記憶の分類

記憶の分類体系と相互作用の神経科学的基盤:エピソード記憶、意味記憶、手続記憶、感情記憶の包括的比較分析

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1. 序論:長期記憶の分類学的位置づけと本レポートの射程

1.1. 記憶研究の基本構成

現代の認知心理学および神経科学において、「記憶」は単一の機能としてではなく、異なる特性と神経基盤を持つ複数のサブシステムから構成される複合的な精神機能として理解されています。記憶のプロセスは、一般に「記銘(符号化)」「保持(貯蔵)」「想起(検索)」の3段階で分析されます 1。これらのプロセスが時間的にどの程度持続するかに基づき、記憶は「短期記憶」と「長期記憶」に大別されます 2。本レポートは、このうち「長期記憶」に焦点を当て、その内部構成要素を詳細に分析します。

1.2. 長期記憶の二大分類

長期記憶の分類において最も根本的な区分は、記憶内容の意識的な想起(意識化)の可否に基づく分類です。

  1. 陳述記憶 (Declarative Memory) / 顕在記憶 (Explicit Memory):
    意識的に思い出すことが可能であり、言語やイメージを用いてその内容を「陳述」できる記憶です 1。これはいわゆる「~を知っている」 (Knowing that) と表現される知識や経験を含みます。
  2. 非陳述記憶 (Non-Declarative Memory) / 潜在記憶 (Implicit Memory):
    意識的な想起を伴わず、過去の経験の影響が行動の実行やパフォーマンス(技能)の向上といった形で、無意識的(潜在的)に表出する記憶です 1。これらは「記憶している」という自覚なしに利用される記憶であり、言語化が困難なものが多く含まれます 3。

1.3. 本レポートの目的と構成

本レポートの目的は、提示された4つの記憶タイプ、すなわち「エピソード記憶」「意味記憶」「手続記憶」「感情記憶」について、その定義、特性、および神経基盤を上記の分類軸(陳述記憶 vs. 非陳述記憶)にマッピングし、それぞれの「異同」(相違点と共通点)を多層的に解明することにあります。

この分析の出発点として、提示された4つの記憶は、認知神経科学における記憶の最も根本的な対立軸、すなわち「意識の関与(顕在性 vs. 潜在性)」を横断している点が指摘できます。具体的には、エピソード記憶と意味記憶は「陳述記憶(顕在記憶)」の主要な下位分類とされます 1。一方で、手続記憶は「非陳述記憶(潜在記憶)」の代表例です 1

残る「感情記憶」は、この分類において特異な位置を占めます。後述するように、感情記憶はそれ自体が「古典的条件づけ」のような非陳述記憶として機能する側面 3 と、エピソード記憶のような陳述記憶の強度を修飾する「修飾因子(Modulator)」として機能する側面を併せ持っています。

したがって、本レポートは、この「意識化できるか否か」という根本的な相違点を分析の基軸に据え、各記憶システムの詳細な比較検討を行います。

2. 陳述記憶(顕在記憶)システム:個人的経験と一般的知識の比較

本章では、意識的に想起可能な「陳述記憶」に分類される2つの主要なサブシステム、エピソード記憶と意味記憶の「異同」を詳細に比較分析します。

2.1. エピソード記憶 (Episodic Memory):個人的体験の記憶

エピソード記憶は、個人が過去に経験した特定の出来事に関する記憶です 4。これはしばしば「思い出」と換言されます 4

  • 定義と内容的特性: エピソード記憶は、「いつ(When)」「どこで(Where)」「何があったか(What)」という、出来事の具体的な文脈(Context)がセットで記録される点に最大の特徴があります 5。例えば、「中学校の修学旅行で京都の金閣寺を訪れた日の情景」 5 や、「昨日の夕食の内容」 1 がこれに該当します。
  • 文脈依存性: 符号化(記銘)される情報は、出来事そのものに加え、その時の場所、時間、さらには自分自身の感情や身体の状態といった内的文脈と強く結びついています 5
  • 主観的特性: エピソード記憶の想起は、単なる情報の検索ではなく、過去のその時点の経験に精神的に立ち戻るような、特有の主観的感覚を伴います。これは心理学者のタルヴィングによって「思い出す (Remembering)」感覚と定義されています 7
  • 神経基盤: 新しいエピソード記憶の形成(符号化)と固定化には、側頭葉の内側部にある「海馬 (Hippocampus)」が決定的な役割を果たすことが広く知られています 5。海馬がこの文脈情報を統合するハブとして機能すると考えられています。
  • 脆弱性: エピソード記憶は、その複雑さと再構成的な性質から、いくつかの脆弱性を示します。第一に、加齢による影響が顕著に現れやすい記憶システムの一つであることが報告されています 1。第二に、想起のプロセスが再構成的であるため、実際には経験していない事柄を経験したかのように思い出す「偽りの記憶 (False Memory)」が形成されやすい側面も持ちます 4

