
第I部 地理的キャンバス:位置、地形、地質
大分県の物語が繰り広げられる物理的な舞台、すなわちその景観を定義する地質学的な力と地形的特徴を詳述することから、本報告書は始まる。
1.1. 位置と行政的景観
地理的位置と境界
大分県は、日本の主要な島のひとつである九州の北東部に位置する 1。北は周防灘を隔てて福岡県に、西は阿蘇火山の東斜面を境として熊本県に、南は祖母傾連山を介して宮崎県にそれぞれ隣接している 1。東は豊後水道に面し、四国の愛媛県と対峙する 1。この豊後水道が最も狭まる豊予海峡では、大分県佐賀関半島の関崎と愛媛県佐田岬との間の距離が約14kmにまで接近する 2。県の総面積は6,341
km2で、東西約119km、南北約106kmの広がりを持つ.1
行政区分
大分県は14市、3町、1村から構成されている 3。主要な人口集積地は、県庁所在地である大分市を筆頭に、別府市、中津市、佐伯市、日田市が続く 5。2000年代半ばには、いわゆる「平成の大合併」により、多くの小規模な町村が統合され、現在の市制の枠組みが形成された経緯がある 7。この行政区画の再編は、地域の行政サービスや経済圏に大きな影響を与えた。
表1:大分県の行政区分と人口動態
| 市町村名 | ふりがな | 人口(人) | 面積 (km2) |
| 大分市 | おおいたし | 475,614 | 502.39 |
| 別府市 | べっぷし | 115,321 | 125.34 |
| 中津市 | なかつし | 82,863 | 491.53 |
| 佐伯市 | さいきし | 66,851 | 903.14 |
| 日田市 | ひたし | 62,657 | 666.03 |
| 宇佐市 | うさし | 52,771 | 439.05 |
| 臼杵市 | うすきし | 36,158 | 291.20 |
| 豊後大野市 | ぶんごおおのし | 33,695 | 603.14 |
| 由布市 | ゆふし | 32,772 | 319.32 |
| 杵築市 | きつきし | 27,999 | 280.08 |
| 国東市 | くにさきし | 26,232 | 318.10 |
| 豊後高田市 | ぶんごたかだし | 22,112 | 206.24 |
| 竹田市 | たけたし | 20,332 | 477.53 |
| 津久見市 | つくみし | 16,100 | 79.48 |
| 日出町 | ひじまち | 27,723 | 73.32 |
| 玖珠町 | くすまち | 14,386 | 286.51 |
| 九重町 | ここのえまち | 8,541 | 271.37 |
| 姫島村 | ひめしまむら | 1,725 | 6.99 |
出典: 人口は5、面積は4に基づく(人口は2024年3月またはそれに近い時点、面積は2021年1月時点のデータ)。日出町の人口は速見郡日出町として記載。
この表は、大分市への著しい人口集中と、広大な面積を有しながら人口が比較的少ない他の地域との対比を明確に示している。この人口分布の偏りは、後の章で論じる都市機能の集中と地方の課題を理解する上で基本的な前提となる。
1.2. 構造線が刻む大地:地形と地質構造
大分県の地形は、山地が県土の大部分を占め、森林面積が総面積の71%に達するという特徴を持つ 9。平野部は、河川流域や沿岸部に限定的に分布している 8。この地形の根幹をなすのが、県土を北東から南西方向に貫く複数の巨大な構造線(断層帯)の存在である。
特に重要なのが、臼杵市から熊本県の八代市までを結ぶ「臼杵-八代構造線」であり、これは県内の地質と地形を南北に明確に分断する境界線として機能している 9。
- 臼杵-八代構造線以北(西南日本内帯): この地域は「領家帯」と呼ばれ、花崗岩類や変成岩を特徴とする 9。県中部に位置する佐賀関半島は、この内帯に属する三波川変成帯から構成されており、特異な地質構造を示している 11。
