定義と基本概念
アナロジー(類推)の定義: アナロジーとは、日本語で「類推」や「類比」とも呼ばれ、未知の事柄を理解・解決するために、既知の類似した事例との対応関係を見出す認知プロセスを指します識や経験(ベース)を別の新しい領域(ターゲット)に当てはめて考えることで、新たな問題解決や理解を行う方法です。例えば**「コンピュータのCPUは人間の脳のようなものだ」という表現は、CPUと脳の機能的類似性(情報処理の中心である点)に基づいて、新しい理解を促すアナロジーの一例です。アナロジーは帰納推論・説明・創造など幅広い認知活動を支えています。認知科学における研究では、アナロジーのプロセを想起し、②対応づけ(写像)を行い、③対応の適切さを評価し、④その結果を学習するという段階に整理されています。
メタファー(隠喩)の定義: メタファーとは、日本語で「あんゆ)」とも呼ばれる比喩表現の一種で、「~のような」「〜みたいな」などの語を使わずにあるものを別のものになぞらえる表現技法です。ギリシャ語の metaphora(転移の意)を語源とし、本来の意味とは異なる言葉を借 (比喩の種類について(直喩・隠喩・諷喩・提喩・換喩・活喩)│旅する応用言語学) ことで、新たな意味合いを生み出します。例えば**「時間は金だ」という表現では、本来無関係な概念である「時間」と「お金」を直接結びつけ、「時間の (メタファー – Wikipedia) る隠喩になっています。メタファーは比喩であることを明示しないため、直喩に比べ読者・聞き手に解釈を委ねる余地がある表現です。認知言語学では、メタファーは単なる言葉遊びでとして位置づけられ、ある概念領域を別の概念領域に置き換えて理解する基本的な認知メカニズムと捉えられまする(人生=旅)」概念は、「人生」という捉えにくい概念を「旅」という具体的な体験になぞらえて理解するもので、我々の思考や表現の基盤になっています。
認知言語学的な視点: (概念メタファーとは何か│旅する応用言語学) メタファーを巧みに活用して世界を理解しています。ジョージ・レイコフとマーク・ジョンソンは、日常言語に浸透するメタファーが人間の思考そのものを形作っていると主張しました(いわゆる「概念のメタファー理論」)。例えば「議論に勝つ/負ける」「相手の主張を攻撃する」といった日常的表現には、「議論=戦争」という概念メタファーが潜んでおり、人は無意識のうちに議論を戦いになぞらえて理解しています。このように、メタファーは (概念メタファーとは何か│旅する応用言語学) く、人の認知・思考パターンに深く関与することが明らかになっています。一方、アナロジーは問題解決や学習の場面で既有の知識を新たな状況にマッピングする思考戦略として働きます。心理学や神経ナロジーを用いる際に脳内で複数の領域を活性化し、類似性の認識と関係性のマッピングを行っていることが示唆されています。総じて、アナロジーは論理的・関係的な類似に基づく推論であり、メタファーは感覚的・概念的な類似に基づく意味転移といえます。しかし両者はいずれも人間の認知におけるアブダクティブ(創造的)な飛躍を促す点で共通しており、創造的思考やコミュニケーションに欠かせないツールです。
歴史的背景と発展
古典修辞学における位置づけ: アナロジーとメタファーの研究は古代から行われてきました。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、『詩学』の中で初めてメタファーの重要性に言及し、「もっとも偉大なのはメタファーの達人である… 我々が新鮮な何かを得るとすれば、メタファーによってである」と述べています。これはメタファーが新しい知見や理解を生む鍵であることを示唆しています。アリストテレスにとってメタファーは単なる飾りではなく、認識を深める手段でした。また、彼はアナロジー(analogia)についても「比例(比率)的関係」として論じ、特に四項関係による類 (メタファー – Wikipedia) の形式)の重要性を指摘しています。この伝統は後の修辞学に受け継がれ、古代ローマのキケロやクインティリアヌスらは、雄弁術の中で比喩(隠喩・直喩)の効果的な使い方や分類を洗練させました。古典修辞学では、五部作法(発想、配置、文体〈修辞技法〉、記憶、発表)の中でメタファーを含む**トロープ(語の転用技法)**が重視され、聴衆を説得するためのテクニックとして体系化されました。一方アナロジーは、演繹とも帰納とも異なる推論法として哲学者らに認識され、未知の事柄を既知の枠組みで捉える発想法として位置づけられていました。