2.2. 意味記憶 (Semantic Memory):一般的知識の記憶

意味記憶は、エピソード記憶と同じく陳述記憶の一種ですが、その性質は大きく異なります。

  • 定義と内容的特性: 意味記憶とは、言葉の意味、概念、一般常識、歴史的な事実など、**世界に関する客観的な「知識」**についての記憶です 7。これは特定の個人的文脈から切り離され、体系的に構成された情報(例:単語間の関係、知識のレベル)です 7
  • 文脈非依存性: 意味記憶の最大の特徴は、それが「いつ・どこで」学習されたかというエピソード文脈からは独立している点にあります 5。例えば、「金閣寺は京都市にある寺院で、正式名称は鹿苑寺である」という知識 5 や、「パリがフランスの首都である」という知識は、その知識自体が重要であり、それを学んだ瞬間のエピソード(例:授業の風景)は通常、伴いません。
  • 主観的特性: 意味記憶を想起する際の主観的感覚は、エピソード記憶の「思い出す」感覚とは異なり、単にその情報を「知っている (Knowing / Knowledge)」という感覚であると対比されます 7
  • 神経基盤: 意味記憶(知識)の貯蔵と意味理解には、主に「側頭葉 (Temporal Lobe)」、特にその前方部が重要な役割を担うとされています 9。この領域が限局的に萎縮する「意味認知症 (Semantic Dementia)」では、エピソード記憶や日常生活動作は比較的保たれる一方で、単語や物品、人物などの意味理解が選択的に障害されることが知られており、これが強力な証拠となっています 9
  • 頑健性: 意味記憶は、エピソード記憶とは対照的に、加齢による影響がわずかであると報告されています 1

2.3. エピソード記憶と意味記憶の「異同」と相互関係

エピソード記憶と意味記憶は、両者とも意識的に想起可能で言語化できる「陳述記憶(顕在記憶)」であるという点で共通しています 1。しかし、その特性と神経基盤において、以下のような根本的な相違点を持ちます。

  1. 主観的体験: 「思い出す」(エピソード記憶) vs. 「知っている」(意味記憶) 7
  2. 文脈依存性: 高(時間・場所・感情に依存) vs. 低(文脈から独立・抽象化) 5
  3. 主要神経基盤: 海馬(エピソード記憶) vs. 側頭葉前方部(意味記憶) 8

これらの「異」は明確ですが、両者は静的に独立しているわけではありません。両者は「相互に補完し、知識の理解や応用に役立つ」 10 動的な関係にあると理解されています。

この動的な関係性の一つの仮説として、**エピソード記憶からの「意味記憶化 (Semanticization)」**のプロセスが考えられます。多くの意味記憶は、元々は特定の文脈で学習されたエピソード記憶として記銘されます。例えば、初めて「金閣寺の正式名称は鹿苑寺である」と学んだ瞬間は、「修学旅行のバスガイドから聞いた」というエピソード記憶です。しかし、その情報が教科書やテストなどで繰り返し参照され、反復されるうちに、「いつ・どこで・誰から」聞いたかというエピソード文脈は徐々に忘却(脱落)していきます。最終的に、文脈から切り離された「金閣寺=鹿苑寺」という抽象的な「事実(知識)」、すなわち意味記憶だけが残存します。

このように、エピソード記憶は意味記憶の「原料」として機能し、両者の「異」は、記憶の「抽象化の程度の違い」として捉えることも可能です。

3. 非陳述記憶(潜在記憶)システム:手続記憶のメカニズム

本章では、意識的な想起を伴わない「非陳述記憶(潜在記憶)」の代表格である手続記憶 (Procedural Memory) について、その特性と、陳述記憶システムとの根本的な違いを論じます。