- 臼杵-八代構造線以南(西南日本外帯): この地域は、より古い時代の地層からなる「秩父帯」と「四万十帯」で形成されている 9。特に四万十帯は、中生代白亜紀から古第三紀にかけて海洋プレートの沈み込みによって形成された付加体であり、県の南部に見られる険しいリアス式海岸の基盤となっている 13。
県内の山系は、南北に走る霧島火山帯に沿って、北西部に英彦山山系、南西部に祖母傾山系が連なる形で配置されており、起伏に富んだ地形を形成している 9。
大分県の地形全体は、単なる山や平野の集合体ではなく、プレートテクトニクスという地球規模の営みが直接的に作り出した産物である。フィリピン海プレートの沈み込みという一つの地質学的プロセスが、臼杵-八代構造線のような巨大な断層帯を生み出し、その両側で異なる地質帯を形成した。この構造運動が山地を隆起させ、同時に火山活動を活発化させた。そして、隆起した山地が沈水することで、南部特有のリアス式海岸が形成された。このように、大分県の山、火山、海岸線は、すべてが構造線の活動という根本原因に結びついた、相互に関連する地形群なのである。
1.3. 火山の心臓部:九重、由布・鶴見、そして火山島
大分県は、日本有数の火山地帯であり、気象庁が常時観測対象とする活火山が3つ存在する。これらは、九重連山、鶴見岳・伽藍岳、そして由布岳である 15。
- 九重連山(くじゅうれんざん): 阿蘇火山の東に位置し、大小20以上の火山体からなる複雑な火山群である 17。その主峰である中岳(標高1,791m)は、九州本土における最高峰として知られる 8。九重連山は現在も地質学的に活発であり、星生山(ほっしょうざん)では噴気活動が続き、1995年には噴火も記録されている 17。この強力な火山活動は、後述する地熱発電の膨大なエネルギー源となっている 18。
- 鶴見岳(つるみだけ)・伽藍岳(がらんだけ): 別府市街地の背後にそびえるこれらの火山は、日本一の湧出量を誇る別府温泉の熱源である 20。867年の噴火をはじめ、歴史的な活動記録も残っており、現在も噴気活動が観測されている活火山である 20。
- 姫島(ひめしま): 周防灘に浮かぶ姫島は、7つの小さな火山体からなる特異な火山島である 21。特に、国指定の天然記念物である観音崎の黒曜石の断崖は、先史時代において西日本一帯の石器の原材料供給地として極めて重要な役割を果たした、地質学的にも考古学的にも価値の高い場所である 21。
これらの火山活動は、大分県の地理的アイデンティティを形成する上で、二重の役割を担っている。一方で、温泉や地熱エネルギーという、観光業やエネルギー産業の根幹をなす計り知れない「恵み」をもたらしている。別府や由布院の温泉郷、九重の地熱発電所は、この火山活動なくしては存在し得ない 19。しかし、その一方で、これらの火山は噴火という潜在的な「脅威」を内包する活火山でもある 15。同様に、構造線によって複雑に断裂した急峻な山地は、美しい景観を提供する一方で、豪雨時には地すべりの危険性が高い地域ともなっている 10。このように、大分県の地理は、資源という恵みと災害というリスクが表裏一体となった、地質活動のダイナミズムそのものを体現している。
1.4. 三つの顔を持つ海岸線:周防灘から豊後水道へ
大分県の海岸線は、北部、中部、南部で全く異なる様相を呈しており、その多様性は全国的にも際立っている 9。
- 北部海岸(周防灘沿岸): 遠浅の海が広がり、比較的単調な砂浜海岸が続く 14。山国川や駅館川の堆積作用によって形成された中津平野や宇佐平野がこの地域に広がる 23。火山島である姫島もこの海域に位置する 21。
- 中部海岸(別府湾): 国東半島と佐賀関半島に抱かれた広大な湾である 24。海岸線は比較的滑らかで、糸ヶ浜などの海水浴場が点在する一方、大分市や別府市の港湾・臨海工業地帯が集中する 24。湾の地形は湾奥が深く、沖合に向かって浅くなるという特徴を持ち、その海底堆積物には人類の活動が地球環境に与えた影響(人新世)の記録が残されているとして、科学的な注目を集めている 24。
