
序論:クリティカルシンキング「排除の運命」というテーゼの検証
「クリティカルシンキング(批判的思考)は公教育から除外される不可避の運命にある」というテーゼは、日本の教育改革の動向を深く分析する上で、極めて示唆に富む挑発的な仮説である。この見解は、単なる悲観論ではなく、日本の公教育システムが内包する歴史的、文化的、そして制度的な構造欠陥を的確に示している可能性が高い。
本レポートは、この「排除の運命」論を分析の出発点とする。まず、政策レベルでの「理想」と教育現場での「現実」の深刻な乖離を検証し、なぜクリティカルシンキングの導入が表面的なレベルでさえ機能不全に陥っているのかを明らかにする(第1部)。
次に、この機能不全が一時的なものではなく、「不可避」とまで断じられる背景にある、より深層の構造的要因を分析する。具体的には、戦後教育史に刻まれた「政治的中立性」の呪縛 1、PISAショックが残した「思考力」重視教育へのトラウマ 2、そして決定的な障壁となった大学入試制度における「公正性」の定義 4 が、いかにしてクリティカルシンキングを「構造的に排除」してきたかを論証する(第2部)。
しかし、本レポートの核心は、この「不可避の運命」が、生成AIという技術的特異点の出現によって根底から覆されようとしている現実を提示することにある。AIは、クリティカルシンキング(CT)を不要にするどころか、その需要を「CT 2.0」とでも呼ぶべき新たな、より緊急性の高いスキルセットへと質的に変容させた 5。AIへの依存がもたらす「認知的萎縮」という新たな脅威 6 は、もはや公教育がCTを「排除」することを許容しない。
最終的に本レポートは、クリティカルシンキングが「排除される運命」にあるのではなく、「従来の形で存続することを許されず、AI時代に対応した『CT 2.0』として強制的に再定義される運命」にあることを結論づける。
第1部:政策と現場の乖離——「見かけ上の排除」を支える構造
1.1. 学習指導要領における「理想」:無害化されたクリティカルシンキング
政策の表層において、クリティカルシンキングは「排除」されるどころか、むしろ公教育の中核的な目標として推進されている。文部科学省は学習指導要領において、批判的思考を明確に定義し、その重要性を位置づけている。
その定義によれば、批判的思考とは「自分たちが出した結論や問題解決の過程が妥当なものであるかどうかを別の観点や立場から検討してみること」であり、また「第三者によって提示された統計的な結論が信頼できるだけの根拠を伴ったものであるかどうかを検討すること」である 7。
この能力は、文科省が推進する新学習指導要領の overarching theme(包括的テーマ)である「生きる力」と密接に結びついている 8。文科省の保護者向けパンフレットなどでは、「これからの社会を生きる子どもたち」に求められる能力として、「自ら課題を発見し解決する力」「コミュニケーション能力」などと並んで、「物事を多様な観点から考察する力(クリティカル・シンキング)」が挙げられている 8。
しかし、この文科省による定義 7 は、それ自体が注目に値する。それは、統計の信頼性やロジックの妥当性といった、非常に技術的かつ客観的な側面に限定されている。欧米の文脈でしばしば見られるような、権威や社会構造、イデオロギーそのものへ問いを立てるといった、対立を生む可能性のある「批判」の側面は、注意深く回避されている。これは、後述する文化的・歴史的抵抗をあらかじめ回避するための、戦略的に「無害化(neutralized)」された定義である可能性が高い。政策レベルでのCTは、最初から「(体制にとって)批判的ではない」思考として導入されているのである。
1.2. 教育現場における「現実」:教師の「不能」とインセンティブの欠如
この政策上の「理想」とは裏腹に、教育現場における「現実」は深刻である。複数の専門家や教育関係者からの報告によれば、公立小学校の現場では、クリティカルシンキング(あるいはそれに近いもの)は「まだほとんど教えられていない」のが実情である 8。
この政策(Policy)と実践(Implementation)の深刻なギャップの直接的な原因として、第一に「教師側のトレーニング不足」が指摘されている 8。クリティカルシンキングを子どもに教えることは、「自分の頭で徹底的に考えること」を教えることであり、これを指導するには「教師側にそれなりのトレーニングが要る」 8 とされている。
