-AI(Gemini Pro)活用による報告書作成支援の導入は如何にして決定されたか-
1. 背景・問題認識
若葉警察署(架空の警察署)は、管内人口の増加と繁華街の拡大により、110番通報件数が増加し、地域課警察官の業務負担が深刻化していた。特に、日々のパトロールや事案対応後に作成が義務付けられている各種報告書(パトロール実施結果報告書、事案対応記録など)に多くの時間が割かれ、以下の問題が顕在化していた。
- 長時間労働の常態化と若手の疲弊: 報告書作成に1件あたり平均60分以上を要し、時間外勤務の大きな要因となっていた。特に経験の浅い若手警察官にとっては大きな負担であり、士気の低下も懸念されていた。
- コア業務への圧迫: 報告書作成に時間を取られることで、パトロール活動、地域住民とのコミュニケーション、防犯指導、自己研鑽といった本来注力すべき業務の時間が削られていた。
- 報告書の質のばらつき: 作成者によって表現や詳細度に差があり、上司による確認・修正作業にも時間を要していた。
若葉警察署の署長は、これらの課題を解決し、限られた人員で地域警察活動の質を維持・向上させるための抜本的な対策を講じる必要性を強く認識していた。署長は、地域課長である中村警部に対し、具体的な業務効率化策の検討と提案を指示した。
2. 仮の評価基準の設定(一次基準)
中村警部を中心とする検討チーム(地域課係長、若手代表、警務課担当者で構成)は、まず以下の仮の評価基準(一次基準)を設定し、効率化策の方向性を探り始めた。
- 即効性: 短期間で効果が現れること。
- コスト(予算内): 今年度の署の運営予算内で対応可能であること。
- 現場受容性: 現場の警察官が受け入れやすく、大きな混乱なく導入できること。
- 法令遵守・セキュリティ: 警察業務としての法令遵守、情報セキュリティが確保されること。
この時点では、「現状の負担を早急に何とかしたい」「予算も限られている」といった、目の前の課題解決と実現可能性に重きが置かれていた。
3. 情報収集・分析
検討チームは、一次基準に基づき、具体的な効率化策のアイデアを出すため、以下の情報収集・分析を行った。
- 署内ヒアリング: 地域課の警察官(特に若手と中堅)に対し、報告書作成業務の具体的な課題や時間、効率化への要望について詳細なヒアリングを実施。「音声入力で下書きができれば楽になる」「過去の類似事案の報告書を探すのが大変」といった声が上がった。
- 他警察署の事例調査: 近隣の警察署や、業務効率化に先進的に取り組んでいるとされる他県警の事例を調査。一部でAIを活用した文字起こしやデータ分析の試行が始まっている情報を得るも、本格導入には至っていないケースが多いことも判明。
- 民間企業のITソリューション調査: 業務効率化に繋がる可能性のある民間のITツール(業務自動化ツールRPA、AI搭載の文章作成支援ソフト、高機能な音声認識ソフトなど)の情報を収集。特に、大規模言語モデル(LLM)の進化が著しく、文章生成や要約の能力が高いことを認識。
- 専門家(ITコンサルタント、大学教授)からの意見聴取: 県警本部を通じて、AI技術の専門家や業務改善コンサルタントに意見を求めた。「LLMは定型的な文章作成支援には有効だが、機密情報の取り扱いやハルシネーション(誤情報生成)リスクには十分な対策が必要」との助言を得た。
- リスク分析: 各種ソリューション導入時の情報セキュリティリスク、運用上のリスク(誤情報の拡散、職員のスキル依存など)を洗い出し。
分析結果の要点:
- 報告書作成業務が、多くの警察官にとって大きな時間的・精神的負担となっていることが再確認された。
- 単純な人員増は現状では困難であり、テクノロジー活用が有効な選択肢の一つとなりうることが示唆された。
- AI(特にLLM)は大きな可能性を秘めている一方で、警察業務という特殊性を踏まえた慎重なリスク管理が不可欠であることが明確になった。特に、情報の正確性と機密保持が最大の懸念事項として浮上した。