- 南部海岸(日豊海岸): 佐賀関半島以南の海岸線は、典型的なリアス式海岸へとその姿を劇的に変える 13。鶴見半島や四浦半島などの半島群、臼杵湾や佐伯湾などの湾、そして数多くの島々が複雑に入り組むこの景観は、日豊海岸国定公園に指定されている 25。この地形は、前述の四万十帯の山地が沈水することによって形成されたものであり、天然の良港を数多く生み出す一方で、陸上交通の大きな障壁ともなっている 13。
1.5. 大地の動脈:主要水系と平野
県内の主要河川は、中央部の山岳地帯に源を発し、海へと注ぐ過程で貴重な平野を形成している。大分川、大野川、山国川、番匠川などがその代表である 10。また、県西部の山地からは、九州最大の河川である筑後川の上流部(玖珠川、大山川)が発し、西の福岡県へと流れていく 10。
これらの河川の流域には、県内の主要な平野が形成されている。山国川流域の中津平野、駅館川流域の宇佐平野、大分川・大野川下流の大分平野、そして番匠川流域の佐伯平野は、県内の人口集積地であり、農業の中心地でもある 8。
さらに内陸部には、日田、玖珠、由布院、竹田といった盆地が点在する。これらは、火山活動による火砕流などの堆積と、その後の河川による侵食作用という、火山と水の相互作用によって形成された地形である 8。
第II部 気候のモザイク
大分県の気候は、その複雑な地形と海洋環境を反映し、県内で著しい多様性を示す。単一の気候区に分類することはできず、瀬戸内海式気候から太平洋側気候への遷移帯に位置し、内陸山岳気候の要素も色濃く併せ持つ 1。
2.1. 大分県の気候区分の概要
研究や行政目的により、いくつかの気候区分が存在する。例えば、4区分(瀬戸内型I、瀬戸内型II、南海型、九州山地型)とする考え方 8 や、5区分(内海型、準日本海型、南海型、山地型、内陸型)とする考え方 1 がある。本報告書では、これらの分類を統合し、地理的特徴と気候特性の関連が明確になるよう、「北部・中部(瀬戸内影響型)」、「南部(南海・太平洋影響型)」、「西部(山地・内陸影響型)」の3つの広域区分に基づいて分析する。
この気候の多様性は、単に緯度だけで決まるものではない。むしろ、県内にそびえる山々が、気候を積極的に形成する「エンジン」として機能している。県西部の九重連山や南部の祖母傾山系といった山地が、季節風や湿った気流を遮ったり、強制的に上昇させたりすることで、降水量や日照時間、気温に地域的な偏差を生み出しているのである。例えば、南部や西部の多雨は、太平洋からの湿った空気が山地にぶつかり、強制的に上昇させられることによってもたらされる地形性降雨が大きな要因である 30。また、後述する北部と中部の冬の天候の違いは、山地による風の遮蔽効果によって説明できる 31。さらに、日田盆地などで見られる名物の霧も、盆地という地形に冷気が滞留することで発生する現象であり 8、大分県の気候図は、まさにその地形図の「影」と言えるほど、両者は密接に連関している。
2.2. 地域別気候分析
北部・中部地域(瀬戸内影響型)
- 該当地域: 中津市、宇佐市、国東半島、別府市、大分市など 8。
- 全体的特徴: 県内の他地域と比較して、温暖で降水量が少ない。年間降水量は1,800mm以下、特に沿岸部では1,500~1,600mm程度の地域もある 1。
- 地域内差異: この地域内でも、北部と中部では冬の天候に顕著な違いが見られる。
- 北部(中津・国東): 「準日本海型」または「瀬戸内型I」に分類される。冬は関門海峡を抜けてくる北西の季節風の影響を受けやすく、曇天の日が多い。このため、日照時間は中部や南部に比べて2~3割少なく、時折積雪も見られる 1。
- 中部(大分・別府): 「内海型」または「瀬戸内型II」に分類される。冬の季節風に対して西部の山地が障壁となるため、北部に比べて天候が良く、年間を通じて日照時間が最も多い地域となっている 1。
南部地域(南海・太平洋影響型)
- 該当地域: 臼杵市、津久見市、佐伯市など 9。