しかし、「トレーニング不足」という指摘は、問題の表層に過ぎない。より根深い問題は、たとえ教師がトレーニングを受けたとしても、それを実践するインセンティブ(動機付け)が現在の教育システムには構造的に欠如していることである。CT教育は、生徒同士の対話や探究を必要とするため、時間がかかる。そして、その成果は、後述する知識偏重の入学試験ではほとんど評価されない。
教師は、入試で求められる「知識の詰め込み」と、文科省が理想として掲げる「思考力(CT)」という二重の要求に直面する。そして、CTの実践は、入試対策の効率を著しく下げるリスクを伴う。したがって、現場の教師が「トレーニング不足」を理由にCTを実践しないのは、個人の怠慢ではなく、むしろ「知識偏重」のシステム(第2部参照)に対する合理的な適応の結果であると言える。現場での「排除」は、スキル不足(不能)である以上に、システムによる積極的な拒絶の表れなのである。
1.3. 「批判」という言葉への文化的抵抗
CTの定着を阻むもう一つの要因は、制度的なもの以前の、より深層的な文化的・心理的障壁である。それは、「批判的」という言葉そのものが持つ、極めてネガティブなイメージである。
日本では、「批判的」という言葉が、本来の「吟味的・分析的」という意味ではなく、「相手を非難する思考」 9、「攻撃性・暴力性」を内在し、「非難・否定」のニュアンスを感じさせるものとして受け取られがちである 10。教育現場においてさえ、「批判的思考力が苦手代表」を自称する教育関係者が存在する 10 ほど、この言葉に対する心理的アレルギーは根深い。
CTの本来の教育目的の一つは、多様な価値観や利害の対立が存在するコミュニティにおいて、「相手も自分も満足させるような解決を導く」ためのスキルを習得し、「良き市民を育てること」にある 9。しかし、この本来の目的は共有されず、「批判=非難」という誤解 9 が先行する。
この抵抗感は、単なる言葉の誤解ではなく、日本の教室文化における暗黙の前提である「和(Wa)」、すなわち集団の調和とコンセンサスを最優先する価値観を、CTが脅かすものと認識されているからに他ならない。「本当にそうか?」「なぜか?」と問い続けるCTの実践は、教師の権威やクラスの「正解」とされる空気を「乱す」行為と見なされやすい。この文化的障壁が、ただでさえインセンティブのないCTの実践を、さらに困難なものにしている。
第2部:なぜクリティカルシンキングは定着しないのか——歴史的・制度的要因の深層分析
第1部で見た「機能不全」は、単なる運用の失敗ではない。それは、日本の公教育システムが歴史的・制度的にCTを「排除」するように設計されてきた必然的な帰結である。
2.1. 戦後教育史のジレンマ:「科学的思考」の導入と「政治的中立性」の呪縛
CTが定着しない歴史的根源は、戦後教育の出発点そのものにある。
戦前の公民教育は、「国体の本義」や「皇国の道」に基づき、思考の自由を奪い、「臣民の道」を教示する国家主義的な「思想統制」の具と化していた 1。この強烈な体験への反省が、戦後教育の根幹を成している。
興味深いことに、終戦直後、文部省はGHQの占領政策が示される以前の昭和20年9月に、独自の「新日本建設の教育方針」を発表している 11。そこでは「軍国的思想の払しょく」「平和国家の建設」と共に、教育の重点目標として「科学的思考力のかん養」が明確に掲げられていた 11。
しかし、戦前の「思想統制」 1 へのトラウマは、「教育の政治的中立性」という原則 1 を、戦後教育における絶対的な要請として定着させた。この原則自体は必要不可欠なものであったが、その運用がCTの土壌を根本から破壊することになる。
特に、CTの実践の場となるべき社会科教育は、「現実の政治的経済的社会的諸現象」を学習対象とするため、政治からの影響を免れがたい 1。特定のイデオロギーが持ち込まれることへの「充分警戒」 1 が求められる中で、現場の教師は極めて困難な立場に立たされた。貧困、安全保障、環境問題といった、本質的に「非中立的」な現実の社会問題を、「中立的」に教えることは事実上不可能である。
結果として、現場の教師が取った最も合理的かつ安全な選択は、それらの「危険な」トピックに触れること自体を避け、自己検閲することであった。社会科教育は「現実の政治」を扱うことを「萎縮」 1 させ、イデオロギー的に安全な歴史的年代や制度の暗記といった「知識」の伝達へと逃避した。こうして、CTの育成を期待された社会科教育は、「政治的中立性」の過剰解釈により、「思考停止」を教える場と化してしまったのである。