近現代の展開: 20世紀に入り、メタファーとアナロジーは単なる文芸的技巧ではなく、認知現象として再評価されます。フロャック・ラカンは、無意識の働きを言語学的なプロセスで説明し、メタファーとメトニミー(換喩)はそれぞれ無意識における象徴化(置き換え)と連合(連接)の働きに対応すると提唱しました。ラカンによれば、夢や症状に現れる意味の圧縮はメタファー(複数の意味の統合)に、あるイメージから連想が滑り出していく過程はメトニミーに似ているとされます。これによりメタファーは認知・心理的な意味生成プロセスとして新たな光を当てられました。また1970年代以降、認知心理学者のA.オートニーが編集した『Metaphor and Thought (1979)』を契機に、メタファー的思考と認知プロセスが実験心理学の文脈で盛んに研究され始めました。続いて1980年代には認知言語学者のジョージ・レイコフとマーク・ジョンソンが『Metaphors We Live By(邦題:「レトリックと人生」)』を著し、概念メタファー理論を提唱します。この理論は、日常言語における比喩表現(例:「時間は金」「議論に勝つ」など)が、人間の思考の基本的なフレームワークになっているは認知の隠れた基盤であると主張しました。
一方、アナロジーの研究も人工知能や認知科学の分野で発展しました。計算機モデル上で類推推論を再現する試み(1970年代の構造マッピング理論やケースベース推論など)が行われ、Dedre Gentnerらによる研究では、アナロジーは二つの領域間で構造的対応関係(関係の類似性)を見つけ出すプロセスと定義されました。これにより (概念メタファーとは何か│旅する応用言語学) 学習力との関係が深く解明されています。現代では、メタファー研究とアナロジー研究はいずれも認知科学・言語学・教育学・人工知能など多領域にまたがり、相補的に発展しています。メタファー理論では派生的に概念ブレンド(ブレンディング)理論(ファウコニエとターナー)なども提唱され、複数概念の統合による新概念創出が議論されています。一方アナロジー理論では、人間が新規問題に対して過去の知識を比ゆ的に適用する創造力に注目が集まり、ビジネスや科学における発想法(TRIZなどの体系的類推手法)として応用されています。
具体的な使用例(文学・科学・日常会話)
文学における使用例
文学作品ではメタファーとアナロジーが豊かに用いられ、読者に深い印象や理解を与えます。
- シェイクスピアの例: シェイクスピアは比喩の名手であり、その作品『ロミオとジュリエット』でロミオは恋人を称えて「*It is the East, and Juliet is the sun!*ここではジュリエット=太陽という大胆なメタファーによって、ジュリエットがロミオにとってどれほど輝かしく、生命を与える存在であるかを表現しています。直接「ジュリエットは明るい」と言うのではなく太陽になぞらえることで、読者の心に強烈なイメージと感情を喚起しているのです。またシェイクスピアは他にも「人生は舞台である」など多数の隠喩を用い、人間の営みを別の事物に置き換えて表現しました。加えて彼のソネットや戯曲では**直喩(シミリー)**も頻出し、「~のようだ」を用いた詩的表現(例:「彼女の瞳は太陽のように輝く」)で情景を鮮やかに描き出しています。
- 夏目漱石の例: 日本近代文学の巨匠・夏目漱石もまた巧みな比喩表現で知られます。漱石は英文学にも精通しており、直接的な愛の表現を嫌って「月が綺麗ですね」と訳したというエピソードは有名です。これは「I love you」のニュアンスを「月が綺麗だ」という情景描写に託したもので、一種の文学的メタファーと言えるでしょう(美しい月に例えて相手への愛情を暗示している)。漱石の小説にも独自の隠喩が多用されています。例えば、『こころ』には**「心に羨望の漣(さざなみ)が立った」という表現がありますが、これは「羨望(うらやましい気持ち)が心にさざ波のように広がった」という情景を描いた隠喩です。直接「羨ましく思った」と書く代わりに水面に立つさざ波に感情をなぞらえることで、嫉妬心が広がる様子を読者に鮮明に想像させています。このように漱石は感情や心理を自然現象にたとえるメタファー**を駆使し、読者の五感に訴える表現世界を築きました。