- 全体的特徴: 県内で最も温暖多雨な地域である 1。黒潮の影響を受け、冬は晴れて乾燥した日が多く、夏は台風の接近などにより大雨に見舞われやすいという、太平洋側気候の典型的な特徴を示す 1。年平均気温は16~17℃と高く、年間降水量は2,000mmを超え、山岳部では3,000mmに達することもある 1。
西部地域(山地・内陸影響型)
- 該当地域: 日田市、玖珠町、九重町、竹田市など 8。
- 全体的特徴: 海からの影響が少ない内陸性気候で、気温の日較差・年較差が大きい。夏は猛暑日が多く、雷雨も頻発する 8。降水量は多く、年間1,800mm以上、九重連山などの山岳地帯では2,500~3,000mmを超える多雨地帯となっている 9。冬は寒さが厳しく、季節風の影響で降水日数も多く、頻繁に積雪が観測される 8。また、日田盆地や由布院盆地では、秋から初冬にかけて放射冷却によって発生する「底霧」が有名であり、これは盆地特有の気象現象である 8。
表2:大分県の地域別気候特性
| 気候区分 | 主要市町村 | 年平均気温 | 年間降水量 | 主な気候的特徴 |
| 北部・中部 | 中津市、宇佐市、国東市、別府市、大分市 | 15~16℃ | 1,500~1,800mm | 北部は冬季に曇天が多い。中部は年間通して日照時間が多い。比較的温暖少雨。 |
| 南部 | 臼杵市、津久見市、佐伯市 | 16~17℃ | 2,000mm以上 | 最も温暖多雨。冬は晴天が多く、夏は台風等による大雨。 |
| 西部 | 日田市、九重町、竹田市 | 12~15℃ | 1,800~3,000mm | 内陸性で寒暖差大。夏は雷雨、冬は積雪。盆地では秋~冬に霧が発生。 |
出典: 1のデータを基に統合・要約。気温・降水量は地域内の平均的な値を示す。
第III部 人間の刻印:地理、経済、社会基盤の相互作用
本章では、第I部および第II部で詳述した物理的地理が、大分県の特異な経済的強み、居住パターン、そして社会基盤の構造をいかにして形成してきたかを分析する。
3.1. 地理的配当:大分県の天然資源集約型産業
大分県の経済的強みの多くは、その特異な地理的条件から直接的に生み出された「地理的配当」と言うべきものである。これらの産業は、他地域では模倣不可能な、特定の場所に根差した資源に依存している。
3.1.1. 地熱の恵み:温泉と地熱発電
- 比類なき温泉大国: 大分県は、源泉総数(5,086孔)、総湧出量(毎分291,121リットル)ともに全国第1位を誇り、文字通り「日本一のおんせん県」である 22。この数値は2位の鹿児島県を大きく引き離しており、その優位性は圧倒的である 34。
- 地質との直結: この温泉資源の豊富さは、第I部で述べた九重連山や鶴見岳・伽藍岳といった活発な火山活動の直接的な産物である。温泉地として名高い別府市、由布市、九重町は、まさしくこれらの火山体の直上または隣接地に位置している 22。
- 地熱発電の拠点: 同じ地熱エネルギーを利用して、大分県は地熱発電においても日本のトップランナーとなっている。県内の発電量は全国の総設備容量の約4割を占める 19。特に九重町にある九州電力八丁原発電所は、認可出力11万kWを誇る日本最大の地熱発電所である 19。この地熱発電の貢献により、大分県の再生可能エネルギー自給率は全国第1位となっている 38。
表3:大分県の地熱エネルギーと温泉資源における国内での卓越性
| 項目 | 大分県の数値 | 全国順位 | 全国シェア / 2位との比較 |
| 温泉源泉総数 | 5,086 孔 | 第1位 | 全国の約16%。2位の鹿児島県(2,753孔)の約1.8倍 34。 |
| 温泉総湧出量 | 291,121 L/分 | 第1位 | 2位の北海道(185,559 L/分)の約1.6倍 34。 |
| 地熱発電設備容量 | 11万kW以上(八丁原発電所単体で11万kW) | 第1位 | 全国の約4割を占める 19。 |
出典: 19のデータを基に作成。数値は報告時点により若干の変動がある。
3.1.2. 森と畑の恵み:乾しいたけとカボス