2.2. 改革のトラウマ:「ゆとり教育」PISAショックと「思考力」への不信
歴史的な「中立性の呪縛」に加え、より現代的な「改革のトラウマ」がCT定着の障壁となっている。
1998年の学習指導要領改訂、いわゆる「ゆとり教育」は、「生きる力」をスローガンに掲げ、従来の「詰め込み教育」から「思考力」重視への転換を目指した 2。これは、文科省が現在CTを位置づける文脈 8 と全く同一である。
しかし、2003年にOECDが実施したPISA(生徒の学習到達度調査)の結果が公表されると、日本の順位が低下したことをもって「PISAショック」 2 と呼ばれる事態が発生した。メディアと一部の政治勢力は、これを「ゆとり教育による学力低下」として大々的に批判した。
この「PISAショック」は、統計的に「有意な差がある」とは言えないものであったり、順位にこだわる国威発揚的な側面があったりした 3 との冷静な分析もある。また、「ゆとり教育」と「学力低下」の因果関係も、必ずしも明確ではない 2。
だが、実証的な妥当性とは無関係に、「ゆとり教育」=「思考力偏重」=「学力低下」という、政治的に強力な(しかし実証的には疑わしい)物語が国民世論に定着してしまった。これにより、CTを含む「思考力」重視の教育改革は、「基礎学力(=知識の詰め込み)」を疎かにする危険な試みであるというスティグマ(烙印)が押された。現在、文科省が再び「思考力」(CT)を推進しようとしても、現場や保護者からは「また『ゆとり』の二の舞か」という、「ゆとりアレルギー」とも呼ぶべき強固な抵抗に直面することになる。
2.3. 「知識偏重」の堅牢な壁:大学入試改革(記述式)の失敗
日本の教育システム全体を規定する最大の要因は、大学入試である。そして、CTの「排除の運命」を決定づけたのは、この入試改革の失敗であった。
近年の大学入学共通テストへの改革は、まさに「従来の知識偏重型のテストから、未知の状況にも対応できる思考力・判断力・表現力を問うテストへと変える」 12 ことを狙いとしていた。その中核的な施策が、国語と数学における「記述式問題」の導入であった 12。
この改革は、CTを公教育に定着させる最大のチャンスとなるはずだった。しかし、この試みは導入直前に頓挫する。その理由は、教育的な理念の問題ではなく、極めて技術的かつ官僚的な問題、すなわち「採点の公正性」であった。
50万人規模の受験生が解答する「思考力」を問う記述式問題を採点するため、採点作業は「民間事業者」に委託される計画だった 12。しかし、その前段階として実施された試行調査において、採点者間での採点の「不一致率」が、国語の特定の問題で20%から30%を超えるという衝撃的な結果が明らかになった 4。
日本の入試制度が金科玉条とするのは、「教育の質」以上に「選抜の公正性」である。1点の差で合否が分かれる高利害(high-stakes)な選抜において、採点者によって3割も評価がブレるような「不公正」な試験は容認できない。
ここに、システムの冷厳な論理が示された。「思考力」を測るという教育的理想 12 は、採点の「公正性」を担保できないという技術的・官僚的現実 4 の前に完敗した。システムが選択したのは、教育的には劣るが「公正」に(=客観的に)採点できる、従来のマークシート方式(知識偏重)の維持である。
これが、クリティカルシンキングが公教育から「除外される不可避の運命」の、最も強力な制度的証拠である。システムはCTを「望まない」のではなく、「(自らの公正性の定義を変えない限り)評価できない」のである。
第3部:「不可避な運命」への決定的反証——AI時代が強いる「CT 2.0」への強制移行
第2部までで論証したように、日本の公教育システムは、歴史的・文化的・制度的な理由からCT(以下、CT 1.0と呼ぶ)を「排除」するよう構造化されてきた。この「不可避の運命」は、2020年頃までは正しかったと言える。しかし、生成AIという技術的特異点の出現が、この運命論を根底から覆した。
3.1. 生成AIによるパラダイムシフト:必要性の質的変容
生成AIは、従来のCT 1.0のプロセスを根本から破壊し、再定義する。AIの登場により、学習者の認知資源の配分が大きく変化している。従来、問題解決そのもの(=答えを発見すること)に費やされていた認知リソースが、現在ではAIが提示した答えをいかに「検証」し、自分のニーズに合うよう「編集・統合」するかに向けられるようになった 5。
