文体の錬金術師:芥川龍之介の文学が持つ不朽の魅力についての分析

序論:知性の刃、情念の深淵――芥川文体の二重構造
芥川龍之介の文学が、一世紀以上の時を経てもなお現代人の心を捉えて離さないのはなぜか。その秘密は、単一の文体的特徴に還元できるものではない。むしろ、彼の作品の不朽の力は、透徹した知的明晰性と、彼が探求した混沌とした心理的深淵との間に存在する、根源的かつダイナミックな緊張関係から生まれている。芥川の文体は、近代人の内なる葛藤、すなわち自我(エゴイズム)の嵐を封じ込め、冷徹に解剖するために、細心の注意を払って構築された芸術的な器である。したがって、彼の魅力の「秘密」とは、一つの特徴にあるのではなく、統御と混沌、古典主義と急進的モダニズムという、相克する要素の見事な統合のうちに見出される 1。
本稿では、この核心的命題を解き明かすため、多角的な分析を行う。まず第一部では、芥川文体の言語的・構造的基盤を解剖し、彼の文学的実験の土台となった古典と西洋の融合を検証する。続く第二部では、彼の物語作法における革新、特に古典の再解釈と物語的真実の解体という画期的な試みに焦点を当てる。そして第三部では、彼の晩年の作品群に見られる文体のラディカルな変容を追い、その断片化された散文が、崩壊しゆく作家の精神といかに深く結びついていたかを考察する。最終的に、これらの分析を統合し、芥川龍之介がなぜ現代にとってかくもアクチュアルな作家であり続けるのか、その普遍的意義を結論づける。
第一部:文体の礎――古典と西洋の融合
芥川の文学的達成は、その精緻に計算された文体なくしては語れない。彼の散文は、単なる物語の伝達手段ではなく、それ自体が一個の芸術作品として屹立している。その礎には、日本の古典、中国の漢籍、そして西洋文学という三つの異なる源流から汲み上げられた要素が、複雑かつ有機的に融合している。本章では、その語彙、構文、そしてリズムというミクロな次元から、芥川文体の根幹を解剖する。
1.1 和漢洋の交響:語彙とリズムの錬金術
芥川の文章を特徴づける第一の要素は、その語彙の驚くべき多様性である。彼の散文は、大和言葉(和語)、学術的で硬質な漢語、そして慎重に選び抜かれた西洋由来の言葉が織りなす、複雑なタペストリーに喩えられる 2。これは単なる博識の誇示ではない。彼は、漢語の持つ客観的で知的な響きを、しばしば生々しい感情が渦巻く場面に投入することで、意図的な不協和音を生み出し、読者に知的な距離を取らせる。彼が愛読した『聊斎志異』や『水滸伝』といった中国古典からの深い知識は、その語彙選択に直接的な影響を与え、他の作家にはない学術的な密度と格調を文章にもたらした 2。この語彙の豊かさこそが、彼の知的で洗練された作風の根幹をなしている 1。
この語彙感覚の中心には、近代日本文学が直面した重大な課題、すなわち文語体と口語体(言文一致)の間の葛藤が存在する。芥川は、近代的な口語体で執筆しながらも、古典的な文語の持つリズムと美的価値への強い志向を終生持ち続けた 4。その結果、両者が混淆した独自のハイブリッドな文体が生み出されたのである。
この混淆に対する評価は、同時代の文学者たちの間でも大きく分かれた。川端康成は、芥川が硬化した漢語に「新しい秩序を与えた」と高く評価し、それを現代文学の用語として蘇生させた功績を認めている 4。一方で、佐藤春夫や寺田透といった批評家たちは、このハイブリッドな文体を不自然で人工的なものと見なした。佐藤は、芥川の文章が、肌の色も白く目鼻立ちも整然としているが、どうしても「人形を思わせる」「作り物の文章」に見えると述べ、純粋な話し言葉から乖離しているために生命の「脈動」が失われていると批判した 4。彼らは、芥川の完璧を期す言葉選び(「金玉の文字」)が、かえって生気を犠牲にしていると感じたのである。
しかし、この「人工性」という批判は、芥川の芸術的戦略の核心を見誤っている可能性がある。佐藤や寺田の批判は、芥川の文体を言文一致の自然主義的理想からの逸脱、あるいは失敗として捉える視点に基づいている。だが、芥川自身の芸術論を紐解くと、彼が「眼のリアリズム」(視覚的現実性)と「耳のリアリズム」(聴覚的なリズムや音楽性)との間の緊張関係を深く意識していたことがわかる 4。この事実から導き出されるのは、彼の文体の「人工性」とは、偶発的な欠点ではなく、周到に計算された芸術的選択であったという結論である。彼は日常会話を完璧に模倣しようとしたのではなく、知的精密性と美的響きの両方を達成しうる、新たな文学言語を創造しようとしていた。この意図的に構築された「人工的」な文体は、極めて重要な美的距離を生み出す。それは、しばしば彼が描く主題(エゴイズム、殺人、腐敗)の卑俗さを高尚な芸術の領域へと昇華させ、読者が単に感情的に反応するのではなく、知的に思索することを強いる。この統御され、彫琢された散文こそが、彼の文学の力の源泉なのである。