- 乾しいたけ: 大分県は乾しいたけの生産量・品質ともに日本一を誇る 41。この成功は、地理的条件に深く根差している。
- クヌギの優位性: 成功の鍵は、高品質なしいたけを育む「原木栽培」に最適なクヌギ林が、日本で最も広大に存在することである 42。菌床栽培に比べて風味豊かなしいたけが育つこの原木が豊富なのは、県の7割を占める山がちな地形と、明治時代以降続けられてきた計画的な植林の賜物である 42。
- 歴史的背景: しいたけ栽培は、江戸時代に現在の竹田市周辺で藩の事業として始まったとされ、その技術と産業は地域に深く根付いている 44。
- カボス: 大分県は、県を代表する香酸柑橘であるカボスの全国生産量の9割以上を占める独占的な産地である 45。
- 地理的表示(GI)保護制度: 「大分かぼす」は、その品質が産地の特性に由来することを国が認めるGI産品として登録されている 46。その成功は、地域の気候風土に加え、1960年代から県や農業団体が一体となって推進してきた品質基準(果汁歩合20%以上など)の厳格化と、貯蔵技術の開発による周年供給体制の確立にある 46。
3.1.3. 豊後水道の至宝:「関もの」ブランドとリアス式漁業
- 関あじ・関さば: これらは魚の品種名ではなく、豊予海峡(速吸の瀬戸)で一本釣りされ、佐賀関の港で水揚げされたマアジとマサバにのみ与えられる最高級ブランド名である 48。
- 豊後水道の役割: その並外れた品質(引き締まった身質と上品な脂のり)は、豊後水道の特異な海域環境が生み出す。瀬戸内海と太平洋の潮流が激しくぶつかり合う速い流れが、魚をたくましく鍛え上げる 48。また、この海域はプランクトンが豊富で餌に恵まれている上、年間を通じて水温が安定していることも、一年中高品質な魚が獲れる要因となっている 49。
- 人の技術: ブランド価値は、漁師や漁協による徹底した品質管理によって支えられている。魚体を傷つけない「一本釣り」漁法、釣った直後の「活け締め」や「神経抜き」による鮮度保持技術、そして厳格な規格選別といった、一連の丁寧な取り扱いが、「関もの」の価値を不動のものにしている 48。
- リアス式海岸の養殖業: 県南部のリアス式海岸がもたらす穏やかな内湾は、養殖業にとって理想的な環境を提供する。これにより、ハマチなどの魚類養殖が盛んに行われている 53。特に、特産のカボスを餌に加えた「かぼすブリ」や「かぼすヒラメ」は、県の二大特産品を融合させたユニークな産品として注目されている 53。
大分県の主要産業を分析すると、その成功が極めて特定の、移動不可能な地理的特徴に深く依存していることがわかる。温泉・地熱は火山活動、関あじ・関さばは豊後水道の海流、乾しいたけはクヌギ林という、いずれもその場所以外では再現不可能な資源である。これは、他県にはない強力なブランド力と経済的優位性をもたらす源泉となっている。しかし同時に、県の経済がこれらの地理的に固定された少数の資産に大きく依存しているという構造的な脆弱性も示唆している。気候変動による生態系の変化や、地質活動の変動といった外部要因が、県の経済全体に大きな影響を及ぼすリスクを内包しているのである。
3.2. 連結性の課題:山と海に隔てられた交通網
大分県の交通網は、その山がちで複雑な海岸線を持つ地理的制約との闘いの歴史でもある。
- 道路網:
- 幹線道路: 県の交通の背骨をなすのは、沿岸部を南北に走る東九州自動車道と、県を東西に横断し福岡方面と結ぶ大分自動車道である 54。
- ラストマイル問題: 主要都市から高速道路へのアクセスは比較的整備されているものの 54、険しい地形が地域内の道路網整備に大きな課題を投げかけている。
- リアス式海岸の道路: 特に南部のリアス式海岸沿いの道路は、急峻な半島を迂回したり、峠を越えたりする必要があるため、道幅が狭く、カーブの多いルートとなりがちである 26。これにより、湾ごとに点在する集落は孤立しがちで、移動に長時間を要する 26。
- 山間部の道路: 西部の山間地では、道路は急勾配で、冬期には積雪や路面凍結による通行規制やチェーン規制が頻繁に発生する 57。
