発散と収束の力学がもたらすイノベーション・プロセスの変革

1. 序論:デザインプロセスの標準化と視覚的パラダイム
現代の複雑化するビジネス環境や社会課題において、デザインは単なる意匠の決定から、戦略的な問題解決の手段へとその役割を大きく拡張させている。この変遷の中で、最も影響力のある概念的枠組みの一つとして確立されたのが、英国デザインカウンシル(British Design Council)によって提唱された「ダブルダイヤモンド(Double Diamond)」モデルである。本レポートでは、このフレームワークの理論的起源、構造的メカニズム、実践的応用、そして進化の過程を、提供されたリサーチ資料に基づき網羅的に分析する。
ダブルダイヤモンドは、デザインおよびイノベーションのプロセスを、二つの隣接するダイヤモンド形(菱形)として視覚化したモデルである 1。この形状は、あらゆる創造的なプロセスが、可能性を広げる「発散(Divergence)」と、焦点を絞り込む「収束(Convergence)」という二つの異なる思考モードの反復によって構成されていることを示唆している 1。第一のダイヤモンドは「問題空間(Problem Space)」を探求し、正しい課題を発見・定義することに費やされる。第二のダイヤモンドは「解決空間(Solution Space)」であり、特定された課題に対して最適な解決策を開発・提供することに焦点が当てられる 3。この構造は、しばしば「正しいことをする(Doing the right thing)」段階と、「物事を正しく行う(Doing the thing right)」段階として表現され、デザインプロセスにおける戦略的整合性と実行の質の双方を担保するための指針となっている 4。
1.1 歴史的背景と理論的系譜
ダブルダイヤモンド・モデルは2005年に正式に発表されたが、その概念的なルーツはそれよりも深く、システム理論やデザイン研究の歴史の中に埋め込まれている。最も直接的な理論的祖先として挙げられるのは、ハンガリー系アメリカ人の言語学者でありシステム科学者でもあったベーラ・H・バナシー(Béla H. Bánáthy)が1996年に提唱した「発散-収束モデル(Divergence-Convergence Model)」である 1。バナシーは社会システムの設計において、選択肢を広げるプロセスと意思決定を行うプロセスが周期的に繰り返されることを指摘しており、これが後のダブルダイヤモンドの基礎構造となった。
2003年当時、英国デザインカウンシルは、デザインがビジネスや公共サービスにもたらす戦略的価値(デザインマネジメント)を推進していたが、そのプロセスを説明するための標準化された言語やモデルを持っていなかった 4。当時のデザイン・イノベーション担当ディレクターであったリチャード・アイザーマン(Richard Eisermann)は、「我々はデザインプロセスをどのように記述し、説明すべきか?」という根源的な問いをチームに投げかけた 4。アイザーマン自身、前職のWhirlpool社での経験や、IDEOのエンジニアとの対話を通じて、ダイヤモンド形やカイト(凧)形のプロセスモデルに触れており、これらの形状がイノベーションのフレーミングに適しているという直感を持っていた 4。
デザインカウンシルのチームは、Microsoft、Starbucks、Sony、LEGOといった世界的な先進企業の他、自身のプロジェクトや外部のエージェンシーの手法を徹底的に調査・分析した 4。その目的は、特定のツールや手法に依存しない、普遍的なデザインプロセスのパターンを抽出することであった。調査の結果、あらゆる成功したデザインプロジェクトには、問題の理解から解決策の提供に至るまでに共通する4つの段階が存在することが明らかになった。チームはこれを体系化し、記憶しやすい「4つのD」——Discover(発見)、Define(定義)、Develop(展開)、Deliver(提供)——と名付け、視覚的なアイコンとしてダブルダイヤモンドを完成させた 4。
2. 認知力学の中核:発散的思考と収束的思考
ダブルダイヤモンドの真価は、単なる工程表としてではなく、人間の認知プロセスに対するガイドラインとして機能する点にある。このモデルは、創造的な活動において不可欠な二つの対照的な思考モードを明確に区別し、意識的に使い分けることを要求する。
2.1 発散的思考(Divergent Thinking)の役割
発散的思考は、各ダイヤモンドの前半部分(左側の傾斜)に相当する。このフェーズでは、判断や批判を一時的に保留し、可能な限り多くのアイデア、視点、可能性を探求することが求められる 2。
- 探索の深さと広さ: 問題を即座に解決しようとするのではなく、その背景にある文脈、ユーザーの隠れたニーズ、あるいは全く異なる解決のアプローチを広く深く探索する 1。
- 創造性の源泉: 質よりも量を重視し、常識にとらわれない自由な発想を促進することで、イノベーションの種を生み出す 2。