1.2 簡潔にして論理的:英文学に由来する構文の力
芥川の文体のもう一つの柱は、その構文の明晰さである。東京帝国大学英文科の卒業生である彼の文章は、西洋文学、特に英文学の教育に由来するとされる論理的な明快さと構造的な堅固さによって特徴づけられる 7。彼の文は一般的に簡潔で、秩序正しく、思考の明確な進行(「一文一意」)に従う 8。これは、谷崎潤一郎のような、より流麗で叙情的な散文とは著しい対照をなしている 9。この構造的厳密さが、彼の短編小説に特有の密度と衝撃力を与えている。そこには無駄な一語も存在しない 1。
芥川の文体が同時代の中で占めるユニークな位置を理解するために、他の二人の文豪、谷崎潤一郎と志賀直哉との比較は極めて有効である。以下の表は、それぞれの文体的特徴を整理したものである。
| 特徴 | 芥川龍之介 | 谷崎潤一郎 | 志賀直哉 |
| 文体 | 簡潔、論理的、分析的(漢文調) [1, 7] | 流麗、叙情的、喚情的(流麗な調子) 9 | 直裁、明晰、断定的(簡潔体) [9, 11] |
| 美学的核心 | 知的明晰性、芸術的完璧主義 | 感覚的美、感情的没入 | 無駄のない真実、自伝的リアリズム |
| 主たる影響 | 西洋の論理構造、和漢の古典 | 日本の古典的美意識(もののあはれ) | 主観的経験、私小説の伝統 |
| 物語の焦点 | 心理の解剖、哲学的逆説 | 感覚の世界、オブセッション、美 | 作者の直接的な知覚と感情 |
この比較から明らかになるのは、芥川の文体が意識的な選択の結果であったという事実である。谷崎が日本の伝統的な美意識に根差した感覚的な世界を描き出し、志賀が私小説の伝統の中で自己の知覚を赤裸々に表現したのに対し、芥川は知的で分析的な職人として、それらとは異なる道を切り拓いた。彼の簡潔さは、単なる文体の好みではなく、人間心理の複雑なメカニズムを解剖するための、鋭利なメスとしての役割を果たしていたのである。
1.3 リアリズムと音楽性の相克:「語り」による止揚
視覚的リアリズム(眼)と聴覚的リズム(耳)という、近代小説に課せられた二つの相克する要求を、芥川はいかにして統合したのか。その解決策として彼が見出したのが、「語り手」の戦略的な活用であった 4。彼は夏目漱石の『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』の持つ「軽妙な文章の調子」を高く評価していたが、この独特の調子は、まさに猫や「おれ」という特異な語り手の声によって生み出されている 4。
この「語り手」という装置は、単なる物語の進行役以上の、極めて高度な文体的統合機能を果たしている。そのメカニズムは次のように解明できる。第一に、語り手の声は、本質的に一種の「パフォーマンス」である。「語り」という行為は、聞き手の存在を前提とし、特定の口調やリズムを内包する。これにより、文語の持つ音楽性、すなわち「耳」の要求が満たされる。第二に、この声は同時に、出来事や人物、情景を描写し、近代リアリズムが求める視覚的情報を提供する。これにより、「眼」の要求もまた満たされるのである。
さらに重要なのは、この語り手に特定の知的・感情的なトーン(皮肉、超然、冷徹など)を付与することで、芥川が読者の視点を巧みに制御できるという点である。その最も洗練された例が、『羅生門』で用いられている自由間接話法である。この技法によって、語り手の客観的な声と主人公である下人の主観的な思考とが、区別なく融合する 6。読者は、下人の心理に没入しながらも、同時にそれを突き放して分析するような、二重の視点を持つことを強いられる。
このように、芥川にとって「語り手」とは、単なる物語上の装置ではなく、リズムとリアリズムという近代散文の二律背反を弁証法的に止揚するための、文体論的統合エンジンそのものであった。それは、彼がその中で独自のハイブリッドな文体を錬成する、錬金術の坩堝だったのである。
第二部:物語の革新――心理と構造の実験
