自社製品の安全性を客観的に証明できた企業が、B2B(工場)およびB2C(家庭)市場において絶大な信頼を獲得し、デファクトスタンダードとなる可能性が極めて高い。


VII. 結論:フィジカルAI時代の戦略的インプリケーション

7.1. 主要な洞察の再確認

本レポートの分析は、フィジカルAIが単なる技術の集合体ではなく、デジタル知能と物理世界が融合する新たな産業プラットフォームであることを明らかにした。主要な洞察を以下に再確認する。

  1. 必然的な進化: フィジカルAIは、LLMによって爆発的に進化した「知能」が、物理的な「身体」を得て、デジタル世界に留まっていたその価値を物理世界(労働市場)に解放する、必然的な次のステップである 12
  2. 市場構造の対立: 市場の覇権は、シームレスな体験を目指す「垂直統合(Apple型)」のFigure AI/Teslaと、エコシステムの拡大を目指す「水平分業(Android型)」のGoogle/NVIDIAとの間で争われる 1
  3. 勝利の条件: この戦いの勝敗を長期的に分けるのは、個々のロボットの性能ではなく、①AIがハードウェアの垣根を超える「クロスエンボディメント学習(知能の一般化)」1 と、②シミュレーションと実世界データを循環させる「Sim-to-Realデータフライホイール(データモート)」2 の構築である。
  4. 最大のリスク: 技術は急速に進展しているが、ガバナンスは危険なほど遅れている。6 が実証したVLAモデルの物理的な脆弱性は、安全性とセキュリティの標準化 2 が、技術開発における最優先課題であることを示している。

7.2. 戦略的推奨事項

これらの分析に基づき、各ステークホルダーに対して以下の戦略的行動を推奨する。

(企業経営者・投資家へ)

  1. 自社のポジショニングの明確化:
    この地殻変動において、自社がどのポジションを取るかを決定する必要がある。「垂直統合」の勝者(Tesla/Figure)のサプライチェーンに参加するのか、それとも「水平分業」のエコシステム(Google/NVIDIA)上で動作するアプリケーションや、特定のニッチ市場(医療、農業など)に特化した「ボディ(ハードウェア)」を開発するのか、戦略を明確にすべきである。
  2. 「データモート」の構築を最優先せよ:
    フィジカルAIの競争優位は、自社の業務プロセスから、いかにして高品質な「物理的インタラクションデータ」を収集し、それをシミュレーションにフィードバックしてAIを賢くする「フライホイール」を構築できるかにかかっている。データ収集をAI戦略の中心に据えるべきである。
  3. 「安全性」への先行投資:
    ガバナンスの遅れ 6 は、裏を返せば参入と差別化のチャンスである。NIST 2 やIEEE 7 の標準化活動に積極的に参加し、業界標準の策定を主導すべきである。自社製品の安全性を客観的に証明することは、規制をクリアするためだけでなく、「安全」を競争優位の源泉として確立するための最も重要な戦略的投資となる。

(政策立案者へ)

  1. 「Sim-to-Real」共通基盤の構築:
    「デジタル敗戦」40 を繰り返さないためには、MEXTの研究方針 14 を加速させ、基礎研究に留まらず、NIST 2 が目指すような、産業界(特にスタートアップや中小企業)が利用できる高忠実度な「Sim-to-Realの共通テストベッド」や「標準データセット」の構築を国家プロジェクトとして支援すべきである。
  2. 「規制」と「社会受容性」のデュアルアプローチ:
    安全性の「レギュレーション(規制)」と「イノベーション(振興)」は同時に進める必要がある。6 のような技術的脆弱性に対応する安全基準の策定を急ぐと同時に、8 が示す労働市場への甚大な影響を緩和するため、社会的な対話の場を設け、大規模なリスキリング(再教育)プログラム 8 に予算を重点的に配分する必要がある。
  3. 国際標準化の主導:
    安全性や倫理に関するガバナンス 7 は、一国では完結しない。技術が固まる前のこの黎明期において、国際的な標準化の議論を主導し、日本の産業界が持つ「ものづくり」や「安全」に関する知見を反映させたルール形成を目指すことが、国益に直結する。