2.2 収束的思考(Convergent Thinking)の役割
収束的思考は、各ダイヤモンドの後半部分(右側の傾斜)に相当する。ここでは、広げた選択肢に対して論理的な分析、評価、選択を行い、具体的な行動計画や解決策へと絞り込んでいく 2。
- 選択と破棄: ビジネス上の制約、技術的な実現可能性、ユーザーへのインパクトなどの基準に基づいて、アイデアを冷徹に評価する。機能しないアイデアを捨て(Reject)、有望なものだけを残すプロセスである 1。
- 実行への橋渡し: 拡散した議論を具体的な定義やプロダクト仕様へと落とし込み、次のステップへの明確な指針を形成する。
この「発散」と「収束」のリズミカルな切り替えこそが、デザイン思考の心臓部である。多くのプロジェクトが失敗する原因は、この二つを混同することにある。例えば、ブレインストーミング(発散)の最中にアイデアを批判(収束)してしまったり、十分な選択肢を検討せず(発散不足)に最初の思いつきに飛びついてしまったり(尚早な収束)することが、イノベーションを阻害する要因となる。ダブルダイヤモンドは、チーム全体に対して「今は広げる時か、絞る時か」という共通認識を持たせるための視覚的なアンカーとして機能する。
3. 4つのフェーズ(The 4 Ds)の詳細分析と方法論
ダブルダイヤモンドは4つの主要なフェーズで構成されており、それぞれが特定の目的と推奨される活動、ツールセットを持っている。ここでは、各フェーズの詳細を分析し、具体的にどのような手法が用いられるかを体系化する。
3.1 Phase 1: Discover(発見)—— 問題の理解
思考モード: 発散 (Divergent)
プロジェクトの出発点は、通常、クライアントや組織からの初期的な課題提示(ブリーフ)である。しかし、Discoverフェーズでは、その課題設定が本当に正しいかどうかを疑うことから始まる。このフェーズの目的は、仮定に基づいて解決策を作り始めるのではなく、現象を客観的に観察し、ユーザーが直面している真の問題や隠れたニーズを発見することである 1。
主要な活動とインサイト:
- 定性的リサーチの重視: 数値データ(定量データ)だけでは見えてこない「なぜ」を解明するために、インタビュー、観察、エスノグラフィ(行動観察)などの定性的手法が重視される 2。ユーザーと同じ環境で時間を過ごし、彼らの痛みや喜びを共感的に理解することが、イノベーションの原点となる。
- 市場・社会トレンドの分析: ユーザーだけでなく、競合他社の動向や、技術的・社会的なトレンドを調査し、プロジェクトを取り巻くマクロな環境を把握する。
Methods Bank (Discover):
以下の表は、Discoverフェーズで頻繁に使用されるツールと手法の概要である 2。
| ツール/手法 | 目的と概要 |
| ユーザーダイアリー | ユーザーに日常の行動や感情を記録してもらい、生活パターンや隠れたニーズを把握する。 |
| ユーザーシャドーイング | ユーザーの行動を影のように追跡・観察し、無意識の行動や環境との相互作用を記録する。 |
| 詳細インタビュー | 一対一の対話を通じて、ユーザーの深層心理、動機、価値観を掘り下げる。 |
| エスノグラフィ | フィールドワークを通じて、特定のコミュニティや文化の中でユーザーがどのように振る舞うかを観察する。 |
3.2 Phase 2: Define(定義)—— 課題の特定
思考モード: 収束 (Convergent)
Discoverフェーズで収集された膨大なデータやインサイトは、そのままでは無秩序な情報の塊である。Defineフェーズでは、これらを整理・分析し、パターンを見出し、取り組むべき核心的な課題を明確な言葉で定義し直す 1。
主要な活動とインサイト:
- インサイトの統合(Synthesis): 収集した情報から共通のテーマや矛盾点を抽出し、意味付けを行う。これにより、初期の漠然とした課題が、より具体的で解決可能な「問い」へと変換される 5。
- リフレーミング(Re-framing): 最初のブリーフを書き換えるプロセスである。「橋を作る」という課題が、リサーチの結果「川を渡る手段を提供する」あるいは「対岸との通信手段を確保する」という課題に再定義されるかもしれない。
- デザインブリーフの作成: プロジェクトチーム、ステークホルダー、経営層の間で合意形成を行うための、明確な指針を作成する。これが第二のダイヤモンド(解決策の開発)への入力となる 5。
Methods Bank (Define):
このフェーズでは、複雑な情報を可視化し、優先順位をつけるためのツールが用いられる 5。
| ツール/手法 | 目的と概要 |
| アフィニティ図法(親和図法) | 大量のリサーチデータをグルーピングし、関係性や構造を可視化してテーマを抽出する。 |
