自我の深淵:人間の自己利益をめぐる哲学的・文学的探求

序論:文学の鏡に映る「私」― エゴイズムという永遠の主題
エゴイズム、すなわち自己の利益、欲望、生存を優先する精神性は、単に数ある文学的テーマの一つではなく、物語という形式そのものの根幹をなす要素であると言える。人間の動機と葛藤に関わる媒体としての文学は、必然的に、自己利益の限界と結末を検証するための実験室となる 1。世界文学の歴史を通じて、作家たちは登場人物の行動を通して、自己利益の追求が個人と社会に何をもたらすのかを執拗に問い続けてきた。それは時に英雄的な自己確立として描かれ、またある時には他者を破滅させる悲劇の源泉として描かれる。
本稿の目的は、この複雑な主題を多角的に解明することにある。まず、エゴイズムをめぐる哲学的・心理学的議論の基礎を固め、その概念的枠組みを確立する。次に、その枠組みを用いて、日本と西洋の代表的な文学作品を深く分析し、エゴイズムが具体的にどのような形で登場人物の運命を形成し、物語の道徳的景観を構築しているのかを明らかにする。本稿が提示する中心的な論点は、文学が単にエゴイズムを「描写」するのではなく、それを能動的に「尋問」するということである。文学は、哲学的な抽象論だけでは捉えきれない、人間の自己中心的本性がもたらす深刻な心理的、社会的、道徳的複雑性を暴き出す、比類なき力を持っているのである。
第1部:エゴイズムの哲学的・心理学的地平
文学作品におけるエゴイズムの多様な現れを理解するためには、まずその思想的背景を整理する必要がある。エゴイズムは単一の概念ではなく、その主張の性質によって大きく二つに分類される。この区別は、文学的登場人物の内的葛藤を分析する上で極めて重要な鍵となる。
1.1 「である」と「べき」の狭間:心理的エゴイズムと倫理的エゴイズム
エゴイズムをめぐる議論の核心には、「事実認識」と「規範意識」という二つの異なる次元が存在する。この区別が、心理的エゴイズムと倫理的エゴイズムという二大潮流を生み出した 3。
心理的エゴイズム(Psychological Egoism)は、人間の行動は事実として(in fact)常に自己の利益によって動機づけられている、とする記述的な主張である 3。この見解によれば、一見利他的に見える行為でさえも、その深層には自己満足感や他者からの評価、将来的な見返りへの期待といった、何らかの自己利益が隠されている 6。例えば、経済学における「合理的経済人」のモデルは、常に自己の利益を最大化するように行動する存在として想定されており、心理的エゴイズムの一つの典型例と言える 4。これは人間の本性が快楽主義的、あるいは幸福主義的であるという想定に基づいている 4。この立場は、真の利他主義の可能性そのものを問うものであり、道徳的善悪を論じる以前の、人間本性に関する根本的な問いを投げかける。
一方、倫理的エゴイズム(Ethical Egoism)は、人間は自己の利益に基づいて行動すべきである(ought to)、とする規範的な主張である 4。これは道徳的な立場であり、自己の幸福を最大化することこそが最高の倫理的原則であると考える 8。この思想は、他者の利益を優先する利他主義や、社会全体の利益を考慮する功利主義とは明確に対立する 4。倫理的エゴイズムは、すべての人間が利己的であると主張するわけではない。たとえ人間が利他的に行動できるとしても、道徳的には自己の利益を追求すべきだと論じるのである 8。
この「である(is)」と「べき(ought)」の間の緊張関係こそ、文学がエゴイズムを探求する際の主要な動因となる。多くの文学作品の登場人物は、この二つの立場の狭間で引き裂かれる。彼らは高潔な理想(倫理的エゴイズムの否定)に基づいて行動していると信じ込みながら、物語の展開によってその行動の根底にある心理的エゴイズムが暴かれていく。逆に、ある登場人物は倫理的エゴイズムの信条に沿って生きようと試みるが、生来の共感や罪悪感といった心理的特性によって苦しめられる。この葛藤こそが、夏目漱石の『こころ』における「先生」や、ドストエフスキーの『罪と罰』におけるラスコーリニコフのような登場人物の悲劇性の核心をなしている。文学は、人間の自己利益という記述的な現実(心理的エゴイズム)と、社会や個人が構築する規範的な理想(様々な形の倫理観)との間の埋めがたい溝を劇的に描き出すのである。