- 村上春樹の例: 村上春樹の作品もまたメタファーに富んでいることで知られます。たとえば『ノルウェイの森』では「世界中のジャングルの虎が溶けてバターになってしまうくらいな比喩が登場します。これは「非常に好きだ」という気持ちを、おとぎ話(ジャングルの虎が溶けてバターになる)のような奇想天外なイメージで表現したものです。また村上作品では「時間のことを考えると私の頭は夜明け前の鶏小屋のように混乱した」といった比喩も見られ、抽象的な思考の混乱を鶏が騒ぐ薄暗い鶏小屋という具体的イメージで示しています。村上春樹はしばしば現実と非現実の境界を揺さぶるメタファーを用い、読者に独特の読解体験を提供します。それらのメタファーは単なる装飾ではなく、物語のテーマや登場人物の心理を象徴する役割も果たしており、解釈に多層的な深みを与えています。
科学における使用例
科学や学術の領域でも、アナロジーとメタファーは理解を助けるツールや発見の手がかりとして活躍します。
- 進化論におけるアナロジー: チャールズ・ダーウィンは生物進化のメカニズムを説明する際に、人為選択(人工的な品種改良)のアナロジーを用いて自然選択を論じました。たとえば鳩の品種改良で人間が望ましい特徴を持つ個体を選び出すことをモデルに、「自然界でも環境要因が生存に有利な変異を選択している」と考えたのです。ダーウィン自身、「自然選択(Natural Selection)」という語を擬人化したメタファーとして使っており(まるで自然が目的をもって選択しているかのような表現)、専門書『種の起源』全体にわたりこの類比が展開されています。このように科学者は身近で理解しやすいプロセス(人工選択)を借りて未知の現象(自然界での進化)を説明するアナロジーを駆使しました。
- 物理学・数学の例: 物理学にも比喩的表現は数多く存在します。例え回るボーアの**「原子は小さな太陽系だ」というモデルは太陽と惑星の関係に原子をなぞらえたアナロジーです。このモデル自体は古典的で限定的なものですが、未知の微観的世界を既知の宇宙モデルで説明しようとした試みでした。また、量子力学の概念を説明する際には「電子は波でもあり粒子でもある」といったメタファー的表現や、シュレーディンガーの猫の思考実験(生死が重ね合わさった猫という隠喩)など、直感に反する現象を比喩で捉え直す工夫が見られます。数学においても、「集合の要素と袋の中のボール」「関数の入力と機械への材料投入」など、抽象概念を平易に伝えるメタファーが教育上用いられます。モデル化の分野では、「ネットワークをグラフ(頂点と辺)として表す」「遺伝的アルゴリズム(進化的最適化手法)で進化になぞらえた計算を行う」など、別領域の構造を借用するアナロジーが新たな発見や発明**に繋がっています。
- その他の科学分野: 医学では人間の体を機械に見立てるメタファーが歴史的に使われ(デカルトの時代には心臓をポンプになぞらえるなど)、現代でも脳科学で**「脳はコンピュータである」という比喩が議論されることがあります。この表現は、人間の脳の情報処理を理解するために計算機の動作原理を参考にするアナロジーですが、一方で脳の有機性や創発性を見落とす危険なメタファーでもあると批判されることもあります。科学におけるアナロジーやメタファーは仮説形成や理論の直観的理解に寄与する半面、文字通りに受け取ると誤解を生む可能性も孕むため、科学者はその利点と限界**を踏まえて慎重に用いています。
日常会話での使用例
我々が日常のコミュニケーションで交わしている言葉にも、アナロジーやメタファーは数多く潜んでいます。比喩表現は抽象的な内容を具体化し、円滑な意思疎通を助ける働きをしています。
- 隠喩的な日常表現: たとえば「あの人は頭が切れる」という表現は、実際に頭部が物理的に切断されているわけではありません。「切れる」という言葉を転用したメタファーで、「頭が非常に良い(切れ味鋭い)」という意味を持たせています。同様に「心が温かい」「腹黒い」「頭が真っ白になる」など、身体部位や感覚に関する語を使って感情・性格・思考状態を表す表現は日常的に使われます。これらは一見すると奇妙な言い回しですが、慣用的な隠喩表現として定着しており、聞き手も違和感なく理解できます。メタファーはこのように抽象的なもの(賢さ、優しさ、不安など)を具体物(刃物の切れ味、温度、色)で表現し、直感的な理解を可能にしています。