| カスタマージャーニーマップ | ユーザーの体験を時系列で可視化し、感情の起伏や痛点(ペインポイント)を特定する 11。 |
| ペルソナ | ターゲットユーザーの代表的な像を具体的かつ詳細に記述し、チーム内で「誰のためにデザインするのか」を共有する 5。 |
| HMW (How Might We) | 「我々はどうすれば〜できるか」という形式の問いを作成し、解決策の発想を誘発する。 |
3.3 Phase 3: Develop(展開)—— 解決策の探索
思考モード: 発散 (Divergent)
明確に定義された課題(Defineの成果物)に対して、具体的な解決策のアイデアを広範囲に探索・開発する段階である 1。ここでは再び発散的思考が活性化され、「一つの正解」ではなく「複数の可能性」を追求する。
主要な活動とインサイト:
- 共創(Co-design): デザイナーだけでなく、エンジニア、マーケター、そしてユーザー自身を巻き込んだワークショップを行い、多角的な視点からアイデアを生み出す 1。異分野の専門知識が交差することで、革新的なアイデアが生まれやすくなる。
- プロトタイピングと反復: 最初から完璧なものを作るのではなく、スケッチ、ペーパープロトタイプ、ワイヤーフレームなどの「低忠実度(Low-fidelity)」な試作品を素早く作成し、検証する 5。失敗を恐れず、早期に失敗することで学習コストを下げる(Fail Fast)アプローチが取られる。
Methods Bank (Develop):
創造性を刺激し、アイデアを具体化するための手法が中心となる 5。
| ツール/手法 | 目的と概要 |
| ブレインストーミング | 批判を禁止し、自由連想によって短時間で大量のアイデアを生成する。 |
| サービスブループリント | サービスのフロントステージ(ユーザー体験)とバックステージ(業務プロセス・システム)の関係図を描き、実現方法を検討する。 |
| ラピッドプロトタイピング | 紙や廃材、簡単なデジタルツールを使ってアイデアを形にし、機能や体験をシミュレーションする。 |
| ストーリーボード | 解決策がユーザーの生活の中でどのように利用されるかを、漫画のようなコマ割りで描き出す。 |
3.4 Phase 4: Deliver(提供)—— 実装と評価
思考モード: 収束 (Convergent)
Developフェーズで生まれた多数のアイデアやプロトタイプの中から、最も有望なものを絞り込み、最終的な製品やサービスとして完成させ、市場に投入する段階である 1。
主要な活動とインサイト:
- テストと検証: 高忠実度(High-fidelity)のプロトタイプやベータ版を用いて、実際のユーザーによるユーザビリティテストや受容性テストを行う 2。機能しない案は棄却(Reject)され、有望な案はフィードバックに基づいて改善される 1。
- 実装とローンチ: 技術的な開発、製造、マーケティング準備を経て、ソリューションを世に出す。
- フィードバックループ: 現代的な解釈では、Deliverは終着点ではない。市場投入後もユーザーからのフィードバックを収集し、継続的な改善サイクル(次のDiscoverやDevelop)へとつなげていくことが重要視される 10。
Methods Bank (Deliver):
品質を保証し、効果を測定するためのツールが用いられる 2。
| ツール/手法 | 目的と概要 |
| ユーザビリティテスト | 実際のユーザーにタスクを実行してもらい、操作性や理解度を検証する。 |
| A/Bテスト | 異なるデザインや機能のバージョンを比較し、どちらがより良いパフォーマンスを出すかを定量的に評価する。 |
| パイロット運用 | 限定的な範囲でサービスを提供し、本格展開前の最終的な問題点を洗い出す。 |
| 評価マトリクス | 実現可能性、コスト、インパクトなどの基準でアイデアを採点し、最終決定を行う 2。 |
4. フレームワークの進化と拡張:Systemic Design Framework
ダブルダイヤモンドは2005年の発表以来、広く普及したが、同時に社会環境の変化に伴うアップデートも行われてきた。特に2019年の「Framework for Innovation」および2021年の「Systemic Design Framework」への進化は、デザインの役割の変化を象徴している。
4.1 Framework for Innovation (2019) の変更点
2019年のアップデートでは、デジタル化とアジャイル開発の普及に対応し、モデルの柔軟性が強調された 14。
- 反復性の視覚化: 矢印が一方通行ではなく、循環や逆戻りを含む形に描かれるようになり、リニアなプロセスではないことが明示された 9。
- 新しい要素の追加: 4つのDを取り囲むように、「Engagement(エンゲージメント)」と「Leadership(リーダーシップ)」という要素が追加された。これは、デザインプロセスが真空の中で行われるのではなく、組織文化や人々との関係性の中で行われることを示している。