これは、AIへの「認知的オフローディング(負荷軽減)」であると同時に、「認知的リバランシング(新たな負荷の発生)」を伴う 5。この「新たな負荷」—すなわち、「出力の適合性評価」「信頼性の検証」「複数の提案の統合」「文脈への適応」 5—こそが、AI時代に求められる新しいCT(CT 2.0)そのものである。
このパラダイムシフトが持つ意味は決定的である。第2部で見たように、従来の教育システムは「知識の記憶」を評価することに最適化されていた 12。生成AIは、この「知識」の生成コストをゼロにした。「知識の記憶・再生」能力(=従来の学力)を測るテストは、社会的な価値を急速に失いつつある。
AIは、「知識偏重」を理由にCTを排除してきた入試システム 4 の存在意義そのものを消滅させたのである。皮肉なことに、CT 1.0を排除する最大の要因であった「知識偏重の壁」は、AIによって内部から破壊された。
3.2. 「AI依存者」という新たな脅威:「認知的萎縮」のリスク
もし、公教育がこの変化に適応できず、CT 2.0の教育に失敗し、「排除」の運命を続行した場合、どのような破滅的な結果が待っているか。その答えが「AI依存者(AI Dependant)」 6 の増加と、それに伴う「認知的萎縮(Cognitive Atrophy)」 6 のリスクである。
AI依存者とは、AIを「答えを出す機械」として捉え、その出力を無批判に受け入れ、コピー&ペーストするユーザーを指す 6。生成AIに依存して作業を行うと、脳の活動が停滞し、集中力や意欲の低下を招くことが脳波測定によっても実証されているという 6。
記憶、計算、情報整理といった認知的な負荷をAIに過度に委ねる「認知的オフロード」により、本来脳が担うべき思考プロセスを経験する機会が失われ、思考力が「使われない筋肉」のように衰えてしまう 6。さらに深刻なのは、自信の欠如がAIへの依存を強め、AIへの依存がさらなるスキル獲得機会の喪失を招くという「負のスパイラル」 6 である。
この「認知的萎縮」は、「将来のイノベーション能力を失う危険性」 6 に直結する。PISAショック 3 が「学力低下」という国内的な問題であったのに対し、「認知的萎縮」は国家のイノベーション能力そのものを破壊する、文字通り「国家的自殺」に等しい脅威である。
この脅威の切迫性こそが、第2部で見た強固な「排除」の構造(歴史的トラウマや制度的障壁)を、外部から強制的にこじ開ける唯一のドライバー(駆動力)となる。もはや「CTを排除する」という選択肢は、教育システムには残されていない。
3.3. 「CT 2.0」の要請:AIのバイアスと倫理を問う
AI時代が要請する「CT 2.0」とは、具体的にどのようなスキルセットなのか。従来のCT 1.0が「情報の正誤確認」に焦点を当てていたのに対し、CT 2.0はAIの「出力の価値評価」へと焦点が移行する 6。
CT 2.0は、主に以下の3つの要素で構成される 6:
- 情報源評価と検証:AIの出力の根拠やアルゴリズムの「偏り(バイアス)」を意識的に確認する。
- 論理的整合性の深掘り:AIの提案に対し、「なぜこの前提が最適か?」と深掘りする。
- 価値と倫理の統合:効率性だけでなく、「人間の目的や倫理観」を反映した最終判断を主体的に下す。AIには評価できない「感情的な側面や価値観」を判断に組み込む 6。
ここで、日本教育史における最大の皮肉が露呈する。CT 2.0が要求する「バイアス」「倫理観」「価値観」の議論 6 とは、まさに第2部で見た「政治的中立性」の原則 1 が、70年以上にわたって最も回避しようとしてきた「対立的な主題」そのものである。
かつて、教師は「中立性」の原則 1 の下、これらのトピックを「回避(萎縮)」することができた。しかし、AIが日常的に「偏った」出力を生成する今、そのバイアスについて議論することを「回避」するのは、もはや「中立」ではない。それは、AIのバイアスを無批判に受け入れること(=AI依存者の育成)であり、AIのイデオロギーへの「積極的な加担」である。
AIは、日本の教育システムが70年間逃げ続けてきた「価値や倫理をどう教えるか」という問いと、強制的に向き合わせる。CTを「排除」する運命は、AIによって「CT 2.0を直視する」運命へと書き換えられたのである。
表1:従来型クリティカルシンキング(CT 1.0)とAI時代型クリティカルシンキング(CT 2.0)の対比