3.1. 手続記憶の定義と特性

手続記憶は、技能(Skill)や習慣(Habit)の獲得と実行に関わる記憶であり、「どのように (How-to)」行うかという記憶です。

  • 定義と内容的特性: 手続記憶は、しばしば「体で覚える記憶」または「技の記憶」と表現されます 11。これには、自転車の乗り方、泳ぎ方、楽器の演奏、タイピングなど、運動を伴う技能や、特定の認知的な手順(例:鏡文字を読む)が含まれます 3
  • 非陳述的特性: 手続記憶は非陳述記憶の典型であり、その内容は「言葉やイメージで表すことができない」とされています 3。例えば、自転車に乗ることはできても、その際にどの筋肉をどのタイミングでどのように動かしているかを、意識的に想起し、正確に言語化することは非常に困難です。このように、本人が「記憶している」という自覚(意識的な想起)を伴わず、パフォーマンスの向上としてのみ表出するのが特徴です 1
  • 忘却耐性(頑健性): 手続記憶は、一度強固に獲得されると、非常に忘却されにくいという顕著な特性を持ちます。これは、加齢や障害によって比較的脆弱なエピソード記憶とは対照的です。11 では、「10年間自転車に乗らなくても、体が覚えていて、問題なく乗ることができる」という例が挙げられています。一度獲得された手続記憶は「消えることなく、いつまでも私たちの脳に刻み込まれる」 11 と表現されるほど永続的です。
  • 加齢耐性: この頑健性は加齢研究によっても裏付けられており、エピソード記憶が加齢により顕著な影響を受けるのに対し、手続記憶への影響はわずかであると報告されています 1

3.2. 手続記憶の神経基盤:陳述記憶との完全な分離

手続記憶の最も決定的な特徴は、その神経基盤が陳述記憶(特にエピソード記憶)のそれとは根本的に異なる点にあります。

  • 海馬非依存性: エピソード記憶の形成に海馬が必須である 8 のに対し、手続記憶の獲得と保持は、「海馬(Hippocampus)を必要としない」ことが明らかにされています 11。これは、両システムが神経解剖学的に分離していることを示す強力な証拠です。
  • 主要な神経基盤: 手続記憶(技の記憶)は、海馬ではなく、脳の深部にある「大脳基底核 (Basal Ganglia)」と、後部にある「小脳 (Cerebellum)」のニューロンネットワークに依存しています 11
  • 各部位の役割: これらの脳部位は、運動学習において異なる役割を担っています。
  • 大脳基底核: 体の筋肉を「動かしたり止めたりする」タイミングの制御、すなわち運動の開始・停止や、習慣的な行動の形成に中心的な役割を果たします 11
  • 小脳: 筋肉の動きを「細かく調整」し、動作が「スムーズ」に行われるようにする、運動の平滑化・協調・誤差修正に重要な役割を担います 11
  • 学習プロセス: 私たちが「一生懸命に体を動かし、何度も失敗を繰り返しながら練習する」 11 過程で、これら大脳基底核と小脳のニューロンネットワークが、運動の正しい順序とタイミングを学習し、記憶していきます 11。これらの部位からの情報は、視床を介して大脳皮質(運動前野など)とループを形成し、学習が進むにつれて神経回路が変化・最適化されていくと考えられています 12
  • 学習効率: 学習の様式も記憶の固定化に影響を与えます。14 の研究では、一夜漬けのような「集中学習」よりも、適度な休憩を挟む「分散学習」の方が運動学習の記憶が長持ちすることが示されています。これは、休憩の間に記憶が小脳皮質から小脳核へと移動し固定化されるためである可能性が指摘されています 14

このように、手続記憶は、陳述記憶とは全く異なる神経基盤(海馬非依存性、大脳基底核・小脳依存性)を持つ、独立した記憶システムであると言えます。

しかし、この神経基盤上の明確な「分離」が、実際のスキル習得場面での「非相互作用」を意味するわけではありません。認知心理学では古くから、この二つのシステムの間に「接点があるか」(意識的な知識が、無意識的なスキルに移行するか)という議論(いわゆる「インターフェイス論争」)が存在します 15