芥川の真価は、その精緻な文体のみにあるのではない。彼はその文体を駆使して、物語の構造そのものを革新し、近代人の心理を前例のない深さで掘り下げた。特に、古典文学を題材としながらも、そこに全く新しい現代的な解釈を施す手法と、物語における「真実」という概念そのものを根底から揺るがす実験的な構造は、彼の文学を不朽のものとしている。
2.1 心理描写の近代化:『羅生門』におけるエゴイズムの解剖
芥川の天才が最も鮮やかに発揮された領域の一つは、『今昔物語集』などの古典説話集から素材を採りながら、そこに近代的な心理学的深層を注入する手法であった 1。その代表作『羅生門』は、単なる古い逸話を、極限状況における生存倫理、道徳的両義性、そしてエゴイズムの「伝染」という普遍的なテーマを探求する、深遠な文学作品へと昇華させている 14。
この変容を可能にしたのは、いくつかの革新的な文学的技法である。
第一に、感情の数値的表現という、驚くほど近代的な分析手法が挙げられる。死骸から髪を抜く老婆を目撃した下人の内面を、「六分の恐怖と四分の好奇心」と表現した箇所は、その象徴である。これは、内的な感情状態を客観化し、まるで科学者のように冷徹に心理を分析する視点を反映している 14。
第二に、象徴主義の巧みな導入である。荒廃した羅生門は、単なる背景ではなく、社会秩序と道徳の崩壊を象徴する。そして下人にとっては、かつての道徳的な自己と、これからなろうとしている盗賊としての自己とを分かつ境界線としての意味を持つ 14。
第三に、心理的軌跡の緻密な追跡である。物語は、老婆の行為に対する下人の道徳的な憤りが、いかにして彼女の論理(「こうしなければ、餓死をする」)を冷徹に受容し、それを自己の犯罪を正当化するための道具へと転化させていくかを、執拗なまでに詳細に描き出す 15。これは、状況倫理が抽象的な道徳をいかに凌駕しうるかを解剖した、見事な心理分析である。
ここで、「なぜ芥川はこれほどまでに古典の物語に依拠したのか」という根源的な問いが浮かび上がる 20。一見すると、それは同時代の現実から目を背けた懐古趣味のようにも映るかもしれない。しかし、その真意は全く逆のところにある。彼にとって古典の世界とは、一種のコントロールされた「道徳的実験室」として機能していた。物語を現代という直接的な文脈から切り離すことで、彼は登場人物と状況を、その本質的な要素にまで蒸留することができた。この実験室の中で、彼は同時代的な社会の「ノイズ」に邪魔されることなく、エゴイズム、虚栄心、残酷さといった、時代を超えた人間の根源的衝動に関する集中的な実験を行うことが可能となったのである。
したがって、芥川の古典利用は、現実逃避では断じてない。それは、より強力で普遍的な心理的リアリズムを達成するための、戦略的な方法論であった。彼は過去を舞台に、時代を超えた「現在」を解剖したのである。これこそ、彼の作品が古びることなく、現代社会が抱える蛙化現象やいじめといった問題にも通底する普遍性を持ち続ける理由である 21。
2.2 「真実」の解体:『藪の中』に見る多元的語りの衝撃
『藪の中』は、物語技法における芥川のラディカルな跳躍を象徴する作品である。この作品を決定づけているのは、中心となる全知の語り手、すなわち「地の文」が完全に不在であるという点だ 23。物語は、杣売り、旅法師、放免、媼、そして事件の当事者である盗賊、妻、巫女の口を借りた死霊の夫という、七人の登場人物による矛盾した証言のみで構成されている 23。それぞれの証言は単独ではもっともらしく響くが、全体として見ると、特に三人の当事者による「自白」は、互いに致命的に食い違っている 25。
この構造は、読者が単一の客観的な真実を見出そうとする試みを、計画的に頓挫させるように設計されている。物語前半の第三者による証言は、盗賊・多襄丸に対する一貫した嫌疑を構築していくように見える。しかし、後半の当事者たちによる一人称の告白は、その確信を根底から粉砕し、読者を認識論的な危機、すなわち何が真実かを知り得ない状態へと突き落とす 23。事件の真相は、主観的な視点が乱立する「藪の中」へと永久に失われる。
これにより、物語の焦点は、「誰が犯人か(whodunit)」という謎解きから、「なぜ彼らはこのように語るのか(why do they lie this way?)」という心理分析へと劇的にシフトする。分析を進めると、各登場人物が、たとえ殺人の罪を自白するという犠牲を払ってでも、自己の名誉や自尊心、美学を保持するような物語を構築していることが明らかになる 25。矛盾は、物語の欠陥ではなく、物語の主題そのものなのである。