| 特徴 (Feature) | CT 1.0 (従来型) | CT 2.0 (AI時代型) | 根拠資料 (Source) |
| 思考の焦点 (Focus) | 情報の収集と論理的分析。答えを「発見」する。 | AI出力の検証、編集、統合。答えを「評価」する。 | 5 |
| 主な情報源 (Primary Source) | 書籍、教師、メディア、自己の経験 | 生成AIの出力(第一の草案) | 5 |
| 主な障壁・リスク (Main Barrier/Risk) | 情報へのアクセス不足、論理的誤謬、権威への盲従 | AIへの過度な依存、「認知的萎縮」、AIのバイアス | 6 |
| 求められるスキル (Required Skill) | 分析、議論、根拠の発見、論理構築 | メタ認知 5、プロンプト設計、バイアスの検証、倫理的判断 | 5 |
| 最終判断の基準 (Final Judgment Criteria) | 論理的妥当性、客観性、証拠の強さ | 人間の価値観・倫理観との統合、文脈への適合性 | 6 |
3.4. AIがもたらす「評価」の(皮肉な)解決策
最後に、AIは、CT 1.0の導入を阻んだ最大の制度的障壁、すなわち「評価の公正性」の問題 4 に対しても、皮肉な解決策を提示する。
2020年の入試改革(記述式)が頓挫したのは、「最終アウトプット(記述解答)」を「人間が公正に採点する」ことが技術的に不可能だったからである 4。
AI時代の評価は、この前提を覆す。AI時代の評価では、AIが生成したかもしれない「アウトプット」そのものの価値は下がり、代わりにAIとの「協働プロセス」こそが評価対象となる 5。
AI時代の新たな評価方法として、「AI活用の透明性」や「AIと協働する能力」を測る新しいルーブリック(評価基準)の開発が提唱されている 5。具体的には、学生がAIとの共創ワークショップで用いた「プロンプト、編集過程、最終成果物をすべて記録・分析する」ことや、「AIとの協働過程を明示化するポートフォリオ」を作成させることが挙げられる 5。
ここに逆説的なブレイクスルーがある。「思考のプロセス」—例えば、プロンプトの質、編集の変遷、参照したデータのログ—は、デジタルデータとして完全に客観的に記録・分析可能である。これは、人間が採点した「記述」 4 よりも、遥かに客観的で改ざんが困難な「思考の証拠」となり得る。
AIは、CTを評価する上での「公正性」のジレンマ 4 を、皮肉にも自ら解決する手段(=プロセスデータの客観的記録)を提供する。これにより、「思考力を評価できないから排除する」という、第2部で見た最強の制度的障壁が、技術的に解消される可能性が初めて開かれたのである。
第4部:結論と提言——「排除」ではなく「再定義」されるべき未来
4.1. 総論:クリティカルシンキングの「二重の運命」
本レポートの分析によれば、「クリティカルシンキングは公教育から除外される不可避の運命にある」という当初のテーゼは、CT 1.0(従来型)については完全に正しかったと言える。
従来のCT 1.0は、文化的抵抗 10、歴史的トラウマ(政治的中立性) 1、PISAショックによるアレルギー 2、そして最終的には「公正に評価できない」という大学入試制度の堅牢な壁 4 によって、日本の公教育システムから構造的に「排除」され続けてきた。これは、AI登場以前のシステムにおける「不可避の運命」であった。
しかし、生成AIという「黒船」の到来は、この「運命」を無意味化した。AIは「知識」の価値を破壊し、CTを教えないことのリスクを「認知的萎縮」 6 という破滅的なレベルまで高めた。
したがって、クリティカルシンキングの現在の「運命」は、以下のように修正されなければならない。
クリティカルシンキングは「排除される運命」から、「AI時代を生き抜くための生存スキル(CT 2.0)として、痛みを伴いながら強制的に再定義・導入される運命」へと移行した。
我々の課題は、もはや「排除」を嘆くことではなく、この「強制的な再定義」にいかに適応するかである。
4.2. 提言1:教師教育の刷新——「プロセス・ファシリテーター」への転換
「教師のトレーニング不足」 8 という問題は、量から質へと転換されなければならない。もはや「CTの教え方」(CT 1.0)を教える研修は有効ではない。
必要なのは、AI時代の「プロセス・ファシリテーター」としての訓練である。すなわち、AIと生徒の「協働プロセス」 5 を設計し、生徒のメタ認知 5 を刺激する「問い」を発し、AIのバイアス 6 についての議論を(「中立性」 1 の呪縛を解き放った上で)ファシリテートする能力である。