- デザイン原則の明文化: 「人々を第一に考える(Put people first)」「視覚的かつ包括的に伝える(Communicate visually and inclusively)」「協力し共創する(Collaborate and co-create)」「反復する(Iterate, iterate, iterate)」という4つの原則が提示された 15。
4.2 Systemic Design Framework (2021) への飛躍
気候変動やパンデミックといった複雑な社会課題(Wicked Problems)に対処するため、デザインカウンシルはさらに進化した「Systemic Design Framework」を発表した 16。
- 人間中心から地球中心へ: 従来の「ユーザー中心(User-Centered)」から、環境や社会システム全体を考慮する「地球中心(Planet-Centric)」への視座の転換が含まれている 18。
- 不可視な活動の重視: 「Orientation & Vision(方向付けとビジョン)」「Connections & Relationships(関係性とつながり)」といった、具体的なデザイン作業の前段階にある価値観の共有やネットワーク構築がプロセスの一部として正式に組み込まれた 17。
- フェーズ名称の変更: より能動的なニュアンスを持つ言葉(Explore, Reframe, Create, Catalyse)が用いられることがあるが、発散と収束の基本構造(2つのダイヤモンド)は維持されている。
5. 比較分析:他の主要デザインフレームワークとの関係
ダブルダイヤモンドをより深く理解するために、他の主要なデザイン思考モデルや開発プロセスと比較・対照を行う。
5.1 ダブルダイヤモンド vs スタンフォード大学 d.school モデル
スタンフォード大学d.schoolのデザイン思考プロセスは、教育現場やスタートアップで広く採用されている5段階モデル(Empathize, Define, Ideate, Prototype, Test)である。
| 比較項目 | ダブルダイヤモンド (Design Council) | d.school (Stanford) | 分析と考察 |
| 構造 | 4段階 (Discover, Define, Develop, Deliver) | 5段階 (Empathize, Define, Ideate, Prototype, Test) | 19 |
| 視覚表現 | ダイヤモンド形(発散・収束の明示) | ヘキサゴン(六角形)の配置 | ダブルダイヤモンドは思考モードの切り替えを構造的に強制するのに対し、d.schoolモデルは各ステップの活動内容に焦点を当てている。 |
| 対応関係 | Discover | Empathize | どちらもユーザー理解から始まるが、d.schoolは「共感(Empathize)」という感情的な側面をより強調している 21。 |
| Define | Define | どちらもインサイトの収束と課題定義を行う。 | |
| Develop | Ideate, Prototype | ダブルダイヤモンドのDevelopは、アイデア出しと試作の両方を含む包括的なフェーズである。 | |
| Deliver | Test | ダブルダイヤモンドのDeliverは、テストだけでなく最終的な実装と提供までを含む。 | |
| 適用性 | 戦略的プロジェクト、組織変革、大規模開発 | 教育、迅速なプロトタイピング、初期アイデア創出 | ダブルダイヤモンドはビジネスプロセスとしての堅牢性を持ち、d.schoolモデルは学習と実践のサイクルを回すことに適している。 |
重要な洞察: d.schoolモデルはしばしば非線形なプロセスとして描かれるが、ダブルダイヤモンドも本質的には反復的である。最大の違いは、ダブルダイヤモンドが「発散と収束」という認知のダイナミクスをモデルの形状そのもので表現している点にある。
5.2 ダブルダイヤモンド vs 英国政府デジタルサービス (GDS) ライフサイクル
英国政府デジタルサービス(GDS)が採用しているアジャイルなサービス開発モデルは、ダブルダイヤモンドの実践的な適用例として非常に重要である。
| GDSフェーズ | ダブルダイヤモンドとの対応 | 詳細な活動内容と意義 |
| Discovery | Discover / Define | ユーザーニーズ、政策意図、技術的制約を理解する期間。コードは書かず、問題領域の探索に集中する。ここで「作る価値がない」と判断されればプロジェクトは中止される 22。 |
| Alpha | Develop (前半) | 仮説検証のためのプロトタイプ作成期間。異なるアプローチを試し、技術的な実現可能性とユーザーニーズへの適合を確認する。失敗が許容され、推奨される段階 24。 |