1.2 近代自我の黎明:ホッブズ、ニーチェ、ランドに見る思想的系譜
近代以降、エゴイズムは人間と社会を理解するための中心的な概念として、多くの思想家によって探求されてきた。中でも、トマス・ホッブズ、フリードリヒ・ニーチェ、アイン・ランドの思想は、エゴイズムの多様な側面を浮き彫りにし、後の文学的想像力に多大な影響を与えた。
トマス・ホッブズと生存のエゴイズム
17世紀の思想家トマス・ホッブズは、心理的エゴイズムの思想的基礎を築いた。彼の主著『リヴァイアサン』において構想された「自然状態」とは、共通の権力や規範が存在しない世界であり、そこでは各人が自己保存という根源的な欲求に突き動かされる 9。この状態では、善悪は各人の主観的な欲望にすぎず(「善」とは自らが欲するもののことである)11、他者への不信と恐怖から「万人の万人に対する闘争」が生じるとホッブズは説いた 9。この絶え間ない死の恐怖から逃れるため、人々は自らの自由の一部を主権者(リヴァイアサン)に譲渡し、社会契約を結ぶ。この契約は、道徳的理想からではなく、自己の生命を守るという極めて利己的な計算から生まれたものである 9。ホッブズの思想は、エゴイズムを人間の根源的な動機として位置づけ、社会秩序の成立をその観点から説明した点で画期的であった。
フリードリヒ・ニーチェと権力のエゴイズム
19世紀の哲学者フリードリヒ・ニーチェは、エゴイズムの価値を根底から覆し、再評価を試みた。彼は、伝統的なキリスト教道徳を、強者の力を抑圧するために弱者が作り出した「奴隷道徳」であると批判した 14。この道徳は、同情や自己犠牲を善とし、強者が持つ自己肯定的で利己的な本能を「悪」として断罪する。これに対し、ニーチェは「貴族道徳」を提唱する。これは、万物の根源的な衝動である「力への意志」(Wille zur Macht)—自己の力を増大させ、世界に影響を及ぼそうとする欲求—から生まれる価値評価である 14。ニーチェにとって、「健康な」道徳とは、強い「我欲」(Selbstsucht)を含む生の諸本能によって統治されるものであり、自己を肯定し、乗り越えようとする創造的なエゴイズムこそが、人間を偉大にする力だと考えた 14。
アイン・ランドと理性のエゴイズム
20世紀の思想家アイン・ランドは、倫理的エゴイズムを擁護し、それを「オブジェクティビズム」という思想体系にまで高めた。彼女は『利己主義という気概』(The Virtue of Selfishness)の中で、利己主義を悪徳ではなく「美徳」として称揚した 16。ランドの哲学によれば、各個人は「自己の幸福の追求」を人生の究極的な目的とすべきであり、他者のために自己を犠牲にする利他主義は、人間の生命と幸福に反する破壊的な思想であると断じた 16。彼女が提唱する「合理的エゴイズム」は、気まぐれな欲望の追求ではなく、理性に基づき、長期的な自己利益を追求することを意味する 18。それは他者を搾取することではなく、価値あるものを交換し合う「商人」の原則に基づいた、互恵的な関係(ウィン・ウィン)を築くことである 18。ランドの思想における英雄とは、生産的な達成を通じて自己の幸福を実現する、独立した理性の持ち主なのである 16。
これら三人の思想家は、エゴイズムの多様な側面を照らし出している。ホッブズは恐怖に根差した生存のためのエゴイズムを、ニーチェは力の増大を目指す創造のためのエゴイズムを、そしてランドは理性に基づく原則として倫理的エゴイズムを提示した。この思想的スペクトルは、文学作品に登場するエゴイストたちを分析するための強力な分析ツールとなる。これから見ていくように、ある登場人物はホッブズ的な恐怖に、ある者はニーチェ的な権力への意志に、そしてまたある者は(しばしば歪んだ形で)ランド的な自己正当化の論理に突き動かされているのである。
第2部:日本近代文学におけるエゴイズムの相克
日本の近代文学は、西洋から流入した個人主義の概念と、伝統的な共同体意識との間で揺れ動く人間の姿を鋭く描き出してきた。その中でエゴイズムは、近代人の孤独と罪悪感の源泉として、中心的な主題の一つとなった。