この構造的実験がもたらす最も深遠な効果は、読者の役割の変容にある。伝統的な物語において真実の裁定者であった作者(語り手)がその権威を放棄した結果、混沌とした証言を整理し、意味を見出す役割は、全面的に読者へと委ねられる。作者は、読者を検非違使(当時の警察・裁判官)の立場に強制的に座らせるのである 26。我々は証拠を吟味し、心理的動機を分析し、そして最終的には、単一の真実など到達不可能であるという可能性に直面させられる。
この読書体験は、受動的な物語の享受ではなく、能動的な司法的・哲学的問題解決への参加となる。知的に刺激的であると同時に、深く心を揺さぶる体験である。『藪の中』の不朽の力は、まさにこの、読者の役割を根底から変革する構造的革新に由来する。その魅力の秘密は、真実の曖昧さについて語るだけでなく、その曖昧さそのものを読者の精神の内部で「現出」させる点にある。この技法はあまりに画期的であったため、後に「羅生門効果(Rashomon effect)」という国際的な用語を生み出すに至った。これは、芥川の文学が文化と心理に与えた永続的な衝撃の証左に他ならない 22。
第三部:晩年の変容――断章とアイロニーの深みへ
芥川龍之介の文学的軌跡は、その晩年において、急進的かつ深刻な変容を遂げる。初期から中期にかけて見られた、緻密に構成された物語世界は影を潜め、代わって断片的で自己言及的な散文が登場する。この文体の変化は、単なる芸術上の様式転換ではなく、彼の精神の崩壊と分かちがたく結びついた、痛切な自己表現であった。本章では、その断章形式とアイロニーという二つのキーワードを手がかりに、芥川文学の最終段階を分析する。
3.1 自己破壊の文体:『歯車』『或る阿呆の一生』における断章形式
『歯車』、『或る阿呆の一生』、そして『侏儒の言葉』といった晩年の代表作は、首尾一貫したプロットを持つ短編小説から、「断章形式」への移行によって特徴づけられる 29。テキストは、番号やタイトルが付された短いセクションに分割され、その体裁は日記、アフォリズム、あるいは散文詩を彷彿とさせる 29。
この断片化は、単なる文体上の選択ではない。それは、主人公(そして作者自身)の崩壊しつつある精神状態を、形式そのものによって直接的に表現する試みである。特に『歯車』において、主人公のパラノイアや幻覚が激化するにつれて、物語の連続性は失われていく。ここで語られる「物語」とは、安定した現実を構築する能力を失っていく精神の体験そのものである。もはや形式が内容を表現するのではなく、形式そのものが内容と化している。物語的統一性の破壊は、自己の統一性の破壊を鏡のように映し出しているのだ 29。
この変化は、作者と作品、そして読者の関係性にも大きな変容をもたらした。『羅生門』の持つ分析的な距離感とは対照的に、これらの晩年の作品は、読者を claustrophobic(閉所恐怖症的)な没入感へと誘う。読者は主人公の意識の内部に閉じ込められ、その「狂気」を直接的に追体験させられる。散文の簡潔さは維持されているものの、その機能は、心理状態を外部から解剖することから、それを恐ろしいほどの直接性をもって現出させることへと変化したのである 29。
3.2 アイロニーと分裂する自我
この晩年の時期を定義づけるもう一つの特徴は、深く、自虐的なアイロニーの存在である。『或る阿呆の一生』、『侏儒の言葉』といった作品の題名自体が、痛烈な自己卑下となっている。自らを「阿呆」や「侏儒(小人)」のペルソナの背後に置くことで、芥川は、書く主体としての自己と、苦悩する客体としての自己との間に、決定的な距離を創り出した 29。
このアイロニーの仮面は、二重の機能を果たしている。第一に、それは防御メカニズムである。耐え難い苦痛を知的に枠付けし、言語化することで、それをかろうじて制御しようとする試みである。第二に、それは容赦のない自己分析の道具となる。「侏儒」は、通常の語り手にはあまりに辛辣で危険すぎて語れないような、社会と自己に関する真実を語ることができる 29。これにより、作者の声は、「書く者」と「書かれる者」とに分裂する。これは、引き裂かれた自我の構造的な表象に他ならない 29。
