贖宥(Indulgence)の制度と、翻訳語が生んだ誤解
「免罪符」という言葉は、日本語として強烈にわかりやすい。
そして、そのわかりやすさこそが問題である。
なぜなら「免罪符」と聞いた瞬間、多くの人が次のように理解してしまうからだ。
お金を払えば、罪が消える紙。
罪を犯しても、後から免除できる紙。
しかし、これはキリスト教(特にカトリック)の教義上、正確な説明とは言いにくい。
もちろん歴史的には、免罪符(と呼ばれたもの)が実質的に「罪を消す券」のように受け取られ、社会的に機能してしまった側面もある。だがそれでも、言葉として「免罪符」は、制度の中身を説明する訳語としてはズレが大きい。
本来この制度の核にある概念は、英語で言う indulgence(インダルジェンス)、日本語なら 贖宥(しょくゆう) である。
1. 贖宥とは「罪の赦し」ではない
まず最初に押さえるべきポイントは、贖宥が対象とするのは「罪」そのものではない、という点だ。
カトリックの伝統的理解では、罪には大きく分けて二つの側面がある。
- 罪そのもの(神との関係が壊れること)
- 罪の結果として残る罰・償い(秩序の回復、浄化の必要)
ここで、贖宥が関わるのは基本的に後者、つまり 「赦された後に残る罰(償い)」 の部分である。
もっと平たく言えばこうだ。
- 告解などを通じて罪は赦される(赦しの領域)
- しかし、赦されたとしても、その結果としての「償い」が残る
- 贖宥は、その償いを軽減・免除する
つまり贖宥は「無罪化」ではない。
「罪を消す」ではなく、「償いを軽くする」に近い。
この差は小さく見えるかもしれないが、実際には決定的である。
2. 「免罪」という二文字が作る致命的な誤解
では、なぜ「免罪符」という訳語が危険なのか。
答えは単純で、「免罪」という語が日本語として強く、罪そのものの免除を意味してしまうからだ。
「免罪符」という語感は、現代の感覚ではほぼこう読める。
- 罪を免除する
- 罪をなかったことにする
- 罪の責任から解放する
しかし、贖宥は原理的にそこまで踏み込まない。
少なくとも教義の建付けとしては、贖宥は「罪の赦し」ではなく「罰の軽減」である。
この時点で、訳語としての「免罪符」は、制度の焦点を外している。
3. 「贖宥」を漢字で分解すると、意味はむしろ明確になる
贖宥という言葉は難しそうに見えるが、漢字の意味を分解すると、むしろ精密である。
- 贖(あがなう):償う、代価を払って埋め合わせる
- 宥(ゆるす):大目に見る、寛大に扱う、処罰を軽くする
つまり贖宥は、文字通りこういう意味になる。
償い(贖)を、軽くしてもらう(宥)
この説明は、「免罪」よりもずっと制度の中身に近い。
贖宥は「罪を消す」ではなく、
「償いをどう扱うか(軽くするか)」の制度である。
4. それでも「免罪符」が定着した理由
ここで疑問が出る。
それほどズレているなら、なぜ「免罪符」という言葉が広まったのか。
確率の高い理由は三つある。
第一に、贖宥が難しすぎる。
一般語として普及するには、語が硬く、日常語から遠い。
第二に、歴史的な現場では、贖宥が「免罪」に近い効力を持つように誤解・乱用された。
贖宥状の販売が盛んになると、人々の理解はこうなりやすい。
紙を手に入れれば救われる
つまり罪の問題が解決する
教義の精密さよりも、現場の運用の荒さが印象を支配してしまった。
第三に、批判者側(宗教改革側)にとっても、「免罪符」という理解は攻撃しやすい。
「罪が金で消える」という構図は、倫理的に直感的な反発を呼ぶからだ。
こうして「免罪符」という言葉は、制度の正確さではなく、社会的なイメージの強さによって定着した。
5. 免罪符問題の本質は「翻訳の失敗」ではなく「制度の崩壊」でもある
ただし、ここで重要な補足がある。
「免罪符」という訳語が間違っているからといって、歴史上の問題が消えるわけではない。
むしろ、訳語が誤解を誘うほどに、当時の制度運用が歪んでいた可能性が高い。
つまりこういうことだ。
- 本来は「償いの軽減」の制度だった
- しかし運用の中で「罪が消える券」みたいに扱われた
- その結果、倫理的にも神学的にも破綻した
この意味で、免罪符問題は単なる言葉の問題ではなく、
**宗教制度が貨幣経済と結びついた時に起きた“制度の腐敗”**でもある。
だから、免罪符という言葉が不正確であることを認めつつ、
「なぜそんな誤解が成立したのか」を歴史として見る必要がある。
6. では、何と呼べばよいのか
結論として、学術的に精度を上げるなら次がよい。
- 贖宥(しょくゆう):概念そのもの
- 贖宥状(しょくゆうじょう):文書としての実物
- 贖宥証書:より説明的な言い方
そして「免罪符」は、次の位置づけに留めるのが妥当だ。
通俗的な呼び名(俗称)
ただし誤解を強く誘うので、説明なしに使うべきではない
7. まとめ:「免罪符」という語が一瞬で壊してしまうもの
贖宥という制度は、少なくとも理屈の上では、
- 罪の赦し
- 赦された後の償い
- 人間の悔い改め
- 教会の権威
- 救いの秩序
といった複雑な構造の上に立っている。
しかし「免罪符」という二文字は、それらを一瞬で単純化してしまう。
金で罪が消える紙
この理解は、怒りや嘲笑を生むには十分だが、正確さを犠牲にする。
だからこそ、免罪符という語を使うなら、必ずこう言い直す必要がある。
免罪符ではない。贖宥状である。
罪の赦しではない。償いの軽減である。
この言い換えだけで、歴史の見え方が変わる。
そして、宗教改革の議論も、単なる「カネの腐敗」ではなく、
「制度と救済の構造がどう壊れたか」という問題として立ち上がってくる。
言葉は、理解を運ぶ道具である。
だからこそ、言葉がズレていると、理解は最初から別の場所へ運ばれてしまう。
「免罪符」という訳語は、その典型例だ。