4.3. 提言2:評価方法の再設計——「プロセス・ポートフォリオ」の導入
「記述式の採点が公正にできない」 4 という障壁は、AIによって乗り越えられる。
大学入試を含む全ての評価は、「最終アウトプット」の評価(AIが作成した可能性があるため無意味)から、「プロセス・ポートフォリオ」の評価 5 に速やかに移行すべきである。生徒がAIにどのようなプロンプトを投げ、その出力をどう編集し、最終判断に至ったか、そのデジタルに記録された「思考の軌跡」こそが、CT 2.0の能力を測る最も「公正」な評価対象となる。
4.4. 提言3:「政治的中立性」(
1
AI時代において、CT「排除」の最大の歴史的要因であった「政治的中立性」 1 の「萎縮」的解釈は、もはや許されない。
AIが日常的に「偏った」倫理的・政治的判断を提示する以上 6、それらのトピックを「回避」することは「中立」ではなく、AIのバイアスへの「加担」である。「中立性」とは、「何も教えない」ことではない。「多様な価値観(AIの価値観も含む)が存在することを認識させ、それらを批判的に検討させ、最終的な判断を生徒自身に委ねる」という、CT 2.0 6 の実践そのものであると、教育界全体で再定義することが急務である。
引用文献
- 教育の政治的宗教的中立性と社会科教育 – 鳥取大学研究成果リポジトリ https://repository.lib.tottori-u.ac.jp/record/1060/files/jfees17(1)_139(1).pdf
- ゆとり教育は否定されるべきものか https://k-okabe.w.waseda.jp/semi-theses/1408shigeki_kimura.pdf
- 「PISAショック」の私見 – しもまっちハイスクール https://www.simomacci.jp/2021/12/03/pisa%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%81%AE%E7%A7%81%E8%A6%8B/
- 6.記述式問題の経緯 – 文部科学省 https://www.mext.go.jp/content/20201126-mxt_daigakuc02-000011142_8.pdf
- 生成AIと批判的思考:大学教育への示唆 – shoei05 https://plaza.umin.ac.jp/shoei05/index.php/2025/03/13/2836/
- AIが出した答え、そのまま使ってない?-Z世代に必要な『批判的 … https://note.com/wakateka_washio/n/n31577c70172a
- 11月 11, 2025にアクセス、 https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sho/sansu/support/jissen_arch/202412/#:~:text=%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%A6%81%E9%A0%98%E3%81%A7%E3%81%AF%EF%BC%8C%E6%89%B9%E5%88%A4,%E3%81%A8%E7%A4%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
- 文科省もクリティカル・シンキングが必要だと言うけれど – THINK-AID https://thinkaid.jp/?p=1470
- 良き市民のための 批判的思考 https://psych.or.jp/wp-content/uploads/2017/10/61-5-8.pdf
- 苦手な「批判的思考」をポジティブに!【Vol.04実施レポート … https://saki3.swu.ac.jp/news_vol04
- 二 新教育の基本方針:文部科学省 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317738.htm
- 提言 109:大学入試改革 受験生の学力を適切に … – 東京都教育会 https://www.t-kyoikukai.org/teigen/teigen109/teigen109.html



