序章:雨の夜の事件
雨が窓を叩く音が、取調室に響いていた。刑事の桐谷は、容疑者の目を見つめた。男の瞳は、まるでガラス玉のように光を反射していた。
「あなたは人間ですか」
桐谷は静かに問いかけた。男は笑った。その笑い声には、どこか機械的な響きがあった。
三ヶ月前から、AIを違法に搭載した人間が増えていた。脳にチップを埋め込み、記憶や感情をコントロールする。桐谷の仕事は、そんな改造人間を見つけ出すことだった。
第一章:違和感
翌朝、桐谷は頭痛で目を覚ました。こめかみがズキズキと脈打つ。鏡を見ると、目の下に濃い隈ができていた。
「また寝不足か」
呟きながら、洗面台の水で顔を洗う。冷たい水が肌を刺激した。
警察署に着くと、相棒の美咲が声をかけてきた。
「桐谷さん、最近おかしいですよ。昨日の報告書、完璧すぎて怖いくらいでした」
美咲は心配そうな顔をしていた。桐谷は笑ってごまかした。
「徹夜で頑張っただけだ」
でも、自分でも不思議だった。最近、記憶力が異常に良くなっている。事件の詳細を、写真のように思い出せる。数字も、一度見れば忘れない。
第二章:追跡
夕暮れ時、新しい通報が入った。地下鉄の駅で、AI改造の容疑者が目撃されたという。桐谷は現場へ急いだ。
駅構内は人でごった返していた。雑踏の中、桐谷の視界に奇妙な光景が映り込んだ。人々の顔に、データのような文字列が浮かんで見えた。
「何だ、これは」
目をこすったが、映像は消えなかった。心拍数、体温、感情の数値。それらが、透明なスクリーンのように空中に表示されている。
容疑者を見つけた。男は階段を駆け上がっていく。桐谷も追いかけた。不思議なことに、体が軽かった。まるで重力が半分になったように、階段を飛ぶように登れた。
屋上で男を追い詰めた。
「逃げられないぞ」
桐谷が言うと、男は振り返った。
「あんたも、同じだろう」
男の言葉が、胸に突き刺さった。
第三章:真実
その夜、桐谷は病院へ向かった。精密検査を受けるためだ。MRIの機械が、ゴォーンと低い音を立てた。
医師が検査結果を持ってきた。画面には、脳のスキャン画像が映っていた。
「桐谷さん、これを見てください」
医師の指が、画像の一部を指した。側頭葉の奥に、小さな金属片が光っていた。
「これは、AIチップです。おそらく、半年前に埋め込まれたものでしょう」
桐谷の手が震えた。冷や汗が背中を伝う。
「誰が、いつ」
声が裏返った。医師は首を横に振った。
「記録がありません。あなた自身にも、記憶がないはずです」
部屋の蛍光灯が、やけに眩しく感じられた。
第四章:記憶の断片
アパートに戻った桐谷は、古いファイルを引っ張り出した。半年前の事件記録だ。ページをめくる手が止まらない。
そこに、自分が撃たれた記録があった。犯人との銃撃戦で、頭部に重傷を負っていた。病院に三週間入院したと書いてある。
でも、その記憶がない。まったく、思い出せない。
携帯が鳴った。美咲からだった。
「桐谷さん、大変です。あなたの手術記録が見つかりました」
電話口から、美咲の息遣いが聞こえた。
「手術したのは、違法AI医師です。警察の追っていた組織と繋がっています」
窓の外で、救急車のサイレンが遠ざかっていった。
第五章:選択
翌日、桐谷は決断を迫られた。チップを除去するか、そのままにするか。
除去すれば、今の能力は失われる。でも、人間に戻れる。残せば、この異常な力を使い続けられる。でも、自分が自分でなくなるかもしれない。
署長室で、上司が言った。
「君の判断に任せる。ただし、チップを残すなら、現場から離れてもらう」
窓から差し込む光が、机の上で揺れていた。
桐谷は美咲を呼び出した。屋上の、いつもの場所だ。風が強く吹いていた。
「俺、チップを残すことにした」
美咲は驚いた顔をした。
「どうしてですか」
桐谷は空を見上げた。雲が速く流れている。
「この力があれば、もっと多くの人を救える。AIと人間の境界線を、俺が示せるかもしれない」
美咲は黙って頷いた。
終章:新しい道
一ヶ月後、桐谷は特別捜査官として復帰した。AI犯罪専門の、新しい部署だ。
取調室で、また容疑者と向き合う。男は桐谷を見て、何かに気づいたようだった。
「あんた、仲間か」
桐谷は首を横に振った。
「違う。俺は人間だ。ただ、少しだけ機械の力を借りているだけだ」
男は不思議そうな顔をした。
「それで、人間でいられるのか」
桐谷は窓の外を見た。夕日が、ビルの谷間に沈んでいく。
「わからない。でも、それを確かめるために生きていく」
心臓の鼓動が、確かに胸の中で響いていた。それは、機械では作れない、生きている証だと桐谷は信じた。
雨が、また降り始めた。窓を叩く音が、優しく聞こえた。