- アナロジーを用いた説明: 私たちは日常会話で**「〜みたいなものだ」「言ってみれば〜だ」といったフレーズでしばしばアナロジーを用います。例えば、新しいスマホの使い方を説明する際に「画面上のアイコンを指でつまんで動かすのは、実際に物を掴んで動かす感じに似ている」と伝えれば、相手は具体的な動作イメージから理解しやすくなります。また子供に難しい概念(例えばお金の価値)を教えるとき「お金は人と物を交換するための約束だよ。君がゲームのカードを友達と交換するのと似ている」というように、身近な経験との類比で説明することがあります。これらは具体例に基づくたとえ話**(アナロジー)であり、聞き手の既存知識と新情報を橋渡しして理解を深める効果があります。
- コミュニケーションを円滑にする比喩: 比喩表現は会話を豊かにし、時にユーモアや婉曲なニュアンスを生み出します。たとえば場の空気が重いと感じたとき「ちょっと場が冷えてきたね」と言えば、室温ではなく雰囲気が緊張していることを遠回しに伝えることができます。また「今日はついてない、朝から踏んだり蹴ったりだ」というとき、実際に誰かに踏まれたり蹴られたりしたわけではなく、嫌な出来事が重なったことを慣用的メタファーで表現しています。このように直接的に言いにくいことや抽象的な事柄も、比喩を使えば角を立てずに伝えられたり、イメージ豊かに共有できたりします。結果として比喩はコミュニケーションの潤滑油となり、文化ごとに独特の比喩表現(ことわざ・慣用句など)が発達しているのもその有用性の証と言えるでしょう。
アナロジーとメタファーの違いの詳細な比較
アナロジーとメタファーは共に「何かを別の何かになぞらえる」という点で共通しますが、その機能や構造、認知的役割には顕著な違いがあります。以下では両者をいくつかの観点で比較し、その相違点を整理します。
- 表現形式(直喩性 vs 隠喩性): アナロジーはしばしば「AはBのようなものだ」「AはBに似ている」といった明示的(直喩的)な形で提示されます。話し手は類似点を説明することが目的なので、共通点や対応関係を具体的に示す傾向があります。一方、メタファーは「AはBだ」という暗示的(隠喩的)な形をとり、「〜のような」とは言わずにAを直接Bで置き換えます。これにより、聞き手はその場で対応する類似点を自ら解釈しなければなりません。例えば、アナロジー表現なら「知識とは食物のように人を成長させるものだ」と言うところを、メタファーでは「知識は食物だ」と述べるわけです。前者は「人が成長する」というはそれを言明せず一瞬ギョッとさせつつ意味を考えさせる効果があります。
- 主な機能・目的(説明 vs 創造的暗示): アナロジーは相手に新たな概念をわかりやすく説明することや、問題解決のヒ (比喩の種類について(直喩・隠喩・諷喩・提喩・換喩・活喩)│旅する応用言語学) を持つ既知の例を提示することで、聞き手は未知の事柄をスムーズに理解できます。科学教育や技術者の議論でアナロジーが多用されるのはこのためです(例:「電気回路における電流の流れは、水道管を流れる水のようなものだ」)。一方、メタファーは新鮮な視点や感情的なインパクトを与えることに長けています。詩的・文学的文脈では、メタファーによって読者の想像力を刺激し、直接説明する以上の含意や美的効果を生み出します。例えば「人生は旅だ」という隠喩は、人生を旅路とみなすことで希望や冒険、不確実性**といったニュアンスを一度に伝える力がレトリックでは、メタファーが受け手の感情に訴えて態度や行動に影響を及ぼすケースもあります(例:「○○との戦い」というメタファーで危機感を煽るなど)。
- 構造的特徴(対応関係の範囲): アナロジーは複数の対応関係を体系的に成り立たせることが多いです。すなわち、源領域(ベース)と目標領域(ターゲット)の間で複数の要素同士が対応づけられるのです。例えば「太陽系モデルによる原子のアナロジー」では、「原子核=太陽」「電子=惑星」「重力=電磁気力」といった具合に、いくつもの対応がパラレルに成立しています。このようにアナロジーは構造(関係性)の類似に着目し、論理的な一貫性を保ったまま知識の転移を図ります。一方、メタファーは基本的に単一の置換関係に基づくことが多く、文章中では一箇所の語やフレーズを別のものに置き換える形で表れます(複合隠喩もありますが)。メタファーは焦点となる特徴を強調し、その一点の輝きで意味を伝える傾向があります。