15 で指摘されているように、例えば第二言語習得において、「宣言的知識」(意味記憶、例:文法ルール)と「手続的知識」(手続記憶、例:流暢な会話)がどう関係するかは重要な論点です。

実際のスキル習得のプロセスを鑑みると、両者は学習の異なる段階で主導権を受け渡す、動的な相互作用を行っていると考えられます。スキルの初期段階(例:テニスのフォームを習う)では、学習者は「肘を曲げない」「膝を曲げる」といった**意味記憶(宣言的知識)**に強く依存し、前頭前野のワーキングメモリを駆使します 13。しかし、反復練習(手続記憶の学習)を重ねるにつれて、このプロセスは徐々に「自動化」され、意識的な努力を必要としなくなります。これは、制御の主体が(意味記憶を司る)前頭前野・側頭葉系から、(手続記憶を司る)大脳基底核・小脳系へと移行したことを示唆します。

この観点から、手続記憶の学習プロセスにおいて、意味記憶(宣言的知識)は「ガイド」や「足場 (Scaffolding)」として機能するという、重要な**相互作用(同)**が存在すると結論付けられます。

4. 感情記憶の多義性:記憶内容としての感情と、記憶修飾因子としての感情

本レポートで扱う最後の記憶タイプである「感情記憶 (Emotional Memory)」は、最も解釈が複雑であり、多義的な概念です。感情記憶は、単一の記憶システムを指すのではなく、少なくとも以下の二つの異なる側面から理解する必要があります。

  1. それ自体が記憶内容となる「非陳述記憶」としての側面。
  2. 他の記憶(特にエピソード記憶)の強度と質を決定する「修飾因子 (Modulator)」としての側面。

本章では、この二側面を区別して分析します。

4.1. 側面1:非陳述記憶としての感情記憶(古典的条件付け)

この側面において、感情記憶は「情動反応そのものの記憶」を指します。

  • 定義と分類学的地位: 特定の中立的な刺激(例:音、場所)が、情動(特に恐怖や快)を引き起こす刺激と対で経験されることによって、中立的な刺激だけで情動反応が引き起こされるようになる現象です。これは「古典的条件づけ (Classical Conditioning)」(例:パブロフの犬)として知られ、33 はこれを、手続記憶やプライミングと並ぶ「非陳述記憶(潜在記憶)」の一形態として明確に分類しています。
  • 特性: この記憶は、手続記憶と同様に言語化が困難であり、本人が「記憶している」という意識的な想起を伴わず、情動反応や生理反応(例:心拍数の上昇)として表出します 3
  • 神経基盤(恐怖記憶の例): この種の情動記憶の形成と表出には、「扁桃体 (Amygdala)」が中核的な役割を果たします 16
  • メカニズム: 16 で概説されている恐怖記憶形成のメカニズム(ヘブ型可塑性)は、このプロセスをよく説明しています。
  1. 痛みなどの「怖い体験」(無条件刺激)は、扁桃体のニューロンを強く活性化させます。
  2. 同時に、知覚・認識された「音」(条件刺激)が、別ルートで扁桃体の同じニューロンを活性化させます。
  3. この「同時活動」が、音の刺激を伝えるニューロンと扁桃体ニューロンとの間のシナプス結合を強化します。
  4. この結果、強化された結合を通じて、「音」刺激だけで扁桃体が発火し、恐怖反応が引き起こされるようになります。このプロセスは、ノルアドレナリンなどの神経修飾物質によっても促進されます 16

4.2. 側面2:陳述記憶の修飾因子(Modulator)としての感情

感情の役割は、上記のような非陳述的な反応の学習に留まりません。感情は、私たちが何を記憶し、何を忘れるかを決定する上で、強力な「修飾因子」として機能します。特に「エピソード記憶」の強度と深く関連します。