| Beta | Develop (後半) / Deliver | 実際に動作するサービスを構築し、実際のデータで運用する期間。Private Beta(限定公開)からPublic Beta(一般公開)へと段階的に拡大し、スケーラビリティを確認する 24。 |
| Live | Deliver (継続的) | サービスの本格運用と継続的改善(Continuous Improvement)。ユーザーからのフィードバックに基づき、常に進化させ続ける 25。 |
重要な洞察: GDSのアプローチは、ダブルダイヤモンドを公共調達や予算管理のフレームワークとして実装したものである。従来のウォーターフォール型公共事業(最初に巨額の予算で仕様を固めて発注する)に対し、DiscoveryやAlphaという「学習のためのフェーズ」に少額の予算をつけ、その結果を見て次のフェーズへの投資を判断するというリスク管理手法として機能している 26。
6. 詳細ケーススタディ:理論の実践的適用
理論モデルとしてのダブルダイヤモンドが、実際の企業や組織でどのように運用され、価値を生み出しているのかを詳細に分析する。
6.1 LEGO Group: “Design for Business (D4B)” による再生
2000年代初頭、LEGOは特許切れや模倣品の台頭、デジタルゲームとの競合により深刻な経営危機に直面していた。当時の開発現場は、イノベーションとビジネス目標が乖離し、部門間が分断され、デザイナーが顧客を見ずに独りよがりな製品を作る状況にあった 28。
適用の詳細:
LEGOはこの危機を脱するために、デザインカウンシルのダブルダイヤモンドをベースにした独自のプロセス「Design for Business (D4B)」を構築した 30。
- プロセスの標準化: 以前は24ヶ月かかっていた開発サイクルを、9〜12ヶ月に短縮・標準化した。
- ゲート管理とコラボレーション: ダブルダイヤモンドの各フェーズの終わりを明確な「決定ゲート(Decision Gates)」とし、デザイナー、マーケター、経営陣が参加する「チャレンジセッション」を設けた 32。これにより、デザインの創造性とビジネスの収益性のバランスが各段階でチェックされるようになった。
- エスノグラフィの徹底 (Discover): 象徴的な成功例が「LEGO Friends」の開発である。当時、LEGOは「女児向け市場」で苦戦していた。従来の浅い調査では「女の子はピンクが好き」という表面的な結論しか出なかったが、D4Bプロセスに基づいた徹底的な観察調査(エスノグラフィ)を実施した結果、「女の子はごっこ遊び(ロールプレイ)の文脈を重視し、フィギュアのリアリティやディテールを好む」という深いインサイトを発見した 29。この発見に基づき、従来のミニフィグとは異なるプロポーションの人形と、詳細な世界観を持つセットを開発し、大ヒットにつなげた。
成果と含意:
D4Bの導入により、LEGOは「製品中心」から「体験中心」の企業へと変貌を遂げた。ダブルダイヤモンドは、単なるデザイナーのツールとしてではなく、組織全体の言語を統一し、イノベーションを経営管理可能なものにするためのOS(オペレーティングシステム)として機能した 33。
6.2 Spotify: 自律的スクワッドとアジャイルデザイン
音楽ストリーミングサービスのSpotifyは、変化の激しいデジタル市場において、ダブルダイヤモンドをアジャイル開発と融合させている。
適用の詳細:
Spotifyのプロダクトデザインチームは、ダブルダイヤモンドの各フェーズを「Think It, Build It, Ship It, Tweak It」というサイクルに翻案して運用している 35。
- Think It (Discover/Define): スクワッド(小規模な自律チーム)は、データ分析やユーザーからのフィードバックを基に、解決すべき課題を特定する。例えば「新しい音楽との出会いが少ない」という課題に対し、競合分析やユーザーインタビューを行う 37。
- Build It (Develop): MVP(実用最小限の製品)を開発する。ここではペーパープロトタイプから始まり、実際のアプリ上で動作する機能のプロトタイプまで迅速に作成される。
- Ship It & Tweak It (Deliver): 一部のユーザーに対して機能を公開(A/Bテスト)し、定量的なデータ(再生数、維持率など)を測定する。結果が良ければ全ユーザーに展開し、悪ければ改善(Tweak)するか、撤退する。
成果と含意:
Spotifyの事例は、ダブルダイヤモンドがソフトウェア開発の高速なイテレーション(反復)と完全に互換性があることを示している。特にDeliverフェーズにおいて、「リリースして終わり」ではなく「Tweak(微調整)」という継続的なプロセスが含まれている点が、現代的なプロダクト開発の特徴である 35。