例えば「鋼のように堅い意志」という表現では、「堅い」という一点の性質で意思と鋼を結びつけています。メタファーはこのように部分的・象徴的な特徴の転移に優れ、必ずしも多面的対応を要求しません。むしろ多面的に捉えようとすると破綻する場合(先の例で「意志は金属製か?」などと突飛な解釈になる)は、その比喩の射程外という (比喩・隠喩・メタファー | ロジック図解・情報整理術実践講座) 認知的影響(理解プロセスと学習効果):* アナロジーによる理解は、聞き手にとって能動的な対応付け作業を伴います。既存のスキーマ(枠組み)から適切なものを検索し、目標の事例と突き合わせて共通点と相違点を吟味する必要があるため、理解のプロセス自体が一種の問題解決的思考になります。この過程は認知的負荷を要しますが、その分、得られた知識は構造的に把握され、応用可能性が高い(類推による学習)という利点があります。実際、教育心理学では適切なアナロジーが学習者の深い理解やスキーマ形成を促すことが報告されています。一方、メタファーの理解は瞬間的な連想と解釈によるところが大きく、直観的・感覚的な認知処理が行われます。熟達した話者同士であれば、メタファーはしばしば文字通りの表現と同等の速さで理解され、脳内では通常の言語理解と似た経路で処理されるという研究結果もあります(特に慣用的メタファーの場合)。しかし、初めて出会う斬新なメタファーや詩的、受け手は文脈や背景知識から意味の推測を行います。この意味推測は、ときにインサイト(洞察)を生み、受け手に「ハッ」と新たァーはこうした認知的驚きやスchem洞察を誘発する点で、単なる説明以上の深い学習・認識変化をもたらすことがあります。
- 誤用や限界: アナロジーとメタファーにはそれぞれ注意点もあります。アナロジーは対応関係が成り立つ範囲を誤ると誤解や誤推論につながります。俗に「ヘタな類推は詭弁のもと」と言われるように、不適切なアナロジーは論理的誤謬(誤った類推)を生みます。例えば、「脳はコンピュータだから感情はプログラムにすぎない」といった類推は、両者の異なる点を無視した暴論となり得ます。一方、メタファーも受け手によって解釈が多義的になるため、意図が伝わらないリスクがあります。文化や背景知識の違う相手 (メタファー – Wikipedia) 解を招くこともあります(例:日本語の「蛇の生殺し」という慣用隠喩は直訳しても外国人には伝わりにくい)。さらにメタファーは感情に訴える力が強いため、時にレトリック操作として悪用される危険も指摘されています(たとえば差別的隠喩や過度に煽情的な比喩表現)。従って両者とも適切な範囲で慎重に用いる必要があり、その効果と限界を見極めるのが重要です。
以下に、アナロジーとメタファーの主な違いを (類推 – Wikipedia)
比較項目 | アナロジー(類推) | メタファー(隠喩) |
---|---|---|
定義 | 既知の事例を基に未知の事例を推論・説明する思考プロセス。 | あるものを直接別のもので表現し意味を転移させる表現技法。 |
表現形式 | 「AはBのようなもの」「AにおけるX:Y関係は、BにおけるC:D関係に相当」のように、類似性を明示して述べる(直喩的)。 | 「AはBだ」「AのXはBのXだ」のように、直接置き換えて述べる(隠喩的)。 |
主な目的 | 分かりにくい事柄を分かりやすく説明したり、未知の問題に対して洞察や解決策を与えること。 | 抽象的内容に具体的イメージを与えたり、斬新な連想で感情・想像力に訴えること。 |
**対 | 複数の構成要素間の構造的類似を含むことが多い(系統的 (メタファー – Wikipedia) 太陽系モデル=原子モデル(核=太陽,電子=惑星…)。 | 通常は単一要素の置換による部分的類似が多い(象徴的対応)。例:ジュリエット=太陽(輝きの性質のみを転移)。 |
認知プロセス | 既有知識の検索→写像→評価→学習といった分析的・段階的処理。構造理解を伴い学習効果が高い。 | 直観的・並行的処理(瞬時の連想)だが、新奇な場合は解釈に洞察を要する。感情喚起や認識の転換をもたらす。 |
例 | 「光は波だが粒子でもある」という難解な話を、「光は時に水の波のように振る舞う」と水波になぞらえて説明。 | 「ジュリエットは太陽だ」(ジュリエット=太陽)。「経済が凍りつく」(経済停滞を「凍結」と表現)。 |