4. 評価基準の再調整(二次基準)
情報収集・分析の結果、一次基準だけでは、特にAIのような新しい技術の導入可否を判断するには不十分であり、より多角的かつ長期的な視点が必要であるとの認識に至った。そこで、検討チームは評価基準を以下のように再調整(二次基準を設定)した。
- 業務効率化の度合い(時間短縮効果): 具体的にどの程度の時間削減が見込めるか。
- 報告書の質の向上: 正確性、網羅性、標準化への貢献度。
- コスト(初期導入・運用): 予算内であることに加え、費用対効果。
- 情報セキュリティと法令遵守: (最重要) 機密情報・個人情報保護の徹底、警察業務の特殊性への適合。
- 倫理的配慮と社会的受容性: AI利用に伴う偏見や差別の排除、市民からの信頼性。
- 職員の負担軽減と受容性: 現場の抵抗感が少なく、実際に負担が軽減されるか。操作の習熟容易性。
- 持続可能性と発展性: 長期的に運用可能か、将来的な機能拡張や他業務への応用が見込めるか。
- 副次的効果: 職員のITリテラシー向上、データ活用の促進など。
この二次基準では、「即効性」だけでなく「持続可能性」、単なる「コスト」だけでなく「費用対効果」や「質の向上」といった側面が強化され、特に「情報セキュリティと法令遵守」「倫理的配慮」が警察業務におけるAI利用の可否を判断する上で極めて重要な要素として位置づけられた。
5. 選択肢の創出
再調整された二次基準を踏まえ、検討チームは具体的な効率化策として以下の選択肢を創出し、比較検討の対象とした。
- 選択肢A:現状維持(人員のやり繰りと精神論での対応)
- 内容:既存の人員配置の工夫や、職員の意識改革、時間管理術の研修などで対応。
- 選択肢B:報告書作成専任補助員の配置(外部委託または臨時職員雇用)
- 内容:警察官が記録したメモや音声データに基づき、報告書の下書きを作成する補助員を配置。
- 選択肢C:既存業務システムの改修(入力フォーム改善、テンプレート機能強化など)
- 内容:現在署内で利用している記録システムに、より効率的な入力インターフェースや定型文挿入機能を追加改修。
- 選択肢D:RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の導入
- 内容:定型的なデータ入力や転記作業を自動化するRPAツールを導入。
- 選択肢E:AI(Gemini Pro等LLM)を活用した報告書作成支援ツールの試験導入
- 内容:警察官が入力したキーワードや音声メモから、AIが報告書のドラフトを生成。警察官はそれを確認・修正する。機密情報の取り扱いには最大限配慮する前提。
6. 選択肢の評価・比較
検討チームは、二次基準に基づき、各選択肢を評価・比較した(スコアリングシート等も活用)。
| 評価基準 | A:現状維持 | B:補助員配置 | C:システム改修 | D:RPA導入 | E:AI試験導入 |
| 業務効率化の度合い | 低 | 中 | 中 | 中 | 高 |
| 報告書の質の向上 | 低 | 中 | 中 | 低 | 高 |
| コスト | 低 | 高 | 中 | 中 | 中 |
| 情報セキュリティ・法令遵守 | 高 | 中 | 高 | 高 | 要注意 |
| 倫理的配慮・社会的受容性 | 高 | 高 | 高 | 高 | 要注意 |
| 職員の負担軽減・受容性 | 低 | 高 | 中 | 中 | 高 |
| 持続可能性・発展性 | 低 | 中 | 中 | 中 | 高 |
| 副次的効果 | 無 | 小 | 小 | 小 | 高 |
| 総合評価 (仮) | 不十分 | 一部有効 | 限定的 | 限定的 | 有望 |
評価のポイント:
- 選択肢A(現状維持): コストはかからないが、問題解決にはならず、最も評価が低かった。
- 選択肢B(補助員配置): 効率化効果や職員負担軽減は期待できるが、人件費が高く継続的な予算確保が課題。また、警察業務の機密情報を扱う人材の確保と管理も課題。