引用文献

  1. Gemini Robotics 1.5 brings AI agents into the physical world … https://deepmind.google/blog/gemini-robotics-15-brings-ai-agents-into-the-physical-world/
  2. Embodied AI and Data Generation for Robotics | NIST https://www.nist.gov/programs-projects/embodied-ai-and-data-generation-robotics
  3. Isaac Sim – Robotics Simulation and Synthetic Data Generation – NVIDIA Developer https://developer.nvidia.com/isaac/sim
  4. News – Figure AI https://www.figure.ai/news
  5. Introducing Figure 03 – Figure AI https://www.figure.ai/news/introducing-figure-03
  6. Annie: Be Careful of Your Robots – arXiv https://arxiv.org/html/2509.03383v1
  7. Embodied AI Systems – IEEE SMC Society https://www.ieeesmc.org/technical-activities/systems-science-and-engineering/embodied-ai-systems/
  8. フィジカルAIと次世代ロボティクスによる物理知能の新時代 https://www.enegaeru.com/physicalai-intelligentmachines
  9. What is Embodied AI? A Guide to AI in Robotics | Encord https://encord.com/blog/embodied-ai/
  10. Embodied AI Explained: Principles, Applications, and Future Perspectives https://lamarr-institute.org/blog/embodied-ai-explained/
  11. What is embodied artificial intelligence and why it matters to ITU? https://www.itu.int/en/ITU-T/Workshops-and-Seminars/2025/1010/Documents/Wei%20Kai.pdf
  12. 大規模言語モデルのロボティクスおよび物理AIへの統合:AI技術の次 … https://note.com/hafnium/n/nf68b6dd5d8c0
  13. フィジカルAIとは | 用語集 | HPE 日本 https://www.hpe.com/jp/ja/what-is/physical-ai.html
  14. フィジカルAIシステムに関する基礎研究課題 – 文部科学省 https://www.mext.go.jp/content/20240611-mxt_kiso-000036446_2.pdf
  15. AI That Moves, Adapts, and Learns: The Future of Embodied Intelligence | Columbia AI https://ai.columbia.edu/news/ai-moves-adapts-and-learns-future-embodied-intelligence
  16. Exploring Embodied Intelligence in Soft Robotics: A Review – PMC https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11047907/
  17. フィジカルAIプラットフォーム Guardian | Forcesteed Robotics https://www.forcesteed.com/guardian/
  18. Bo Ai https://albertboai.com/
  19. フィジカルAI(Physical AI)とは?特徴や仕組み・活用例を解説 – AIsmiley https://aismiley.co.jp/ai_news/what-is-physical-ai/
  20. NVIDIA Isaac – AI Robot Development Platform https://developer.nvidia.com/isaac
  21. NVIDIA Isaac Lab https://developer.nvidia.com/isaac/lab
  22. Isaac ROS (Robot Operating System) – NVIDIA Developer https://developer.nvidia.com/isaac/ros
  23. AI & Robotics | Tesla https://www.tesla.com/AI
  24. What I Learned Watching a Humanoid Robot Do Laundry https://time.com/7325486/figure-ai-humanoid-robot/
  25. Optimus (robot) – Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Optimus_(robot)
  26. WATCH: Elon Musk’s Tesla begins production of its first humanoid robot https://www.jpost.com/consumerism/article-873393
  27. Gemini Robotics brings AI into the physical world – Google DeepMind https://deepmind.google/blog/gemini-robotics-brings-ai-into-the-physical-world/
  28. Breakthrough AI research – Google AI https://ai.google/research/
  29. Will embodied AI create robotic coworkers? | McKinsey https://www.mckinsey.com/industries/industrials-and-electronics/our-insights/will-embodied-ai-create-robotic-coworkers
  30. 物流業界におけるAI活用事例9選―需要予測から配送の最前線まで – メンバーズ https://www.members.co.jp/column/20241025-distribution-ai
  31. Embodied AI: Physical Artificial Intelligence for a Better World … https://www.fundacionbankinter.org/en/noticias/embodied-ai-physical-artificial-intelligence-for-a-better-world/
  32. A Survey of Embodied AI in Healthcare: Techniques, Applications, and Opportunities – arXiv https://arxiv.org/html/2501.07468v1
  33. Advancing knowledge about embodied AI and bio-inspired evolutionary soft robotics https://www.c2d3.cam.ac.uk/feed-content/advancing-knowledge-about-embodied-ai-and-bio-inspired-evolutionary-soft-robotics
  34. Call for Papers – CoRL 2025 https://www.corl.org/contributions/call-for-papers
  35. News – Stanford ILIAD https://iliad.stanford.edu/news/
  36. RSS 2025 Marks Largest in History as Conference Returns to USC https://viterbischool.usc.edu/news/2025/07/rss-2025-marks-largest-in-history-as-conference-returns-to-usc/
  37. Publications | IRoM-Lab – Princeton University https://irom-lab.princeton.edu/publications/
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  39. Eye, Robot: Learning Hand-Eye Coordination with … – AUTOLAB https://autolab.berkeley.edu/assets/publications/media/2025-04-CoRL-Justin-EyeRobot-Submitted.pdf
  40. 「デジタル敗戦」を繰り返さない。逆襲のフィジカルAI戦略論 | ファーストライト・キャピタル https://firstlight-cap.com/insights/industries/japan-physical-ai-strategy/