この晩年の文体は、単に芥川個人の苦悩の記録に留まるものではない。それは、より広範な時代精神の現れとして解釈することができる。20世紀初頭は、第一次世界大戦を経て、宗教、社会秩序、そして統一された自己という概念といった、伝統的な確実性が失われた時代であった。これは、文学におけるモダニズムの危機の中核をなすものである。
芥川の文体の変遷は、このモダニズムの苦境の軌跡そのものを描き出している。『羅生門』の明確な道徳的ジレンマから、『藪の中』の認識論的カオスへ、そして最終的に『歯車』の心理的崩壊へと至る道程は、近代が直面した危機の全段階を凝縮している。壮大な物語(グランド・ナラティブ)の崩壊は断章形式に、安定した統一的自我の崩壊は強烈でアイロニカルな自己意識に、それぞれ対応している。
したがって、晩年の作品群が持つ不朽の力は、それらが不安や疎外といった近代的状況について語っているからだけではない。それらが、その状況を形式そのものによって直接的に「現出」させているからである。断片的な情報、競合する無数の物語、そして実存的な不安に満ちた現代を生きる読者は、芥川の晩年の文体の中に、自らの内なる風景の、恐ろしいほど誠実で、芸術的に卓越した描写を見出すのである。
結論:なぜ現代人は芥川に惹きつけられるのか
芥川龍之介の文学が、なぜ時代や文化の境界を越えて、現代の読者を魅了し続けるのか。本稿で展開してきた分析を統合すると、その魅力が単一の要因によるものではなく、複数の要素が織りなす複合的な構造に根差していることが明らかになる。
第一に、知的厳密性である。彼の文体は、精確かつ論理的であり、読者を知的な対話の相手として扱う。安易な感傷を排し、複雑な思想と向き合うことを求めるその姿勢は、知的好奇心を持つ読者にとって尽きることのない魅力の源泉である 3。
第二に、美的完璧性である。リズムと意味が見事に融合した、細部まで磨き上げられた言語の美しさは、彼の作品に繰り返し読むに値する芸術的価値を与えている。完璧な芸術作品を創造するという彼の芸術至上主義的な態度は、その緻密な構成と洗練された文体に結実している 1。
第三に、心理的普遍性である。エゴイズム、虚栄心、道徳と生存の間の葛藤、真実の本質といった、彼が探求したテーマは、人間存在の根源的な問いである。そのため、彼の物語は特定の歴史的背景を超越し、現代社会が直面する倫理的・心理的ジレンマに直接響く力を持っている 14。
第四に、構造的革新性である。近代人の意識の複雑さをより的確に反映させるために、伝統的な物語形式を大胆に破壊した彼の実験精神は、彼を常に「現代的」な作家たらしめている。『藪の中』が示した真実の多元性は、ポストモダンの思想を先取りするものであり、その衝撃は今なお色褪せない 22。
これら全ての要素を束ねる、芥川の魅力の最終的な「秘密」とは、彼の作品が完璧に磨き上げられた「鏡」として機能する点にあるのかもしれない。その冷徹で精密な散文の中に、我々は自らの精神の混沌を、不気味なほどの明晰さで映し出されるのを見る。彼は安易な答えや慰めを提供しない。その代わりに、近代という時代に生きることの根源的な問いを、比類なき芸術的な力をもって明確に提示する。芥川龍之介を読むという行為は、知性と感情の双方における自己との対決である。そして、この挑戦的でありながらも、深い洞察に満ちた体験こそが、彼の死後一世紀近くを経た今もなお、我々を惹きつけてやまない理由なのである 15。彼が診断し、その身をもって体現した不安は、消え去るどころか、現代という時代の構造そのものとなった。だからこそ、我々は芥川を読み続けなければならないのである。
引用文献
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- 芥川龍之介の代表作を読む!不朽の名作10選と文豪の世界 – Amebaチョイス https://choice.ameba.jp/novel/akutagawa-ryunosuke/
- 芥川龍之介(2) 「語り」についての考察2/2|加藤明矢 – note https://note.com/meiya_kato1/n/n988daf3eb6aa
- 芥川龍之介(1) 「語り」についての考察1/2|加藤明矢 – note https://note.com/meiya_kato1/n/n3993e9e5c107
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