6.3 英国法務省 (MoJ) と公共サービスのデザイン
英国法務省(Ministry of Justice)などの公共機関では、複雑な社会システムの中でサービスを提供するため、ダブルダイヤモンドをより広範なステークホルダー管理ツールとして利用している。
適用の詳細:
- Service Design Playbook: MoJは「Service Design Playbook」を策定し、ダブルダイヤモンドを標準プロセスとして採用している 38。これは、刑務所や保護観察といった特殊な環境下でのサービス改善において、職員や受刑者を含む多様なユーザーのニーズを汲み上げるために不可欠である。
- リスクの低減: 公共プロジェクトにおける最大のリスクは、巨額の税金を投じて「誰も使わないシステム」を作ってしまうことである。ダブルダイヤモンドのDiscoverフェーズを義務付けることで、開発に着手する前にニーズの有無を厳格に検証し、失敗のリスクを前倒しで排除している 38。
7. 批判的視点とフレームワークの限界
ダブルダイヤモンドは強力なモデルであるが、万能ではなく、その運用においてはいくつかの批判や限界も指摘されている。
7.1 線形性とウォーターフォール化の罠
視覚的に左から右へと流れる図であるため、多くの組織がこれを「Discoverが終わったらDefine、次はDevelop…」という不可逆的なウォーターフォール型プロセスとして誤解して運用してしまう 9。現実のイノベーションは混沌としており、Defineの段階で新たな事実が判明し、Discoverに戻る必要が生じることは頻繁にある。硬直的な運用は、アジャイルな柔軟性を殺ぐことになる。
7.2 実現可能性(Feasibility)の軽視
デザイン思考アプローチ全般に対する批判でもあるが、前半のダイヤモンド(ユーザーニーズの探索)に過剰なリソースを割き、後半のダイヤモンド(実装)に入った段階で初めて、技術的な難易度やコストの壁に直面するケースがある 40。これを防ぐためには、Discover/Defineの段階からエンジニアや開発者を巻き込み、実現可能性の視点を早期に取り入れる必要がある。
7.3 “Groan Zone”(うめき声の領域)の欠落
サム・カナー(Sam Kaner)が指摘するように、発散から収束へと移行する中間地点には、多様な意見が対立し、方向性が見えなくなる「Groan Zone(うめき声の領域)」と呼ばれる苦しい時期が存在する。ダブルダイヤモンドの綺麗な図形は、この混沌とした心理的な苦闘を隠蔽しており、プロセスがスムーズに進むという誤った期待を抱かせる可能性がある 41。
8. 結論:不確実性に対処するための羅針盤
本レポートの分析から明らかになったのは、ダブルダイヤモンドが決して単なる「作業工程表」ではないという事実である。それは、不確実で複雑な問題に対し、人間の認知能力(発散と収束)を最大限に活用して挑むための「思考のOS」である。
リチャード・アイザーマンらが2005年にこのモデルを体系化した際、彼らは新しい発明をしたのではなく、成功している組織が無意識に行っていた普遍的なパターンを顕在化させた 4。それから約20年を経て、LEGOのような製造業から、Spotifyのようなテック企業、そして英国政府のような公共機関に至るまで、このモデルはあらゆる領域で適応され、成果を上げてきた。
主要な提言:
- モードの意識化: チームは常に「現在は発散モードか、収束モードか」を意識し、意図的に思考を切り替える必要がある。
- 反復の受容: 直線的に進むことだけが進捗ではない。発見のために戻ることを恐れず、プロセス全体を学習のループとして捉えるべきである。
- 非デザイナーの関与: このフレームワークを共通言語として用いることで、エンジニア、マーケター、経営層がデザインプロセスに参画し、組織全体の創造性を解き放つことが可能になる。
ダブルダイヤモンドは、変化し続ける世界において、私たちが「正しい問題を解いているか」を問い続け、そして「正しく解決策を導き出す」ための、最も信頼できる羅針盤の一つであり続けるだろう。
引用文献
- Double Diamond (design process model) – Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Double_Diamond_(design_process_model)
- The Double Diamond Design Process – Splunk https://www.splunk.com/en_us/blog/learn/double-diamond-design-process.html