2.1 夏目漱石『こころ』:近代知識人の孤独と「自己本位」の悲劇
夏目漱石の『こころ』は、近代日本の知識人が抱えるエゴイズムの悲劇性を描ききった不朽の名作である。物語の中心人物である「先生」のエゴイズムは、壮大な哲学的信条から生まれるものではなく、恋愛における嫉妬と所有欲、そして深い劣等感に根差した、静かで個人的なものである 19。
先生は、同じ下宿に住む親友Kと、下宿先の「お嬢さん」をめぐる三角関係に陥る。Kがお嬢さんへの恋心を打ち明けたことで、先生は先を越されるという恐怖と嫉妬に駆られる。そして先生は、病に倒れたKを献身的に看病する一方で、彼の弱みにつけこみ、下宿の「奥さん」にお嬢さんとの結婚の許しを先に取り付けてしまう 21。この裏切り行為が、理想主義者であったKを絶望させ、自死へと追いやる直接的な原因となる 22。
この悲劇は、漱石が自身の講演「私の個人主義」で論じた「自己本位」という概念と深く関わっている 23。漱石にとって「自己本位」とは、他人の模倣ではなく、自己の内部から湧き出る判断基準に従って生きるという、近代人にとって不可欠な覚悟であった 24。しかし『こころ』は、その「自己本位」が、他者との関係性の中でいかに容易に「利己本位」(自分勝手)へと堕落しうるかを生々しく示している 25。先生の行動は、まさにこの転落の悲劇的な具現化であった。
そして、この小説の真の悲劇は、裏切りという行為そのものよりも、その後に続く先生の生涯にわたる精神的な苦しみにこそある。Kの死後、先生は深い罪悪感に苛まれ、妻を愛しながらも心を開くことができず、社会から隔絶された孤独な生を送ることを自らに課す 20。彼の人生は、常にKの影につきまとわれ、その苦しみから逃れることはできない。最終的に明治天皇の崩御に際し、時代の終焉に殉じる形で自らの命を絶つという結末は、エゴイスティックな行為がもたらした拭い去れない孤独の帰結なのである 22。
ここにおいて漱石は、エゴイズムを近代そのものの病として描いている。伝統的な共同体や道徳規範から切り離された近代知識人である先生にとって、「自己本位」という個人の自由は、道徳的破綻と実存的孤独という代償を伴うものであった。この小説は、倫理的責任を欠いた個人主義の危険性に対する痛烈な警鐘であり、漱石が晩年に「則天去私」(小さな自我を捨て、天地自然の道に従う)という境地を理想とした思想的背景を理解する上で、極めて重要な作品と言える 22。
2.2 芥川龍之介『羅生門』:極限状況における生存のエゴイズムと倫理の崩壊
芥川龍之介の初期の傑作『羅生門』は、極限状況下で人間の倫理がいかに脆く、生存のためのエゴイズムがいかに強力であるかを冷徹な筆致で描き出している。
物語の舞台は、天災や飢饉で荒廃しきった平安末期の京都。職を失い、生きる術をなくした一人の下人が、雨宿りのために羅生門の楼上に身を寄せる場面から始まる 29。この設定は、社会秩序が崩壊し、個々人が生存のために剥き出しの状態で対峙する、まさにホッブズ的な「自然状態」の文学的表現である。当初、下人は飢え死にするか、盗人になるかという二者択一を前にして動けずにいる 30。彼の中には、まだ「悪」に対する倫理的な反発心が残っていた。
物語の転機は、楼上で死人の髪の毛を抜く老婆との出会いである。下人はその光景に強い嫌悪感を抱き、正義感に駆られて老婆を問い詰める 29。しかし、老婆は自らの行為を「こうしなければ、餓死をするのだから、仕方がない」と正当化する。そして、この死人も生前は悪事を働いていたのだから、これくらいのことはされても当然だと付け加える 29。
この老婆の言葉が、下人の内面世界に決定的な変化をもたらす。彼は、老婆の論理の中に、自らの行為を正当化するための「勇気」を見出す。老婆が生きるために悪事を働くことが許されるのならば、自分が生きるために老婆から着物を剥ぎ取ることもまた許されるはずだ、と。彼は、それまで抱いていた倫理的な葛藤を捨て去り、「では、おれもこうしなければ、餓死をする体なのだ」と叫び、老婆の着物を剥ぎ取って闇の中へと消えていく 29。