- 選択肢C(システム改修): 一定の効率化は見込めるが、抜本的な時間短縮には限界があり、改修コストと期間も要する。
- 選択肢D(RPA導入): 非常に定型的な繰り返し作業には有効だが、報告書作成のようなある程度の柔軟性が求められる業務への適用は限定的。
- 選択肢E(AI試験導入): 効率化の度合い、質の向上、発展性の面で最も高いポテンシャルを持つと評価された。一方で、「情報セキュリティ」と「倫理的配慮」については「要注意」であり、厳格な管理と試験導入による慎重な検証が不可欠であると判断された。コストは、クラウドサービスの利用であれば、大規模なシステム開発よりは抑えられる可能性があった。
検討チーム内では、特にAI導入のリスクについて多くの議論が交わされた。「本当に情報は守られるのか」「AIが間違った文章を生成したらどうするのか」「警察官がAIに頼りきりになってしまうのではないか」といった懸念が出された。しかし、「リスクを管理し、限定的な範囲で試してみる価値はあるのではないか」「このまま何もしなければ、現場は疲弊する一方だ」という意見も強く、潜在的なメリットの大きさが注目された。
7. 意思決定・選択
中村警部は、検討チームでの評価・比較結果と議論を踏まえ、署長に対し以下の結論と提案を上申した。
意思決定:
「AI(Gemini Pro等LLM)を活用した報告書作成支援ツールの試験導入(トライアル)を、厳格な情報セキュリティ管理及び倫理的配慮のもとで実施する」ことを決定する。
選択理由:
- 最も高い効率化ポテンシャル: 他の選択肢と比較して、報告書作成業務の大幅な時間短縮と質の向上が最も期待できる。
- 職員の負担軽減への直接的効果: 現場の警察官が最も負担を感じている業務に対し、直接的な支援を提供できる。
- 技術の発展性と将来性: AI技術は今後も進化が予想され、将来的には他の事務作業や情報分析への応用も期待できる。職員のITリテラシー向上にも繋がる。
- リスク管理による実現可能性: 情報セキュリティや倫理的懸念は存在するものの、入力情報を制限し、生成物を必ず人間が確認・修正する運用を徹底し、限定的なトライアルから始めることで、リスクを管理しながら導入を進めることは可能と判断。
- コストの許容範囲: 大規模なシステム開発と比較して、クラウドサービスベースのAIツールであれば、試験導入のコストは比較的抑制可能であり、費用対効果が見込める。
署長は、中村警部からの提案と、リスク管理を徹底する条件を付した上で、この試験導入を承認した。
8. 実行・フィードバック(トライアルの開始)
上記の意思決定に基づき、若葉警察署地域課では、Gemini Proを具体的なAIツール候補の一つとして、前回のケーススタディで記述したような「パトロール報告書作成業務効率化トライアル」が計画・実行されることになった。
トライアルでは、情報セキュリティガイドラインの策定、対象職員への研修、効果測定(時間短縮効果、報告書の質、職員の満足度など)、課題の洗い出しが慎重に進められた。
このトライアルの結果は、本格導入の可否や、他業務への展開を判断するための重要なフィードバックとなり、さらなる意思決定の材料となる。
このケーススタディのポイント
- 課題認識から多角的な検討へ: 単純な問題解決策だけでなく、情報収集と分析を通じて、新しい技術の可能性とリスクを多角的に評価しようとした点。
- 段階的な基準設定: 初期の問題意識(一次基準)から、より具体的で本質的な評価軸(二次基準)へと深めていくことで、より質の高い意思決定を目指した点。
- リスクとベネフィットの比較衡量: AI導入の大きなメリットと、警察業務特有の重大なリスクを天秤にかけ、リスク管理を前提とした「試験導入」という現実的な落としどころを見出した点。
- 現場の声と専門家の意見の統合: 内部のニーズと、外部の専門的知見をバランス良く取り入れようとした点。
- 「何もしない」リスクの考慮: 現状維持も一つの選択肢として評価し、変化を選択することの必要性を相対的に判断した点。



