人間は「生き延びる確率が上がる選択」をデフォルトで好むように設計されており、そのOSの上に「高い=良い/低い=悪い」という価値フレームが乗っている──これを意識化すると、自分の判断軸をかなりクリアに点検できる。
「点数は高い方がいい」「評価が高い会社」「成長率が高い市場」。
私たちは、当たり前のように「高い=良い」という言葉を使っています。
逆に「売上が落ちた」「モチベーションが下がった」と聞けば、それだけで悪いニュースのように感じます。
しかし、立ち止まって考えると、これは奇妙です。
- 失業率が高いのは悪いこと
- 事故率が高いのも悪いこと
- ストレスレベルが高いのも望ましくない
「高い=良い」どころか、そのまま「高い=悪い」になっている指標もたくさんある。
つまり本当は、
「高い/低い」はただの量のラベルにすぎない
良いか悪いかは、別の次元の問題
のはずです。
それなのに、私たちの頭の中では、なぜか「高い=良い/低い=悪い」がデフォルト設定として動いている。
この裏側にあるOSが、ここで言う「人間の生存公理」です。
人間のOSに埋め込まれた「生存公理」
生存公理を、あえて一文で言い切るならこうなります。
その他の条件が同じなら、人間は
自分の生存・安全の確率が高い状態を、
低い状態より望ましいと感じる。
これは「いつでもそうだ」という意味ではありません。
自殺もあれば、自己犠牲もあります。
ただ、平均的・統計的に見れば、人間は
- 危険を避け
- 痛みや損失を避け
- 安全で予測可能な環境を好む
という方向に強いバイアスがかかっている、という前提です。
進化論的に言えば、それ以外の傾向をもった個体は、長期的には生き残りにくかった、という説明もできます。
この前提が、私たちの世界観や価値観の一番下のレイヤーに敷かれている、と考えると分かりやすい。
「上にいる方が安全で有利」という身体感覚
生存公理は、身体感覚にも染み込んでいます。
- 高いところから周りを見下ろす方が、敵や危険を早く発見できる
- 要塞や城は高台に築かれる
- 水位が上がる/下がる、という物理的変化が生死を分ける場面も多い
こうした経験から、
- 上にいる=安全・有利
- 下にいる=危険・不利
という感覚が形成されます。
そこに、社会構造が重なる。
- 組織図:上に行くほど役職が高い
- トーナメント表:勝ち進むほど上側に名前が書かれる
- ランキング:1位が一番上、下に行くほど順位が下がる
こうして、
「上にあるもの」=「強い・偉い・価値が高い」
という世界観が、視覚的に、そして日常的に強化され続けることになる。
点数が「高い=良い」になるまでの4ステップ
点数の話に戻しましょう。
- 正解が多いか少ないか
- これは単なる「数」の問題です。
- 正解が多いほど、点数の数値が大きくなるようにルールを決める
- これは人為的な設計です。
- 点数をグラフにすると、大きい数値は縦軸の上側に描かれる
- これは図示の慣習です。
- 生存公理に基づく「上=有利・良い」という感覚が重ね書きされる
- ここで初めて、「点数が高い=良い」という連想が生まれます。
つまり、
正解が多い
→ 点数が大きい
→ グラフで上側
→ 上は良い
という4つの変換が、無自覚に一塊になっている。
この一塊をほどいて見ると、「高い=良い」は、かなり条件付きのフレームにすぎないことが分かります。
生存公理が「上書きされる」瞬間
もちろん、人間はいつでも生存だけを最優先しているわけではありません。
- 誰かを庇って犠牲になる
- 名誉や信念のために、危険を承知で行動する
- 明らかに身体に悪いと知りながら、快楽を優先する
こういう選択は、表面的には生存公理に反しています。
しかしレイヤーを分けて見ると、
- 一番下に「生存公理」というOSがあり
- その上に「名誉」「愛情」「快楽」「信念」といった別の価値が乗っていて
- ある局面では、その別の価値が生存公理を一時的に上書きしている
と解釈することができます。
生存公理は「唯一の法則」ではなく、
「多くの場合に効いているデフォルトルール」に近い。
自分の判断を「生存公理」で点検してみる
この生存公理を意識に上げると、日常の判断を次のように点検できます。
- 今、自分が「高い方がいい」と思っているものは何か
- 年収、役職、フォロワー数、貯金額、健康指標……
- それは本当に、自分の生存・安全・自由度を上げているのか?
- それとも、ただ「上にいたい」という序列ゲームに巻き込まれているだけなのか?
逆に、
- 「低くていい」と割り切っているものは何か?
- 残業時間、リスク、ストレス、見栄のコスト……
- その割り切りは、どこまで生存公理と整合しているのか?
こうやって一つ一つ分解してみると、
自分が守ろうとしているのは
「生存」なのか
「他人の評価」なのか
「ただの慣習」なのか
が、だんだん見えてきます。
おわりに:OSを見直すということ
「高い方が良い」と自動的に思ってしまう回路は、
私たちの中に深く焼き付いたOSです。その最下層には、
生き延びたい。
危険はできれば避けたい。
という、ごく素朴な願望が横たわっています。
その事実自体は、否定も肯定もする必要はありません。
ただ、
- いつそれに従うのか
- いつあえて別の価値を優先するのか
を、自分で意識的に選び直すことはできる。
生存公理に気づくということは、
「高い/低い」という単純な物差しから、一歩外に出て、
自分で自分の評価軸を設計し直す、ということでもあります。