『羅生門』が示すのは、エゴイズムが単なる生来の性格ではなく、崩壊した社会秩序への適応的な反応として学習されうる、ということである。下人は自らエゴイズムの論理を発明したのではない。彼は老婆の行為と弁明からそれを「感染」させられたのだ。芥川は、この短い物語を通して、道徳や倫理が絶対的なものではなく、社会の安定という基盤の上でのみ成立する相対的なものであることを示唆している 31。その基盤が失われた時、ホッブズ的な生存のエゴイズムが最も合理的で、悲劇的にも、唯一の生きる術となる。これは、人間の偽善や弱さを暴き続けた芥川文学の根底に流れる、人間不信と冷徹なリアリズムを象徴するテーマである 31。
第3部:西洋文学におけるエゴイズムの諸相
西洋文学の伝統においても、エゴイズムは人間の罪と栄光、そして破滅を描くための中心的な主題であり続けてきた。特に、個人の思想や野心が神や社会の秩序と衝突する物語において、そのテーマは深刻な探求の対象となっている。
3.1 ドストエフスキー『罪と罰』:超人思想という知的エゴイズムとその贖罪
フョードル・ドストエフスキーの『罪と罰』は、思想が人間をどこまで駆り立て、そして破滅させるかを描いた、思想小説の金字塔である。主人公の元大学生ラスコーリニコフは、単なる物盗りではなく、自らの哲学を証明するために殺人を犯す 34。
彼の理論は、「選ばれた非凡人は、社会の発展のためならば、凡人を犠牲にし、道徳律を踏み越える権利を持つ」というものであった 34。これは、ニーチェの超人思想を先取りしたかのような、一種の知的エゴイズム、あるいは倫理的エゴイズムの実践である。彼は、強欲な金貸しの老婆を殺害し、その金を社会のために役立てることで、自らがその「非凡人」であることを証明しようと試みる。
しかし、この小説の核心は、ラスコーリニコフの理論の心理的な破綻にある。殺人を合理的に正当化したはずの彼の精神は、行為の直後から、罪悪感、高熱、パラノイアといった非合理的な力によって蝕まれていく 34。彼の理性が構築したエゴイズムの砦は、彼自身の魂の深奥からの反乱によって内側から崩壊する。彼の犯罪は「完璧に合理的な決断」であったかもしれないが、彼の人間性はそれを耐え抜くことができなかったのである 35。
このラスコーリニコフの知的エゴイズムと鮮烈な対比をなすのが、娼婦ソーニャ・マルメラードワの存在である。彼女は、家族を養うために自らを犠牲にし、徹底した自己否定の内に生きている 34。彼女の力は、論理や思想ではなく、無条件の愛とキリスト教的な信仰に根差している。ラスコーリニコフが自らの罪を告白できるのは、ソーニャの前に立った時だけである。彼女が聖書からラザロの復活の物語を読み聞かせる場面は象徴的であり、罪によって死んだラスコーリニコフの魂が、信仰を通じて「復活」する可能性を示唆している 36。
ドストエフスキーは『罪と罰』を、二つの世界観が激突する舞台として設定した。ラスコーリニコフの知的エゴイズムは、神の不在を前提とする近代西欧の合理主義思想を象徴しており、ドストエフスキーはそれが必然的に道徳的ニヒリズムと自己破壊に行き着くと考えた 37。一方、ソーニャの利他主義は、苦難と信仰を通じた救済という、ロシア正教の理想を体現している。この小説は、人間のエゴイズムは、自己を超えた高次の力、すなわち神への信仰によってのみ克服されうるという、ドストエフスキーの強烈な宗教的・思想的主張なのである 35。
3.2 シェイクスピア『マクベス』:王冠への野心―権力欲が駆動する破滅の悲劇
ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇の一つ『マクベス』は、野心という形をとったエゴイズムが、いかにして一人の高潔な人間を暴君へと変貌させ、自己破壊へと導くかを描いた普遍的な物語である。
物語の冒頭、マクベスは忠実で勇敢なスコットランドの将軍として登場する。しかし、荒野で出会った三人の魔女が彼に「いずれ王になる」と予言したことで、彼の心の奥底に眠っていた野心というエゴイズムが目を覚ます 38。さらに、夫以上に冷徹な野心を持つマクベス夫人からの教唆を受け 38、彼は主君であるダンカン王を自らの城で暗殺し、王位を簒奪する 40。