  • 定義と現象: 感情は、それ自体が記憶されるだけでなく、他の記憶(特にエピソード記憶)の符号化(記銘)と保持(固定化)を強力に強化・修飾する役割を果たします。65 は、エピソード記憶が「感情」とセットで記録されることを指摘しており、強い情動を伴う体験ほど長期間保持されやすい(忘れにくい)という現象は、この修飾作用によるものです 5
  • 神経基盤: この陳述記憶に対する修飾作用は、「扁桃体 (Amygdala)」と「海馬 (Hippocampus)」の協調活動によって実現されます 8
  • メカニズム:
  1. 符号化(記銘)の強化: 情動的に重要な出来事が発生すると、扁桃体(感情処理の中枢)が活性化します 8。この扁桃体の活性化が、ほぼ同時に活動している海馬(エピソード記憶形成の中枢)の活動を増強・修飾し、その出来事の記憶痕跡をより強固に符号化させます 8
  2. 保持(固定化)の強化: この強化プロセスは、出来事の最中だけでなく、その後の記憶の固定化(Consolidation)の段階でも続きます。8 で言及されている研究では、情動に紐づいた記憶が、**睡眠中(特にノンレム睡眠)**に、扁桃体と大脳皮質の協調活動によって強化されることが示されています。扁桃体を起点とするこの同期発火が、記憶の長期保持に寄与していると考えられます 8

この分析から、感情(扁桃体)の役割は、記憶システムにおいて「二重的」であることが明らかになります。

第一に、扁桃体自体が恐怖などの原始的な「非陳述記憶(古典的条件付け)」を保持するシステムとして機能します(側面1)16。

第二に、扁桃体は、海馬や大脳皮質といった他の記憶システム(特にエピソード記憶)に対して、「この情報は重要である」というタグ付けを行うシグナルを送り、それらのシステムの活動を「修飾」するメタ的な役割を果たします(側面2)8。

したがって、「感情記憶」という用語は多義的であり、それが非陳述的な情動反応そのもの(側面1)を指すのか、あるいは情動によって修飾された陳述記憶(側面2)を指すのか、文脈に応じて区別する必要があります。

さらに、この修飾効果は常に記憶を「強化」するとは限りません。88 が示唆するように、ストレスが極度に高い場合(例:トラウマ的出来事)は、ストレスホルモンの作用によって逆に海馬の機能が抑制され、エピソード記憶(出来事の文脈)の符号化が障害され、断片化する可能性があります。一方で、扁桃体は過剰に反応し、情動的な断片だけが強く残ることがあります 8。これは、感情が記憶の「量」(保持)だけでなく、その「質」(統合性)にも複雑な影響を与えることを示しています。

5. 総括:4つの記憶システムの比較マトリクスと統合的相互作用

本レポートでは、エピソード記憶、意味記憶、手続記憶、感情記憶という4つの記憶概念について、認知心理学および神経科学的知見に基づき、その「異同」を比較分析してきた。

5.1. 比較マトリクス(異同の体系的整理)

分析結果の総括として、4つの記憶システムの主要な特性を以下の比較マトリクスに整理します。これは、各システムが「意識」「内容」「文脈」「神経基盤」「脆弱性」といった複数の比較軸において、どのように異なり、また共通しているかを視覚化したものです。

(注:感情記憶は多義的であるため、本表では側面1、すなわち非陳述記憶(古典的条件付け)としての側面を代表として比較対象とし、側面2(修飾機能)は表下の注記で補足する。)

表1:4つの記憶システムの比較分析

比較軸エピソード記憶 (Episodic)意味記憶 (Semantic)手続記憶 (Procedural)感情記憶 (Emotional) ※側面1
主分類陳述記憶(顕在) 1陳述記憶(顕在) 1非陳述記憶(潜在) 1非陳述記憶(潜在) 3
記憶内容個人的体験・出来事 (What/When/Where) 5一般的知識・概念・事実 (What) 7技能・習慣・運動 (How-to) 11刺激と情動の連合 16
意識的想起可能 1
思い出す7
可能 1
知っている7
困難(言語化不可) 3
(行動として表出)
困難 3
(情動反応として表出)
文脈依存性
(時間・場所・感情に依存) 5

(文脈から独立・抽象化) 5
(実行文脈)
(特定の動作・状況と連合)

(特定の刺激(条件)と連合) 16
主要神経基盤海馬 (Hippocampus) 5
内側側頭葉
側頭葉(前方部) 9
(※海馬は形成に関与)
大脳基底核 (Basal Ganglia) 11
小脳 (Cerebellum) 11
扁桃体 (Amygdala) 16
加齢影響影響が顕著 1影響はわずか 1影響はわずか 1(扁桃体機能は比較的保持)
忘却耐性比較的弱い(偽記憶も 4比較的強い非常に強い 11非常に強い(消去困難)