リスク | 類似点に囚われすぎると相違点を無視した誤推論に陥る。アナロジーに基づく議論は厳密な検証が必要。 | 解釈が人によって多義的になり得る。文化差で通じない比響力が強く、誇張や偏見を助長する恐れも。 |
関連する概念との比較
アナロジーとメタファー以外にも、言語表現における比喩 (メタファー – Wikipedia) ります。ここでは直喩(シミリー)、換喩(メトニミー)、**提喩(シネクドキ)**など、関連概念とメタファーとの関係を簡潔に比較します。
- 直喩(ちょくゆ, Simile): 直喩は**「〜のようだ」「〜みたいだ」といった語を用いて明示的に比喩であることを示す表現です。典型的には「AはBのようだ」の形で、AとBの類似点を読み手にわかりやすく伝えます(例:「彼の声はベルベットのようになめらかだ」)。直喩は表現上アナロジーに相当し、メタファーと基本的メカニズムは同じで (類推 – Wikipedia) ことを明示するか否かにあります。同じ内容でも、直喩「人生は旅のようなものだ」に対し、隠喩「人生は旅だ」と言えばメタファーになります。直喩は理解しやすい反面、メタファーに比べて平板で説明的な印象を与えることもあります。一方メタファーは暗示的ゆえに詩的効果が高く、余韻や含意を持たせるのに適しています。なお、多くの場合直喩から隠喩への言い換え**は容易であり、表面的な違いと言えますが、文章の調子(トーン)や読者への負荷は変化します。
- 換喩(かんゆ, Metonymy): 換喩は隣接や関連性にもとづいてあるものを別のもの (比喩の種類について(直喩・隠喩・諷喩・提喩・換喩・活喩)│旅する応用言語学) タファーや直喩が「類似性」に基づくのに対し、換喩は因果・空間的な隣接・属性の連想にもとづきます。例えば「鍋を食べる」と言えば実際には「鍋料理」を食べることですし、「映画館は笑いに包まれた」と言えば「映画館の中にいた人々」が笑いに包まれたことを指します。また「いえば建物名で組織(米国政府)を指示しています。このように換喩では部分-全体、原因-結果、場所-人/組織、持ち物-所有者などの関連する概念の代替が行われます。換喩は日常表現にも多く、「電話が鳴っている」(電話=電話機からの着信)、「お皿をもう一枚ください」(皿=料理)など自然に使われています。認知言語学では換喩もメタファー同様に認知的メカニズムとして重要視され、Lakoffらはメタファーが「概念領域間の写像」であるのに対し換喩は「同一領域内の参照点のずらし」と説明します。例えば「王(王そのもの)」を指すような場合、同一の王という領域内で道具で人物を指す参照の移動**が起きています。換喩はメタファーほど意味の飛躍は大きくなく、より具体的な文脈や文化的知識に依存する点が特徴です。
- 提喩(ていゆ, Synecdoche): 提喩は換喩の一種ともされ、全体と部分の関係に基づく置き換え表現です。典型例として、部分で全体を指すもの(「舵をとる腕が見える」=船長が見える、「パンを求めて町に出る」=食料全般を求める)や、全体で部分を指すもの(「警察が来た」=警官が来た、「日本が勝利した」=日本代表チームが勝利した)があります。提喩では上位概念と下位概念(カテゴリーとそのメンバー)の包含関係に基づく連想が鍵になります。例えば「灰皿が動いた」といえば、本来は「灰皿を置いたテーブル(全体)が動いた」ことを意味するなど、一部を言って全体を示すケースが詩的表現として使われることがあります。提喩は一見すると誇張法や縮小法とも関連し、たとえば「百姓が生きるために米が必要だ」という時、「百姓」は百の姓を持つ人すなわち農民全般を指す提喩であり、「米」は主食一般を象徴しています。このように提喩表現は、文脈上その部分が全体を代表できる場合や逆に全体が部分を包含している場合に用いられます。提喩は他の比喩と組み合わさることもあり、メタファーや換喩との厳密な線引きは難しいこともありますが、その指示のずれ方が「類似による飛躍」(メタファー)なのか「隣接する概念へのシフト」(換喩・提喩)なのかで区別できます。
以上のように、直喩・隠喩(メタファー)・換喩・提喩はすべて広義の「比喩表現」に属しますが、それぞれ異なる原理行っています。直喩と隠喩(メタファー)は主に類似性に基づく比喩**(前者は明示的、後者は暗示的)、換喩と提喩は関連性(隣接・包含関係)に基づく比喩と言えます。それぞれが言語表現にもたらす効果やニュアンスは微妙に異なり、話者は伝えたい内容や場面に応じて使い分けています。