- Double Diamond Design Process Explained | DesignRush https://www.designrush.com/best-designs/websites/trends/double-diamond-design-process
- History of the Double Diamond – Design Council https://www.designcouncil.org.uk/our-resources/the-double-diamond/history-of-the-double-diamond/
- Double Diamond Design Process – The Best Framework for a Successful Product Design – UXPin https://www.uxpin.com/studio/blog/double-diamond-design-process/
- The Double Diamond – Design Council https://www.designcouncil.org.uk/our-resources/the-double-diamond/
- The Double Diamond model: a strong strategic asset – IO Digital https://www.iodigital.com/en/insights/blogs/four-steps-toward-a-flawless-customer-experience-the-double-diamond-model
- How to Implement the Double Diamond Model Process in design for REAL – Yellow Slice https://yellowslice.in/bed/how-to-implement-the-double-diamond-model-process-for-real/
- Framework for Innovation – Design Council https://www.designcouncil.org.uk/our-resources/framework-for-innovation/
- The Double Diamond Process: From Problems to Solutions | Maze https://maze.co/blog/double-diamond-design-process/
- Design Methods for Developing Services https://www.designcouncil.org.uk/fileadmin/uploads/dc/Documents/DesignCouncil_Design%2520methods%2520for%2520developing%2520services.pdf
- The 4 Ds: Double Diamond Design Thinking Model – Fluxspace https://www.fluxspace.io/resources/the-4-ds-double-diamond-design-thinking-model
- Design Process Step by Step | Double Diamond Model Explained – Medium https://medium.com/design-bootcamp/design-process-step-by-step-double-diamond-model-explained-e8da543848cc
- A quick look at the new Double Diamond model | by Frank Van De Ven https://frankvandeven.medium.com/a-quick-look-at-the-new-double-diamond-model-d7f04cacd4e4
- Double Diamond – Ehsan Abbasi – Medium https://abbasiehsan.medium.com/double-diamond-2b35f14d55bc
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- Developing our new Systemic Design Framework | by Cat Drew | Design Council – Medium https://medium.com/design-council/developing-our-new-systemic-design-framework-e0f74fe118f7
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