この最高のエゴイズム的行為は、しかし、彼に安息をもたらさない。むしろ、それは彼を猜疑心と恐怖の悪循環に陥れる。王位を維持するため、彼は自らの地位を脅かす可能性のある者を次々と粛清していく。親友であったバンクォーを暗殺し、敵対する貴族マクダフの無実の妻子までも惨殺する 40。権力を求めるエゴイズムは、一度始動すると、それを維持するためにさらなる暴力を必要とし、雪だるま式に肥大化していくのである。
この戯曲は、野心がもたらす外面的な悲劇と並行して、内面的な心理の崩壊を見事に描き出す。マクベスは不眠とバンクォーの亡霊という幻覚に悩まされ、マクベス夫人は罪の意識から夢遊病に陥り、幻の血をその手から洗い流そうと狂気のうちに彷徨う 40。かつて名誉と秩序に満ちていた彼らの世界は、やがて「白痴の語る物語、騒音と激情に満ち、何の意味もない」虚無的なものへと変貌する 39。
『マクベス』は、権力欲に駆られたエゴイズムが自己を食い尽くす性質を持つことを示す、時代を超えた寓話である。シェイクスピアが描き出すのは、野心が唯一の行動原理となった時、それがもたらすのは自己実現ではなく、ニヒリズム的な空虚であるという真実だ。道徳的・社会的な絆から切り離された自己利益の追求は、最終的に自己そのものの破壊へと至る。これは、個人の性格的欠陥が運命を決定づけるという、西洋古典悲劇の核心的なテーマでもある 41。
結論:文学が描き出すエゴイズムの普遍性と多様性
本稿で分析した文学作品は、エゴイズムという人間の根源的な衝動が、文化や時代を超えて普遍的な主題であり続ける一方で、その現れ方が極めて多様であることを示している。哲学がエゴイズムを概念的に定義するのに対し、文学はそれを登場人物の具体的な行動と内面の葛藤として肉付けし、その生々しい経験と結末を読者に突きつける。
表1:主要文学作品におけるエゴイズムの比較分析
| 作品と作者 | 主人公 | エゴイズムの主要な形態 | 中核となる動機 | 主要な罪過 | 結果と結末 |
| 『こころ』(夏目漱石) | 先生 | 恋愛・近代的エゴイズム | 所有欲と喪失への恐怖 | 親友への裏切り | 生涯にわたる罪悪感、孤立、自殺 |
| 『羅生門』(芥川龍之介) | 下人 | 生存のエゴイズム(ホッブズ的) | 飢餓と自己保存 | 強盗・暴行 | 道徳的変容と犯罪への道 |
| 『罪と罰』(ドストエフスキー) | ラスコーリニコフ | 知的エゴイズム(ニーチェ的) | 哲学的理論の証明 | 思想に基づく計画殺人 | 心理的苦痛、精神的危機、苦難による贖罪 |
| 『マクベス』(シェイクスピア) | マクベス | 野心・権力のエゴイズム | 政治的権力の掌握 | 主君殺しと暴政 | 猜疑心、狂気、暴政、暴力による死 |
この比較から明らかなように、エゴイズムは多様な動機から発現する。『羅生門』における下人の行動は、ホッブズ的な自己保存の本能に直結した、反応的で非道徳的な生存のエゴイズムである。一方、『こころ』の先生を動かすのは、近代的な個人主義が生み出した、他者を排除してでも愛する対象を独占しようとする恋愛のエゴイズムであり、その行為は生涯続く罪の意識によって罰せられる。
さらに、『罪と罰』のラスコーリニコフは、自らを道徳を超越した存在と見なす知的エゴイズムの体現者であり、彼の悲劇は、その哲学が人間性の複雑な現実に直面して崩壊する過程にある。そして『マクベス』は、権力への渇望がすべてを飲み込んでいく野心のエゴイズムを描き、自己利益の追求が自己そのものを破壊する自己言及的な悲劇を提示する。
これらの物語に共通しているのは、エゴイスティックな行為が、たとえ一時的な利益をもたらしたとしても、最終的には行為者自身を内面から蝕み、社会的な絆を断ち切り、精神的な破滅へと導くという洞察である。文学の貢献は、エゴイズムの現象学、すなわち自己利益を追求する主体であることの「生きた経験」を探求する能力にある。哲学が概念を定義するのに対し、文学はそれを登場人物と行動の中に具現化し、読者にそれらの思想がもたらす感情的・心理的な結末を追体験させる。エゴイズムの真のドラマは、行為そのものにあるのではなく、その後に続く良心の呵責という、決して逃れることのできない魂のこだまの中にこそ存在する。文学は、その深淵を覗き込むための、最も鋭利な鏡なのである。
引用文献
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