- 公共交通:
- 鉄道網: 鉄道路線は、主に沿岸部(日豊本線)と主要な河川沿い(久大本線、豊肥本線)に敷設されている 57。国東半島全域や南部沿岸地域の大部分など、鉄道の通っていない広大な地域が存在する。
- 路線バスの限界: 路線バスは存在するものの、特に中山間地域では、利用者数の減少、運転手不足、高齢化、そして採算性の悪化という深刻な問題に直面している 59。これにより、自家用車を運転できない高齢者などを中心に、「交通弱者」が生まれる土壌となっている 59。
- 空港アクセス: 大分県の空の玄関口である大分空港は、国東半島に位置し、県都・大分市や主要観光地・別府市から物理的に離れている。アクセスは道路交通(バス、自家用車)にほぼ限定され、鉄道が直結していないことが長年の課題であった 59。この地理的障壁を克服するため、大分市中心部との所要時間を約30分に短縮するホバークラフト航路が復活したことは、象徴的なインフラ投資と言える 56。
ここには、大分県が抱える根本的なパラドックスが存在する。観光の最大の魅力である九重連山の雄大な自然、由布院盆地の風情、南部リアス式海岸の絶景といった起伏に富んだ地理そのものが、観光客の周遊や地域住民の生活を支える交通の最大の障害となっているのである。このため、観光客がアクセスしやすい別府や由布院に集中し、佐伯や国東といった他の魅力的な地域に経済効果が及びにくい「素通り観光」という問題も指摘されている 59。また、住民の生活は自家用車への依存度を極めて高くしており、これは高齢化が進む中山間地域において深刻な課題であると同時に 57、クリーンな地熱エネルギーのリーダーという県のイメージとの間に矛盾を生じさせている。この「魅力的な地理」と「交通の利便性」との間の緊張関係は、大分県の持続的な発展における永遠のテーマである。
結論:大分県の地理的アイデンティティの総合的考察
本報告書で分析したように、大分県の地理的アイデンティティは、火山活動と海洋環境という二つの強力な地理的要因によって形成された、一連の「二元性」の物語として理解することができる。
第一に、**「資源と災害の二元性」**である。フィリピン海プレートの沈み込みに起因する活発な地質活動は、日本一の温泉と地熱エネルギーという比類なき恵みを県にもたらした。これは観光とエネルギー産業の基盤であり、県のアイデンティティの中核をなす。しかし、その源泉である活火山と構造線は、噴火や地すべりといった潜在的な自然災害のリスクと常に隣り合わせであり、恵みと脅威は表裏一体の関係にある。
第二に、**「孤立と連結の二元性」**である。東に豊後水道、北に周防灘を臨む地理的配置は、古くから瀬戸内海航路を通じて他地域との交流を可能にした。特に豊後水道は、関あじ・関さばに代表される豊かな水産資源の源泉となっている。一方で、県内部に目を向けると、九重連山や祖母傾山系、そして南部のリアス式海岸といった険しい地形が、地域間の交通を妨げ、文化や経済圏の分断を生んできた。ホバークラフトの再導入は、この内なる孤立を克服しようとする現代的な試みの象徴である。
第三に、**「魅力と障壁の二元性」**である。観光客を惹きつけてやまない雄大な山岳景観や複雑で美しい海岸線は、まさにその険しさゆえに、広域的な周遊を困難にし、交通インフラの整備を阻む最大の障壁となっている。このパラドックスは、観光振興と住民の生活の質向上の両立を目指す上で、県が恒久的に向き合わなければならない課題である。
結論として、大分県の地理は、単なる物理的な土地の形状や気候の記述に留まらない。それは、火山と海という根源的な力によって与えられた、世界レベルの資源という「配当」と、連結性や安全性に関する永続的な「課題」が複雑に絡み合った、動的なシステムである。カボスや乾しいたけといった特産品から、交通網の形状、さらには人々の生活様式に至るまで、大分県の過去、現在、そして未来は、その特異なランドスケープの中に深く刻み込まれているのである。
引用文献