※注:感情記憶は、上記(側面1:非陳述記憶)に加え、扁桃体-海馬系を介してエピソード記憶(陳述記憶)の符号化と固定化を「修飾」する機能(側面2)を併せ持つ 8

5.2. 結論:分離と相互作用—記憶の統合的理解

本分析が明らかにしたように、提示された4つの記憶システムは、その「異同」において明確なパターンを示します。

相違点(異)の総括:

最大の相違点は、意識の関与(陳述記憶 vs. 非陳述記憶)と、それを支える神経基盤(海馬 vs. 大脳基底核・小脳 vs. 扁桃体)の根本的な違いにあります。エピソード記憶(海馬依存)と手続記憶(大脳基底核・小脳依存)は、神経解剖学的にほぼ分離したモジュールであり、加齢や忘却に対する耐性も対照的です 1。

共通点(同)と相互作用の総括:

一方で、これらのシステムは脳内で孤立して機能しているわけではありません。現実世界の複雑なタスク(例:友人と過去の旅行について会話し、同時に食事のためにナイフとフォークを使う)においては、これらのシステムが緊密に連携・協働しています。

本レポートで解明したように、この相互作用は重層的です。

  1. エピソードから意味へ: エピソード記憶は、反復と抽象化を経て、意味記憶の形成基盤となります(セクション2.3)。
  2. 意味から手続へ: 意味記憶(宣言的知識)は、手続記憶(スキル)の初期学習をガイドする「足場」として機能します(セクション3.2)。
  3. 感情による修飾: 感情記憶(扁桃体)は、非陳述記憶(条件付け)を形成するだけでなく、エピソード記憶(海馬)の強度と質を決定的に修飾します(セクション4.2)。

最終的結論:

人間の「記憶」とは、単一の機能ではなく、本レポートで分析したような異なる特性と神経基盤を持つ複数のサブシステムが、動的に相互作用し合うことによって創発される、高次の精神機能の総体であると言えます。

これらの「異同」と「相互作用」のメカニズムを理解することは、単なる学術的分類に留まらず、学習障害、記憶障害、認知症(意味認知症 9 や海馬の萎縮) 17、あるいは心的外傷後ストレス障害(PTSD)における扁桃体-海馬系の機能不全 8 の病態解明と、それに対する効果的な治療・介入戦略を立案する上で、不可欠な神経科学的基盤を提供するものです。

引用文献

  1. 記憶 :心理学用語集 – 心理学用語の学習,  https://psychologist.x0.com/terms/116.html
  2. 長期記憶 アーカイブ – 銀座泰明クリニック,  https://www.ginzataimei.com/knowledge-tags/%E9%95%B7%E6%9C%9F%E8%A8%98%E6%86%B6/
  3. 記憶の種類 – 感情知能|Emotional intelligence,  https://kanjochino.co.jp/psychology/types-of-memory/#:~:text=%E3%80%8C%E6%89%8B%E7%B6%9A%E3%81%8D%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%80%8D%E3%80%8C%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%80%8D,%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
  4. エピソード記憶とは。認知心理学の世界をのぞいてみよう – クリエイト速読スクール,  https://www.cre-sokudoku.co.jp/blog/episode/
  5. エピソード記憶とは?意味や特徴、鍛え方・意味記憶との違いも …,  https://wonder-education.co.jp/media/episode-kioku6/
  6.  https://uxdaystokyo.com/articles/glossary/episodic-memory/#:~:text=%E7%B5%8C%E9%A8%93%E3%81%A8%E4%BA%8B%E8%B1%A1%E3%82%92%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AB%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%99%E3%82%8B&text=%E4%BE%8B%E3%81%88%E3%81%B0%E3%80%81%E3%80%8C%E7%B7%8A%E5%BC%B5%E3%81%A7%E3%82%AC%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%81%E3%81%AB,%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%BE%B4%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82
  7. 【意味記憶とは】意味・例・心理学的な実験からわかりやすく解説 …,  https://liberal-arts-guide.com/semantic-memory/
  8. 予測符号化で紐解く感情と記憶の関係:人間とAIの統合モデルへの道,  https://research.smeai.org/predictive-coding-emotion-memory-human-ai-comparison/
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