- 第1章 大分県の概要, https://www.pref.oita.jp/uploaded/life/2174063_3579074_misc.pdf
- 豊後水道 – Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%BE%8C%E6%B0%B4%E9%81%93
- 市町村の姿 – 大分県, https://www.machimura.maff.go.jp/machi/map/44/index.html
- 大分県の市町村 – 大分県ホームページ, https://www.pref.oita.jp/site/kids/sichoson.html
- 大分県|総人口が多い街ランキング – スタディサプリ進路, https://shingakunet.com/area/ranking_town-total-population/oita/
- 大分県の市町村別 人口一覧 – ホームメイト, https://www.homemate.co.jp/research/population/pr-oita/
- 都道府県別市町村変更情報:大分県 – 国土地理協会, https://www.kokudo.or.jp/marge/tdfk.php?tdfk_cd=44
- 大分県 – Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C
- 九州整備局 地勢・地質・気候(大分県), https://www.green.go.jp/seibi/kyushu/chisei_chishitsu_kiko/oita/oita.html
- 大分県, https://www.jasdim.or.jp/gijutsu/kenbetsu/chiiki/o-ita/o-ita.htm
- 大分県の地質と地形, https://www.pref.oita.jp/10550/reddata/data/chikei.pdf
- 「大分地区」 – 国土地理院, https://www1.gsi.go.jp/geowww/landcondition/report/D001-temp-006u.pdf
- 日本の地形千景 大分県:鶴御崎(リアス海岸) – 地質情報ポータルサイト, https://www.web-gis.jp/GM1000/LandMap/LandMap_19_018.html
- www.green.go.jp, https://www.green.go.jp/seibi/kyushu/chisei_chishitsu_kiko/oita/oita.html#:~:text=%E5%9C%B0%E5%BD%A2%E3%81%AF%E3%80%81%E5%8D%97%E5%8C%97%E3%81%AB%E9%9C%A7%E5%B3%B6,%E5%AF%8C%E3%82%80%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%92%B0%E5%A2%83%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82
- 活火山の登山や観光を行う方へ – 大分県ホームページ, https://www.pref.oita.jp/soshiki/13550/volcano-mountaineering-sightseeing.html
- 九州の活火山 – 気象庁, https://www.data.jma.go.jp/vois/data/fukuoka/volcanofk.html
- 日本の地形千景 大分県:九重火山(くじゅう連山)の火山地形 – 地質情報ポータルサイト, https://www.web-gis.jp/GM1000/SelfSelect/Self-Select_442.html
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